hmdの鐵たびブログ ローカル線の旅

のんびりローカル線の鉄道旅を、写真を中心に「見る紀行文」で長期連載しています。

【352】くるくるくるり・・・JR久留里線(2)[車窓編]木更津から、横田へ。  


久留里線は東京近郊区間の路線であるが、IC乗車券のSuicaやPASMOが全駅使えないので、
訪問時には注意が必要である。
なお、線内の無人駅からの乗車時には、駅に備え付けられている乗車証明書発行機のボタンを押し、
乗車証明書を持参する事になっていて、路線バスの整理券方式と同様になっている。

今旅では、途中下車観光も多くなる事から、JR東日本の企画切符である「休日おでかけパス」
(大人2,670円)を利用している。
東京近郊の土日祝日やゴールデンウィーク等に、普通列車普通車自由席が1日乗り降り自由となる切符で、
この久留里線も全線フリー区間に入っており、非常に使い易い。
因みに、東京駅から上総亀山駅までの普通運賃は片道1,940円、往復で3,880円となる為、
1,000円以上お得になっている(普通乗車券の途中下車は、前途無効扱いになる※)。

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(休日おでかけパス。内房エリアは、君津と上総亀山まで使える。)





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木更津0820==祇園==上総清川==東清川==0837横田
下り久留里行き(キハE130形106・単行・ワンマン運転)
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さあ、久留里線の旅の始まりである。
8時20分発の久留里行き列車に乗り、先ずは、四駅先の途中主要駅である、横田駅に行ってみよう。
久留里線は、起点終点を入れて14駅あり、列車交換設備のある、横田駅と久留里駅が途中主要駅になっている。
なお、県営鉄道開業時は、木更津・上総清川(かずさきよかわ/当初は清川)・横田・馬来田(まくた)・
小櫃(おびつ)・久留里の6駅での開業であった。

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(木更津駅4番線で発車を待つ、下り久留里行きキハE130形106。)

単行のキハE130形106の低い乗降ステップを上がり、発車時刻間際になると、20人位が乗車している。
今日は休日なので、通勤通学の乗客はおらず、部活動の高校生達が上り列車に目立つ程度だ。
行楽客が多いかと思いきや、東京方面からはやや早い時間帯の為に少なく、地元の男性客が多い。
大変綺麗な新型軽快気動車で、車内は良く冷房が利いており、乗降ドアは押しボタン式の半自動になっている。
また、車内の乗降扉の上には、停車駅案内兼イラスト入りの沿線観光スポットが掲示されている。
見所も沢山ある様で、面白そうだ。これも参考にして、下車観光をしてみよう。

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(乗降扉上の「久留里線で行くお出かけスポット」。大きなイラスト付きの判り易いガイドだ。)

自動放送の女声列車案内が終わり、「まもなく、発車します。」と告げると、静かにドアが戸締めとなる。
内房線ホームでは、「証城寺(しょうじょうじ)の狸囃子」の発車メロディが流れるが、
久留里線ではワンマン運転を行っているので、このメロディは流れないらしい。
なお、無人駅での乗降方法は、先頭1両目の前降り精算、後乗り方式(中央の扉は開かない)で、
2両以降は戸締めになり、ドアは開かないので注意である。
木更津・横田・久留里の有人三駅では、駅改札口での集札・精算なので、全車両の全てのドアが開く。

また、車窓からの撮影もしたいので、列車最後尾に立席し、運転士や一般乗客に迷惑が掛からない様にしたい。
勿論、一眼レフ機のミラー音も厳禁で、静音又は無音シャッターに設定出来るカメラを使うのが、マナーである。



ホーム上の灯列式出発信号機が、縦三灯に変わると、定刻の8時20分に木更津駅を発車。
この木更津から横田までは、南北3km幅の東西に伸びる広い川谷平野を、
南縁の山際を流れる小櫃川(おびつがわ)に寄り添いながら、真東に進む感じである。

