hmdの鐵たびブログ ローカル線の旅

のんびりローカル線の鉄道旅を、写真を中心に「見る紀行文」で長期連載しています。

【324】かぶらの里、シルクの鉄路・・・上信電鉄(22)上州福島駅下車観光 城下町小幡[前編]小幡の町並みと雄川堰。  


折角なので、上州福島駅の南約3kmにある、城下町の小幡(おばた)まで行ってみよう。
以前は、駅から路線バスが連絡していたが、利用が振るわず、廃止されたそうだ(※)。
自転車を無料で貸し出す駅レンタサイクルがあるので、それを利用しよう。
女性駅員氏に申し出ると、駅事務室に案内され、ノートに氏名と住所、電話番号、利用目的を記入する。

このレンタサイクルは、平成8年(1996年)から、群馬県自転車活用整備事業費補助金を活用した、
地方鉄道利用促進事業のひとつで、上信電鉄と沿線の市町村が用意し、
上信線利用客は無料で借りる事ができる。
現在、高崎駅・吉井駅・上州福島駅・上州富岡駅・上州一ノ宮駅・下仁田駅にて、実施しているとの事。
なお、借りた駅に返却する決まりで、駅員不在時に借りたり、返却したりが出来ないので注意だ。
高崎駅で自転車を借り、上信線のサイクルトレインを利用して、沿線を巡る事もできる。
(但し、返却も高崎駅。利用可能なサイクルトレインや個人の自転車場合の詳細は、要事前問合せ。)





程度の良い自転車を借り、お母さん駅長氏から、「行ってらっしゃい。」と見送られ、早速、出発しよう。
駅から国道へ出て、右に曲がると、南に行く県道との交差点がある。
この県道を南下するのだが、山に向かって緩やかな上り坂になっており、自転車で15分程度との事だ。
なお、徒歩の場合は、約40分かかるらしい。

すこぶる天気の良い冬日の下、緩やかな上り坂が続く。
自転車には三段ギアが付いており、乗ったまま快走できるので、とても楽である。
西の方を見ると、浅間山、妙義山や下仁田富士が畑の向こうに並んで見え、
古墳の上に鎮座する笹森稲荷神社があり、富岡製糸場の煉瓦や瓦を生産した窯も残っているそうだ。
また、笹森稲荷神社の南を東西に通る町道は、下仁田道よりも古い鎌倉街道だそうで、
この県道との交差点には、群馬銀行の支店やセブンイレブン等が小規模に集まっている。

その先の甘楽町役場とホームセンターの前を過ぎ、上信越自動車道の高架橋を潜ると、道幅が急に細くなる。
高架下から200m程行くと・・・並木と旧家が見え始めて、城下町小幡の北端に到着。
ここから町の中心地に向かって、用水路も南北に流れている様だ。

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(小幡中心地に近づくと、県道の東側に用水路と並木が始まる。)

この小幡は、関東山地北端の稲含山(いなふくみやま/標高1,370m)を源流とし、
甘楽(かんら)を北流している雄川(おがわ)が平野部に出る、緩やかな扇状地に発達した町である。
町は雄川東岸に沿って南北に長く広がっており、肥沃で水捌けが良い土地柄な為、
胡瓜等の野菜、林檎やキウィ等の果物、蒟蒻芋栽培の近郊農業が盛んだそうだ。
町の主な特産品としては、山鳥のキジ肉、蒟蒻、雄川ネギ等があるとの事。
なお、雄川ネギは青ネギで、味と香りが良く、うどん等の薬味に最適らしい。

水利が良く、気候も穏やかである事から、旧石器時代から生活が営まれていたそうで、
鎌倉時代初期の13世紀初め頃には、土豪の小幡氏が本拠地として構えていたらしい。
戦国時代になると、上杉家、武田家、織田家臣の滝川家の配下となっている。
また、雄川上流秋畑地区にある国峰城(くにみね-)を居城とし、南北朝時代の上杉家配下では、
「上州八家」のひとつ、「上州四宿老」(よんしゅくろう/長尾、大石、小幡、白倉)の重鎮であった。
後に武田家配下になると、「武田二十四将」のひとりとして、先陣を切る赤備えを着用する
「上州の赤武者」として大いに恐れられ、あの「井伊の赤備え」の由来にもなったと言われている。
しかし、天正10年(1582年)の本能寺の変後は、小田原北条氏の配下になっていた事から、
豊臣秀吉配下の前田利家らの軍によって国峰城は落城し、徳川家康に所領を明け渡した後、
真田家を頼って信州に去ったそうだ。
現在の地名も、この小幡氏が由来と思われ、かつては、小波多(おばた/読みは同じ)とも記した。

その後は、徳川家康重臣の奥平信昌(のぶまさ/後の美濃加納藩主。長篠の戦いの武功でも有名)、
水野忠清(ただきよ/後の松本藩主)、井伊直孝(なおたか/後の彦根藩主)が短い期間を治め、
大阪夏の陣で豊臣家が滅んだ元和元年(1615年)になると、織田信長の次男・織田信雄に小幡一帯が与えられ、
翌年、信雄の四男である織田信良が小幡藩を立藩。
江戸時代中期の明和4年(1767年)の小幡藩の内紛が表沙汰になる明和事件(※)まで、
8代152年に渡り織田家が続いた後、幕末までは、譜代大名の松平家が4代102年間を治め、明治維新を迎えた。
あの織田信長の孫の家系である事から、国主級の待遇を受け、地元住民から今も親しまれているそうだ。





