hmdの鐵たびブログ ローカル線の旅

のんびりローカル線の鉄道旅を、写真を中心に「見る紀行文」で長期連載しています。

【48】清流長良川と奥美濃を訪ねて・・・長良川鉄道(13)郡上八幡観光 その3 八幡城 前半の部  


さて、上柳町から童地蔵がある柳町入り口まで戻り、町のシンボルの郡上八幡城に行こう。
郡上八幡城下町プラザ角の交差点には、登城口があり、直ぐに急坂が始まっている。



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(登城口の石塔と観光案内板。)

坂を登り始めると直ぐに、郡上御坊と言われる、安養寺(あんようじ)【万字マーカー】がある。
浄土真宗の開祖・親鸞上人(しんらんしょうにん)の直弟子が開いたと言われる、
浄土真宗大谷派の大寺で、境内は観光客向けの駐車場になっている。

元々は、近江の蒲生郡(がもうぐん/琵琶湖東岸の近江八幡市付近)にあった寺で、
後に美濃安八郡大榑村(おおぐれむら/現在の岐阜県大垣付近)に移転し、
美濃内でも何度か移転している。
江戸時代の元禄(1690年)の頃、当時の八幡城主の井上正任(まさとう)の命により、
城に北側にある八幡町中坪に移転したそうだ。
後の明治14年(1881年)、八幡城の元・三の丸であるこの場所に、再移転している。

本堂は間口、奥行き共に16間(29m)もあり、
岐阜県内に現存する木造建築物として、最大の建物である。
宝物殿もあり、信長公の書状等の寺宝が収められているそうだ(見学有料)。

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(安養寺山門。柳町入り口側にある。)
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(安養寺本堂。本尊は阿弥陀如来になる。大火の為、昭和11年に再建されたもの。)

安養寺の裏手の急坂を登ると、徒歩5分程で、駐車場のある広場に到着する。
一角に、何処かで見た様なシーンの銅像が・・・とても大きな山内一豊と妻の千代の像がある。
実は、この郡上八幡は、NHKドラマ「功名が辻」で有名になった妻千代の出身地であり、
郡上八幡城を築城した斉藤盛数の娘と言われている。
内助の功で、夫の山内一豊を土佐藩の大名まで大出世させた話は、とても有名だ。

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(城山公園の山内一豊と妻の千代の像。)

その逸話は・・・一豊が、織田信長に仕え始めた頃は、大変貧しく、
千代が実家から持参した金子(きんす/金銭)で名馬を入手し、
京都での「大馬揃え」と言う、信長配下の武将の観兵式(軍事パレード)で、
信長に大賞賛され、出世の糸口を掴んだ。

ちなみに、馬は金十両、米俵75俵(30石/約4,500kg)相当したそうで、
現在の価値にすると、約250万円だった。
信長は、京都の天皇や公家達の前で、織田家の者が売りに出されていた
この名馬を買えなかったと言う大恥を防いだとして、
馬代として200石の知行(ちぎょう/領地、年間約1,700万円)の追加を与えたそうだ。
また、これをきっかけに、信長、秀吉、家康と重用されていった。

此処から先は、車両通行止めとなり、大きな案内板も設置されている。
また、周辺には、火除けの神様を祀る秋葉神社等が鎮守している。

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山城らしい、つづら折りの急坂を15分ほど登り、やっと、城の石垣下まで到着。
かなりきつく、日頃の運動不足が身に染みる所である。

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この石垣は、戦国時代の野面積(のづらづみ)と言う工法で、自然石をそのまま積み上げている。
城の防御の為、石段も不規則に配されており、とても歩き難い。

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石段を登り、城内の丸の内にて、一服・・・狭いと思いきや、意外と平坦地が多い。
庭園は良く整備されていて、大変綺麗だ。

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緑に囲まれた丸の内は、城下町からも、結構な高さがある。
夏紅葉も、綺麗に彩っている。

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2015年11月24日再編集
2015年12月23日加筆
2016年6月12日再編集(文体変更・文章追加・画像整理)

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category: 長良川鉄道 全22話

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