このキハE130形に搭載されている、DMF15HZディーゼルエンジンが吹き上がり、ゆっくりと加速して行く。
このエンジンは、国鉄キハ40系に採用されたエンジンの流れを組み、性能が大幅に向上しているが、
一番の違いは、エンジン音がシャリシャリと細かくなっている点である。
その為、気動車特有の加速時の豪快さに欠けるのであるが・・・。
なお、機関出力がキハ40系の約二倍の450馬力もあり、久留里線としてはオーバースペックな為、
290馬力程度に出力抑制をしているそうだ。

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(発車すると、内房線と直ぐに別れる。※追加撮影時の上り木更津行列車最後尾から、久留里方を撮影。)

木更津駅北側の第二館山街道踏切を制限速度の時速35kmで通過し、
直ぐに半径300mの右カーブをして、内房線と別れる。
カーブを抜けると、左は荒れ地、右は住宅地の境となり、ジョイントを規則正しく踏みながら、走って行く。
なお、国鉄簡易線規格の久留里線では、気動車の最高時速は65kmの設計となっており、
駅間の平均時速は40km程度、直線の平坦線でも、50-60kmしか出さないので、
最高時速120㎞も出せる高規格線の内房線から乗り変えると、随分、のんびりと感じる。

左窓には、所々に水溜まりのある、湿地の荒れ地が続く。
かつて、蓮田(はすた)が一面に広がっていたそうで、木更津は蓮根(レンコン)が特産品であった。
夏の蚊の大発生に悩まされたらしいが、美しい蓮の花が咲き誇っていたとの事。
今は、栽培農家の後継者が居らず、殆ど無くなってしまったそうだ。

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(蓮田があった湿地帯。当時、久留里線の撮影名所だったそうだ。木更津から祇園間。)

この区間は、基本的に平坦線であるが、急カーブとアップダウンが多い木更津市街の中を走る。
幾つかのカーブを曲がり、国道16号線をアンダーパスし、左にカーブをすると、祇園(ぎおん)駅に停車。
京都の祇園と同じでハッとするが、可愛らしいログハウス風待合所があるだけの小さな棒線駅である。
やはり、地名の由来は、京都祇園社(八坂神社)の東漸地(とうぜんち/東限)である事かららしい。

なお、昭和36年(1960年)3月に追加設置された駅で、線内二番目の新しい駅になっており、
この祇園駅付近から次の上総清川駅までは、久留里街道が暫く線路と並走する。

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(祇園駅を発車。ホームの桜並木が名物となっている。※当列車最後尾から、木更津方を撮影。)

祇園駅を発車。住宅地の中を、時速40kmでゆっくりと進む。
この列車よりも、隣の久留里街道を走る自動車の方が速いのも、ローカル線のご愛嬌だ。
3kmポストが線路際に立つ半径300mの右カーブを抜けると、
上り15.0パーミル(※)と下り16.7パーミルの小ピークを苦しそうに越え、ロングストレートの勾配谷の後、
もうひとつ、上り15.0パーミル、下り9.0パーミルの小ピークがあり、
その緩いS字カーブを下ると、左窓に小櫃川が一瞬見え、開業当時からの上総清川駅に停車。
開業当時は、清川駅の駅名であったが、大正12年(1923年)の国有化の際、上総の名が冠となった。

この上総清川周辺も歴史の古い土地柄で、駅から北の大寺十日市場付近には、
奈良時代の古代道が通り、藤潴(ふちみ、ふじい)駅と言う駅家(えきか、うまや)が置かれていたそうだ。
律令の駅伝制では、街道の一定距離毎に公用馬と公用宿を置き、貴族や役人等の往来に利用されていた。

