hmdの鐵たびブログ ローカル線の旅

のんびりローカル線の鉄道旅を、写真を中心に「見る紀行文」で長期連載しています。

【356】くるくるくるり・・・JR久留里線(6)馬来田下車観光 うまくたの路 後半の部  


中継地の町原橋【黄色マーカー】から、この小川に沿った山際を10分程歩くと、
突然、目の前に高い木々が生い茂る場所に到着。
湧水地手前にあるハンノキ湿原【木マーカー】である。
ここからは、板を渡した幅ひとり分の木道が整備されているが、大穴が所々に空いており、
かなり傷んでいるので、踏み見抜かない様に気を付けて歩こう。
このハンノキ湿原では、秋(9-10月頃)になると、珍しい釣船草(つりふねそう)も見られる。

樹高15mから20mのハンノキは、沼や湿地を好んで植生する珍しい樹木で、ブナの木の仲間である。
雌雄に分かれる落葉高木であり、冬花も咲き、松ぼっくりに似た果実もなる。
樹脂が多く、かつては、良質な木炭の材料や薪になり、
樹皮と果実は染料として利用されていたらしい。
また、鬱蒼と草木が生い茂った湿原は、奥に行くほど薄暗くなり、
うねる水路や枯れ木も横たわっていて、自然そのままの風景になっている。

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(ハンノキ湿原入口。小さな木札も掛かっている。)
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(湿原に延びる木道。ここからは、湿原の中央部を避ける様に、山際に沿って歩く。)

右手の山藪も深く、頭の上に木々が薄暗く生い茂っていて、
とても不安な気持ちにさせるが、歩き易い。
また、この付近は、昆虫達の大楽園で、多種多様な蝶や山トンボが乱舞し、素晴らしい光景である。
特に、蝶は珍しい種も見られるそうで、昆虫撮影が好きなフォトグラファーには、お薦めである。

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(ハンノキ湿原。)



数分歩き、このハンノキ湿原を抜けると、視界が開けて、急に明るくなる。
やっとのことで、第一目的地の湧水地「いっせんぼく」【噴水マーカー】に到着する。
ここまで、町原橋から徒歩約15分、馬来田駅から約45分の道のりで、
地元小学校の児童が描いた歓迎板や休憩ベンチが置かれている。

このいっせんぼくは、谷(やつ※)最奥部の竹林下の岩盤から湧き出る泉で、
かつて、千もの泉が「ボクボク」と音を立てながら、湧き出ていたのが由来である。
普段の訪問者は少ない様子で、設置されている木造ベンチやデッキも、一部壊れてしまっている。
畳一畳程の大きさのいっせんぼくを眺めると、一見、穏やかに見えるが、
小川の水量は多いので、相当量が静かに湧き出ているらしい。
他にも、この周辺の数カ所から、湧き出ているとの事。

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(急に視界が開けると、竹林になっている谷の奥に到着する。)
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(第一目的地である、湧水地のいっせんぼくに到着。)
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(地元小学生が描いた歓迎案内板。地元も、環境保全活動に力を入れている。)

また、泉周辺や小川に、何か白いものが散らばっており、よく見ると、無数の貝殻である。
この里山にあるのも、不思議であるが、木更津周辺の地層には、貝化石が含まれているそうなので、
泉と共に出てきたのかもしれない。太古の昔は、海であったのであろう。
キラキラと反射する水面と白色が、とても綺麗で、うっとりと眺めてしまう。

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(小川の底の貝殻。)

暫く、泉を眺めながら休憩し、マイナスイオンをたっぷりと浴びたら、そろそろ引き返そう。
ハンノキ湿原を再び通り、農家の人が洗い物をしていた町原橋まで戻る。

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(素晴らしい自然環境で、少し名残惜しいが、町原橋へ戻る。)






町原橋【黄色マーカー】まで、戻ってきた。
第二の目的地、いっせんぼくの東側の谷にある、
妙泉寺(みょうせんじ)【万字マーカー】に行ってみよう。
この町原橋から1.1km、武田川上流の東の方に歩いて行く。
途中の湿地では、枕木の木道が整備されていた。
何だか、嬉しくなるのは、鉄道ファンである証かもしれない。

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(妙泉寺方面へ。湿地の枕木道。)

武田川は南に流れており、山際と川の間に、小さな棚田が広がっている。
農家の人が耕うん機に乗って、田起こしをしており、幾つかは、田植えも済んでいる様子である。
オタマジャクシやアメンボが水面に泳ぎ、カエル達も昼間からゲコゲコと大合唱し、
遠くの畦道に鷺も降り立っていて、清々しい新緑の田園風景満点である。
しかし、オタマジャクシやアメンボを撮影しようと近づくが、さっと逃げられてしまう、
少し離れると何もなかった様に戻って来るが、中々、撮影させてくれない。
小さい頃は、こんな風に良く田圃で遊んだもので、とても懐かしくなる。

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(田起しと田植えが終わった棚田。)
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(棚田の畦道を歩いて行く。足元も、かなりフカフカである。)

この棚田の畦道を通り過ぎると、武田川沿いのコンクリート舗装の農道になり、
その途中に、宿地区の万葉碑が設置されている。
有名歌人のひとりで、叙景歌人の第一人者である
山部赤人(やまべのあかひと)の和歌が刻まれており、
近くには、石造りの休憩ベンチも設置されている。また、川の左右には、大きな竹林が広がっている。
もう少し行くと、見事な大手鞠(オオデマリ)が、満開であった。

「春の野に すみれ摘みにと 来(こ)し我ぞ 野をなつかしみ 一夜寝にける」

  作者・山部赤人(巻9-1424/平成21年建立・静岡県伊豆の国市産若草石)