ここから【A地点】は、自転車を降りて、押しながら歩いて行こう。
県道の東側には、幅の広い歩道が整備され、用水路が並行して北流している。
勢い良く流れる程に水量も多く、周囲に水の音が響っていて、気持ちが良い。
桜並木も堰に沿って続いており、シーズンには、多くの花見客が訪れるそうだ。

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(雄川堰と桜並木。地元では、大堰とも言われている。)

この雄川堰(おがわせき)【カメラマーカー】は大堰(おおぜき)とも言われ、城下町の飲料水、生活、
消防兼灌漑に使われた多目的用水で、雄川約3km上流の扇状地最上段に取水口(大口)が設置されており、
「小堰(こぜき)」と言われる分水路も武家屋敷等に引かれている。
なお、総延長は、大堰約4km、小堰約5kmの計9kmあるとの事。

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(水量は多く、所々に洗い場があり、野菜の水洗い等に今も使われている。)

開削時期は不明で、小幡藩が立藩した江戸時代初期に改修がされた記録があり、
それ以前と相当古いらしい。
取水口からの水は、武家屋敷地区東側を北流しながら、二手に分かれ、横町を迂回した後、
大手門付近で合流し、下流の町家地区と水田地帯に流れ、雄川に再び戻る。
かつては、47箇所以上の洗い場や12箇所の石橋も架かっており、
現在も41箇所の洗い場と5箇所の石橋がある。
明治中期から昭和40年代頃までの養蚕が盛んな頃は、竹製の蚕かご等の養蚕道具の洗い場としても、
使われていたと言う。



寛永19年(1642年)、三代藩主織田信昌(のぶまさ)が、仮陣屋を置いてあった福島から、
この小幡に陣屋を移転した際、雄川堰沿いにこの城下町が形成されたそうで、
とても大きな農家が立ち並んでいる【赤色マーカー】。
明治中期頃に建てられた養蚕農家群で、蚕部屋の天窓を開けた屋根が特徴になっている。
とても立派な建物は、養蚕が莫大な富を生み出していた事を証明している様だ。

また、小幡の旧家は、黒瓦の立派な屋根造りで、地元の笹森地区で生産された福島瓦を使っている。
瓦の生産は比較的後世になってからで、江戸時代後期の天保11年(1840年)から、
小幡藩お抱えの瓦職人が、福島で採れる良質な粘土を使って焼き始めたとの事。
富岡製糸場の瓦や煉瓦の大量生産も請け負い、それ以降もこの甘楽町の工業特産品として、
県内の瓦生産の半分を占める程に栄えたそうだ。
現在も、瓦の生産が行われており、富岡市合同庁舎、学校、公共施設等の大型屋根にも、使われている。

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(小幡の養蚕農家群。敷地は、奥行きがある短冊形になっている。)
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(巨大な海鼠壁の土蔵もある。)

250m程南に行くと・・・街道の東側に、小幡八幡神社【神社マーカー】が鎮座している。
三代藩主の織田信昌の頃に建立された織田家縁の神社で、屋台や神楽が町を練り歩く大祭が名物だそうだ。
山際の小さな神社であるが、江戸歴代将軍の朱印も絶えなかった由緒ある神社との事。
ちょっと、立ち寄ってみよう。

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(山に続く小幡八幡神社の入り口。八幡山と言う、扇状地上の独立した小山に神社がある。)

鳥居を潜って、急な石段を上がると、山際の高台に赤社殿があり、華麗さは無い質素な造りである。
この小幡八幡宮は、小幡陣屋の鬼門封じとして、江戸時代初期の正保2年(1645年)に
領内の高田村(現・妙義町)新光寺の八幡宮を、産土神として勧請された。
拝殿には、江戸時代中期に描かれた、富岡出身の狩野派画家・佐藤深雲作と言われる、
見事な龍の天井絵があるそうで、1.4m四方の大枠に金地に黒龍、46cm四方の54の小枠に
花鳥・人物・動物類が描かれている。毎週日曜日の日中に公開されているが、生憎、今日は平日である。

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(小幡八幡神社の赤社殿。手前の石垣も美しい。この小幡は、建築用石の産地でもある。)

街道に戻り、更に南に歩いて行くと、古い旧家が集まっている一角があり、
この町家地区の一番の見所になっている。
小幡の観光案内でも、良く紹介されている信州屋【黄色マーカー】は、
明治38年(1905年)に建てられた築100年を超える商家で、信州から移住してきた宮嶋家が、
呉服商や質屋を営み、後に薬、煙草や雑貨等も扱ったそうだ。
昭和の初めには、並びに宮嶋商店が開店し、当時はハイカラだった自転車も販売していたとの事。
また、大正時代からは、養蚕にも使われていたそうで、現在は、無料休憩所兼観光案内所になっている。
南の並びには、廃業した古い旅館の茂木館や有賀茶店(現・甘楽町歴史民俗資料館別館)等もある。