また、冠となっている上総(かずさ)は、千葉県南部にあった旧国名(令制国)である。
千葉県北部を下総(しもふさ)と言い、この上下は朝廷のある奈良や京都からの遠近を表しており、
本来は北部が上総、南部が下総と逆ではないかと感じる。
しかし、奈良時代頃の東海道は、相模国走水駅(現・神奈川県横須賀市南の走水付近)から、
東京湾を渡り、対岸の大前駅(現・富津市海岸部の青木付近)の上総国に上陸してから、
下総国や常盤国(ひたちのくに/現・茨城県)に向かっていたので、千葉県南部の方が京都に近かった為である。
因みに、千葉県には、安房(あわ)と言う旧国名もあるが、千葉半島最南部の四郡からなる中国で、
養老2年(718年)に上総国から分割された国である。後に、元の上総国に併合され、再び分国されたと言う。
館山や鴨川周辺に該当し、今も、地名や駅名にその名が残っている。

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(祇園駅先のダブルピークと久留里街道。※上り木更津行列車最後尾から、久留里方を撮影。)
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(上総清川駅手前では、一瞬、小櫃川が左窓に見える。)

駅舎の無い小さな棒線駅であるが、周辺に住宅が多く、家族連れを含む6人が下車する。
後方を見ると・・・何と、下車客が線路上を木更津方に歩いている。
本来は、禁止なのであるが、大昔の国鉄ローカル線の光景の様で驚いた。

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(木更津市街東端の上総清川駅を発車。※当列車最後尾から、木更津方を撮影。)

上総清川駅を発車すると、東京湾アクアラインの高架橋を潜り、久留里街道と再び並走する。
此処からは、木更津の市街地を抜け、緑と田畑の中に集落が点在する房総の里山に入って行く。
また、この区間は、山際の為に微勾配のアップダウンはあるが、比較的平坦だ。
右手の山が近くなり、半径770m左カーブ中の久留里線最初の第四種踏切である原前踏切を、
「ヒィッ!」と短汽笛を鳴らしながら通過し、長い直線の先にある東清川駅に停車。
昭和53年(1978年)10月に追加設置された、線内で一番新しい駅である。
ホームの向かいには、田植えの終わった水田が広がっており、水面にキラキラと陽が反射して美しい。
時間があれば、後で立ち寄ってみよう。

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(東清川駅に停車中。車内ものんびりとしている。)
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(駅のホーム前には、早苗が風になびく美しい田圃と房総の里山風景が広がる。)

東清川駅からは、緩やかなアップダウンがある直線の線路を走り、
今度は館山自動車をアンダーパスし、エンジンを吹かして9.1パーミルの長い勾配を上ると、
県営蒸気軽便時代に架橋された第一小櫃川橋梁を渡る。
ふと、上流方の右窓を見ると・・・鯉が泳いているのが見え、車内からも、少し歓声が上がる。
袖ヶ浦や君津の市民が提供した約250匹の鯉のぼりを、4月下旬からゴールデンウィークにかけて、
小櫃川の中川橋(写真の橋)付近に泳がせており、鯉のぼりフィスティバルも開催されているそうだ。

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(第一小櫃川橋梁を渡る。※上り木更津行列車最後尾から、久留里方を撮影。)
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(小櫃川と鯉吹き流し。久留里街道の中川橋を渡る車も、減速渋滞している。)

鉄橋を渡り切り、堤防上から短い急勾配を下ると、左窓に大水田が広がるハイライト区間になる。
左に田圃、右に住宅地が続き、その境界を大きなS字を描きながら、走って行く感じだ。
なお、久留里街道は線路から離れて、南側の住宅地の中を走っている。

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(横田手前の大水田地帯。※上り木更津行列車最後尾から、久留里方を撮影。)

半径301mの右大、返しの半径402m左大カーブをこなし、9kmポストと場内信号機が見えると減速し、
スプリングポイントを時速20kmでゆっくりと通過すると、横田駅2番線に到着。
この駅は有人駅なので、全てのドアが開き、数人の乗降がある。
上り木更津行きのキハE130形101と108の二両編成が、駅舎側に先着しており、待っていた。

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(列車交換可能駅である横田駅。※上り木更津行列車最後尾から、久留里方を撮影。)
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(8時37分に横田駅に到着し、下車する。)