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(宿地区の赤人万葉碑と休憩ベンチ。6番目に建立された碑である。)
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(大手鞠。高さは約2mもある。園芸品種である為、地元農家が育てたものらしい。)

そのまま川沿いの道を歩いて行くと、T字路にぶつかり、左の緩い坂道を登る。
左手に数軒の農家、右手に墓地がある谷(やつ)になっており、
川に面した平坦地は田畑らしいが、今は、休耕地らしい。
新しそうな小さな山門を潜ると、有名歌人・山上憶良(やまのうえのおくら)の万葉碑がある。
七つ目の万葉碑になり、最後のひとつは、ロングコースの真里谷(まりやつ)城下の
真如寺(しんにょじ)にあって、インド産黒御影石で建立されているとの事。

「銀(しろがね)も 金(くがね)も玉も 何せむに 勝れる宝 子に及(し)かめやも」

  作者・山上憶良(巻5-803/平成18年建立・群馬県鬼石産三波石)


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(妙泉寺の谷。この付近は、「宿」と呼ばれる字になっている。)
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(小さな山門。「関・不許俗鶴」の扁額が掛かる。何故、鶴であるかは不明。)
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(妙泉寺山門横の憶良万葉碑。7番目の碑である。)



この谷の一番奥の杉と竹に囲まれた場所に、大倉山妙泉寺【万字マーカー】がある。
小さな集落の寺としては、とても大きく、地元では、紅葉の名所として知られているらしい。
上総武田氏由縁の古寺として、創基700年、鎌倉時代末期の創建と伝えられる曹洞宗の座禅修行寺で、
江戸時代には、朱印状(※)も与えられており、大寺であったらしい。
なお、明治維新の戊辰戦争の際、横田付近で官軍(明治政府軍)と旧幕府軍が交戦し、
戦いに敗れた旧幕府軍が、この寺と城下の真如寺に落ち延びた言い伝えがある。

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(大倉山妙泉寺。新緑の大変美しい古寺である。)
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(本堂。東西に長い境内で、右隣の庫裏も大きい。)

妙泉寺の梵鐘は、県の文化財に指定されており、不思議な伝説がある。
鎌倉時代末期、佐是村(現・市原市佐是)の八幡様の梵鐘が、
夜に牛の鳴き声の様な唸り音を出していた。
村人達は気味悪がり、ならばと、武士が一太刀切りつけても、鳴り止まなかったそうな。
たまたま、この村を通りかかった、妙泉寺初代和尚・継巌永胤(けいがんえいいん)が、
この唸る鐘を鎮めさせようと、読経をした所、ピタリと鳴り止んだと言う。
和尚が妙泉寺に戻ると、牛の様なものが寺の前に寝ており、「何だろう」と、傍に行ってみると、
あの鳴いていた梵鐘であった。以来、牛の化身として、寺宝にしたと言う。

その梵鐘があるのではと、本堂前の鐘楼に行ってみた所、新しい梵鐘が吊り下がっていた。
鐘楼も新しいので、先の東日本大震災で倒壊したのかもしれない。
後日、県の文化財課に問い合わせた所、古い梵鐘は、本堂で大切に保管しているとの事なので、
安心した。

なお、この新しい鐘楼は、梵鐘と合わせて、地元の有力檀家が単独寄進したらしい。
梵鐘の大きさは、口径2尺4寸(約73㎝)で、創業800年の梵鐘鋳造会社である、
小田部鋳造(茨城県桜川市)が制作した。「絆」の大きな文字が、鋳(い)込まれている。

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(本堂前の新しい鐘楼と梵鐘。)

寺の北東には、鬼門封じの秋葉神社があり、詳細は不明であるが、東の山の上には、
大きな山城もあったと言う。この付近は、古からの要害の地でも、あったのであろう。



このハイキングのお礼に参拝をし、そろそろ、馬来田駅に戻る事にしよう。
出発から、約2時間が経過している。思った以上に、気分もリフレッシュできた。

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(すこぶる天気の良い下、真里谷から武田堰に戻る。)

(つづく)



【おしらせ】
いつも、当ブログにお越し頂きまして、ありがとうございます。
ホームページの開設に伴い、ブログのサテライト化とリニューアルをしました。

試験的に、ウェブフォントを導入しておりましたが、文字が欠ける不具合が多く、中止しました。
Windowsご使用の方にも、当方のMacintoshの画面イメージに近くなるように工夫し、
本文の文字の大きさを10%大きくして、読みやすくしました。

なお、連載中を含め、過去の記事は、全てホームページに移行する予定です。
草津温泉紀行より前の古いシリーズは、全面リニューアルをしますので、一時公開中止になります。

今後も、よろしくお願い致します。

作者・hmd

(※谷/やつ)
丘陵が浸食されて出来た浅い谷。水利も良く、古くから、農地として使われていた。
(※朱印状)
江戸時代、将軍が公家・武家・寺社の所領を確定させる際に発給した公文書。

妙泉寺の梵鐘のその後の経緯について、千葉県教育振興部文化財課にご教授頂きました。
厚く御礼申し上げます。

【参考資料】
現地観光案内板・解説板
うまくたの路マップ(馬来田地区武田堰環境保全会・2013年)
房総ローカル線歴史紀行(伊藤大仁著・崙書房発刊・1990年)
学術論文「関東平野東部、下総層群の層序と貝化石群のまとめ」
(青木直昭・馬場勝良著、地質学雜誌第79巻第7号・1973年7月/
CiNii・NII学術情報ナビゲータより)

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