hmdの鐵たびブログ ローカル線の旅

のんびりローカル線の鉄道旅を、写真を中心に「見る紀行文」で長期連載しています。

【42】清流長良川と奥美濃を訪ねて・・・長良川鉄道(7)北濃駅 前半の部  


折り返し発車時刻まで、北濃駅(ほくのう-)を見学しよう。

北濃駅は、国鉄越美南線が美濃白鳥駅(みのしろとり-)以北の最後の延伸開通時の
昭和9年(1934年)8月に開業した駅で、現在も、長良川鉄道の終着駅になっている。
かつては、現在の世界遺産である合掌集落で有名な白川郷への玄関口として、多くのバスが発着し、
夏は避暑・観光客や登山客、冬はスキー客で、大変栄えたそうだ。
また、この付近で伐採された木材を運ぶ貨物列車も、この駅から発着したそうで、
戦後の御母衣(みぼろ)ダムや大白川ダムの建設資材輸送にも使われた(※1)。



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国鉄時代には、更に、福井県側の越美北線の終点・九頭竜湖駅まで延伸して結び、
約150kmもの縦断線となる計画があった。
しかし、太平洋戦争の影響で、福井方から九頭竜湖駅のまでの開通が、
戦後の昭和47年(1972年)と大幅に遅れた事や、
峠越えにループトンネルの掘削が必要で、巨額な費用が掛かる割には、
大きな輸送需要が見込めない事、国鉄末期の巨額な赤字問題もあり、
故・田中角栄元首相の任期中に一時建設が再開される機運もあったが、その夢は叶わなかった。

最終案では、この先にある前谷地区から山に入り、桧峠と石徹白(いとしろ)を経由し、
県境を越えて、約24kmの丙種線路規格(※2)で建設する計画だったそうだ。
現在、ほぼ同じルートに県道があるが、冬期は豪雪地帯の為に通行止となる。


(国土地理院 国土電子Web 石徹白地区【中心十字線】)

駅の見学をしてみよう。
この辺りは、長良川の最上流部であり、奥美濃の最奥部になる。
典型的な山峡部の景色が広がり、北側には、大日ヶ岳(標高1,709m)が聳えている。
南北に配された島式の一面二線のホームと、古い平屋の木造駅舎の無人駅になってる。

駅開業は、昭和9年(1934年)8月、起点駅の美濃太田から72.1km地点、所要時間約2時間、
所在地は郡上市白鳥町歩岐島(ほきじま)、標高446mである。
郡上八幡駅から236m、美濃太田駅から378m上がって来た事になり、
長良川鉄道の全線平均勾配率は、5.2‰(路線キロ相対)になる。
なお、郡上八幡駅以北から急に勾配率が上がっている。
駅名の由来は、旧村名の北濃村からで、奥美濃の北部と言う意味である。

島式ホーム北側のスロープを降りると・・・
長良川鉄道発足時に、建て替えられたらしい観光駅名標が、下車した乗客を迎えてくれる。
国鉄時代にも、良く似た木製の観光駅名標が此処にあり、記念撮影の場所だった様である。
なお、美濃太田駅からの距離72.2kmは、現在の路線キロよりも、100m長い。
長良川鉄道発足時に、白鳥高原駅(旧・二日町駅)から北濃駅間が、100m短くなっているが、
発足時に建てられたにも拘らず、国鉄時代のキロ数になっているのは、不思議である。

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駅舎側からホームを望むと、手前の木が植えられているスペースは側線跡となっている。
構内踏切はアスファルトで舗装され、警報機等は撤去されている。

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長良川鉄道の線路は、民家の敷地の前で途切れており、
草の中に線路が終わっている様子が、未成線の哀愁を感じさせる所である。
一時期は、廃車された気動車が、奥に留置されていたそうだ。
なお、線路横の深い水路は、雪が深いエリア特有の融雪溝である。
今でも、此処だけは、国鉄の頃と変わらずに、大量の水が音を立てて、勢い良く流れている。