なお、ここまでの9.3kmを、17分掛けて到着した事を考えると、区間表定時速(※)は約32.8kmである。
ゆっくりとした運転であるが、性能の良い新型気動車でありながら、速度を抑えているのは、
半径200m級の急カーブが多い事や道床(どうしょう※)が弱い為であろう。
なお、県営蒸気軽便時代も、木更津中学(旧制中学、現在の高校)の陸上部の選手が競争して勝った、
自転車に抜かれた逸話が残っており、相当遅かったらしい。
当時の新聞記事にも、その様子が描写されている。

「久留里で用を達して、帰る汽車の窓から、あたりの景気をながめていた。
機関車が苦るしさうに、ホッホッとあえいでヨタヨタ走るのを、街道筋を行く自転車のやつが、
馬鹿にしくさって、先になったり、後になったりしていたが、
森一ツ越える間に、自転車の方が、ずっと先になって、玩具のやうに見えた。」

(※大正12年(1923年)7月25日の東京日日新聞房総版(現・毎日新聞)より原文抜粋。)


当時、木更津から久留里までは、所要時間約1時間20分、表定時速は約15kmと言う遅さだった。
それでも、開業当時の木更津から久留里までの大人片道運賃は、31銭だったとの事。
蕎麦が一杯4銭だったらしいので、約2,000円と高かったそうだ。因みに、現在は410円である。
しかし、客貨共に沿線の需要は大きく、赤字の多い県営鉄道の中でも、黒字路線だったと言う。



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運転士のワンマン運転の差し支えになる為、線路撮影は列車最後尾からの後方を撮影しています。
キハE130形は、赤外線カットガラスを使用しており、ガラス越しの風景が色付きになる場合があります。
また、前日の雨の汚れがあるため、ご容赦下さい。

(※前途無効)
途中駅で下車し、改札口を出る場合、その先の乗車区間が残っていても、切符が回収されて無効になる事。
JRでは、営業キロ100kmまでの片道乗車券が、前途無効の扱いになる(切符に印字、差額は返金しない)。
(※勾配/パーミル・‰)
鉄道におけるパーミル(‰)は、坂の傾斜を表す。水平距離1,000mに対する、高低差(m)である。
例・25パーミル=1,000m当たり、25m差=10m当たり、25cm差。
鉄道は、レールの転がり抵抗が非常に小さい為、勾配に大変弱い。
一般的には、10パーミルまでで、それ以上は、蒸気機関車時代の重い貨物列車の場合、
重連(じゅうれん/機関車二両での運行)が必要であった。
その為、線路の勾配率は、基本的に10パーミルまでで、高規格路線ほど勾配を抑えている。
20パーミルを越えると、急勾配となり、蒸気機関車の登坂力は設計上25パーミルまでの為、
蒸気機関車が走っていた古い路線では、基本的に25パーミルを上限として建設されている。
しかし、山がちな地形や建設資金の制約により、それ以上の勾配の区間もあり、
国鉄簡易線では33パーミルを上限としていた。
なお、電車は登坂力に優れ、35パーミルまでが一般的な上限となっている。
但し、過去に蒸気機関車牽引の列車が走っていた路線は、基本的に25パーミルまでが上限である。
(※道床)
線路を支える地盤面の事。
(※表定速度)
駅の停車時間も含む平均速度の事。

【参考資料】
第42回上総地区文化祭特別展「JR久留里線開業100周年 1912-2012の軌跡(改訂版)」
(君津市上総公民館・2012年)
平成16年度企画展「地方鉄道久留里線の軌跡」(君津市立久留里城址資料館・2004年)
久留里線沿線ガイド(千葉商科大学人間社会学部・2015年)
房総ローカル線歴史紀行(伊藤大仁・崙書房・1990年)
JR・第三セクター全駅名ルーツ事典(村石利夫・東京堂出版・2004年)
事典古代日本の道と駅(木下良・吉川弘文館・2009年)
日本古代道路事典(古代交通研究会・八木書店・2004年)

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