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(長良川鉄道の線路終端部。)

駅舎に行ってみよう。
線路と国道に平行して、開業時と思われる中規模の木造駅舎が建っている。
待合室は10畳位の広さがあり、出札口等は板で塞がれて、少し殺風景だ。

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待合室を通り抜けると・・・
駅前広場はとても広く、かつてバスが出入りしていたのが判る。
駅舎左側は、ラーメン屋がテナントで入っていたらしいが、閉店している。
駅名標の文字が、立体的な毛筆体であるのが、この駅の特徴になっている。

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駅開通と同時に、鉄道省のバス(省営自動車/後の国鉄バス)の途中停留所も設置され、
美濃白鳥駅から日本海側の城端線(じょうはな-)城端駅を結んでいた。
当時の省営(国鉄)バスは、鉄道未成線の先行開通の役割もあり、
後には、名古屋から金沢まで行く事が出来、大きな需用があったそうだ。
これが、国鉄バスの有名長距離路線であった名金線で、特急バスで約9時間を要した。

時代が下がると、越美北線との縦断線建設が中止になった事により、
美濃白鳥駅から九頭竜湖駅まで、JRバスが国道158号線経由で運行され、未成部分を繋いでいた。
しかし、冬期運休の上に、普段から乗客が少ない為、平成14年(2002年)9月に廃止されてしまった。
現在、北濃駅前にあるバス停は、郡上八幡から桜の郷荘川間の岐阜バス(※3)のもので、
北濃駅から荘川までは、一日6往復・所要時間約50分だそうだ。
また、その先の白川郷行きのバスもあったが、既に廃止になっており、
長良川鉄道を使った奥美濃ルートでの白川郷訪問は、出来なくなっている。

なお、未確認情報であるが、この先の集落内に有る前谷と言うバス停から、
町営バス→徒歩(10km位)→町営バスで、本来の未成線のルートを辿り、
九頭竜湖駅まで行けるとの情報がある。

駅前から国道156号線を渡ると・・・長良川が流れている。
谷幅も200m前後と狭く、源流に近い為か、水量も少ない。
また、駅から少し離れた上流に、歩岐島集落(ほきじま-)が見える。
歩岐島は、かつての村の名前で、後に北濃村になり、現在の郡上市に合併されている。

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(歩岐島地区から対岸に、平家平橋が架かっている。)

この歩岐島は、江戸時代の有名な農民一揆である宝暦郡上一揆の最終盤において、
宝暦8年(1758年)2月に郡上藩の足軽達が、一揆のリーダーとされた四郎左衛門の家に押し入り、
金銭の帳面や金銭を奪い取った為、歩岐島周辺の農民300人が集まり、足軽達と大乱闘となった。
これを「歩岐島騒動」と言い、同年末には、四郎左衛門は獄門晒し首となった。
翌年、郡上一揆は落ち着き、それまでの藩主の金森氏から、青山氏に代わったそうだ。
当時、奥美濃の白鳥地区は、田畑が痩せて生活が苦しく、重い税を払う為に借金をする程であり、
特に一揆が強かった。白鳥おどり宝暦義民太皷(踊り太鼓)にも、歩岐島騒動の題目が残っている。


(国土地理院 国土電子Web 歩岐島・前谷地区)



相互リンクをさせて頂いている、しなの7号様のブログに、
昭和58年(1983年)夏の北濃駅の様子がアップされています。
「昭和の鉄道員ブログ 鉄道あちこち訪問記1:国鉄越美南線(現長良川鉄道)」



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(※1)御母衣ダムは庄川本流、大白川ダムは庄川水系大白川にあり、長良川のダムでは無い。
(※2)最高時速85km/h(貨物列車等は75km/h)、勾配33‰まで、25m当り木枕木37本。
(※3)現在は、郡上市自主運行バスになっている模様。

2015年11月23日再編集
2015年12月23日加筆
2016年6月8日再編集(文体変更・文章追加・画像整理)

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