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(信州屋。甘楽産生乳を使ったソフトクリームやコーヒー等も提供するカフェも併設。)
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(古い看板類。店の中央部には、煙草のショーウィンドウもある。)
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(旅館茂木館は、町の商人宿として利用されたそうだ。廃業の時期は不明。)
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(明治中期以降建築の商家の有賀茶店。蔵は改装され、甘楽町歴史民俗資料館別館になっている。)

信州屋の前を過ぎると、大きな赤煉瓦倉庫のある大手門交差点【B地点】に到着する。
この付近が、現在の町の中心地らしく、住宅も密集し、近くに小学校もある。

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(大手門交差点。駅方向の北を望む。右手の桜並木の後ろに、信州屋と茂木館がある。)

交差点角の赤煉瓦倉庫は、大正15年(1926年)1月に建てられた
旧・甘楽社小幡組(かんら-)の繭保管煉瓦倉庫【美術館マーカー】である。
太平洋戦争中の昭和18年(1943年)に小幡組は解散した為、
その後は、農業協同組合の農産物や肥料の倉庫として、使われていたそうだ。
昭和59年(1984年)に町が買い受け、昭和62年(1987年)5月に町の歴史民俗博物館としてオープンした。

甘楽社小幡組は、生糸の品質検査や共同販売をしていた製糸農業協同組合で、当時は組合製糸と言ったそうだ。
明治11年(1878年)に、各養蚕農家で座繰りで紡いでいた生糸を集め、
生糸揚げ返し(小枠巻きの生糸を大枠に巻き取る作業)をする、小幡精糸会社(製糸ではない)が始まりで、
品質を揃えて、出荷を行った。また、町役場の近くには、小幡組の由来碑も建立されている。
なお、生糸揚げ返し作業は余分な工程とも思われるが、湿度の高い日本では、生糸の粘着防止になり、
座繰り糸の改良にも応用されている。当時の富岡製糸場でも、フランス製機械での揚げ返しを行っていた。

また、養蚕、製糸や機織りの主な担い手は、農家の女性達であり、
有名な「上州名物かかあ天下」の由来になっている。
女性が強い意味に取られがちであるが、本来は、働き者の女性の意味であり、
一家の家計を支えていた例えである。
最盛期の大正初期には、甘楽町の全世帯の7割が養蚕農家で、辺り一面は桑畑だらけだったそうだ。

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(旧・甘楽社小幡組倉庫。現在は、甘楽町の歴史民俗資料館になっている。)

赤煉瓦倉庫の向かいに、町営無料お休み処・大手門【案内マーカー】があるので、
ここに自転車を置かして貰うのをお願いしてみよう。

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(町営無料お休み処・大手門。教会風の窓が可愛らしい。)

中を除くと、三人の地元中年女性がおり、自転車を置くのを快諾して貰う。
「どうぞ、お茶でも飲んでいって下さい。」との事で、お言葉に甘えて、ご馳走になる事にした。
ここは、観光案内所と町民のコミュニティ施設(公民館機能)を兼ねた甘楽町直営の施設で、
今日も二階でサークル活動をしているそうだ。

お茶を頂きながら、地元の話を聞くと・・・
南には稲含山(いなふくみやま/標高1,370m)が壁の様に聳え、冬の季節風は強く、気温は低いが、
雪や台風襲来も少なく、とても住みやすい土地柄との事。
また、この付近の標高は200m程で、年間降水量が990ミリ(※)と大変少ない土地柄であるが、
稲含山系より水量の多い川が幾つも北流し、用水路もあるので、水には困らないそうだ。

春には、雄川沿いや町中に桜が咲き乱れる花見の大名所になっており、
甘楽町最大の小幡桜まつりでは、武者行列や芸能人が扮した姫様行列も催されるとの事。
案内所にも、桜まつりの写真が沢山飾られている。



15分程、休ませて頂き、お茶をご馳走になった。
観光散策マップと見学ポイントを教えて貰い、ここからは、徒歩で散策してみよう。
城下の武家屋敷通りや大名庭園、陣屋跡が残っているそうだ。
小幡全域や上流の雄川堰取水口等もじっくり見学すると、半日から丸一日かかるが、
武家屋敷通りと町中の雄川堰周辺ならば、2-3時間で見学できるとの事。

ここは、陣屋の表門である大手門あった場所で、建物裏に礎石が保存されており、結構大きい。
この交差点から南側が、陣屋、藩役所や役人宅のエリアであったそうだ。

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(大手門の礎石。織田家の高い家柄から、立派な四脚門であったそうだ。)



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城下町小幡の訪問は、同年秋の追加取材時になります。
本取材とカメラ機種が違うので、若干色調が異なります。ご容赦下さい。

(※甘楽町内の路線バス)
平成7年(1995年)に、最後の二路線が廃止され、町内の路線バスは全廃している模様。
(※明和事件)
尊王倒幕思想の儒学者・山県大弐(やまがただいに)らを謀反人として、幕府が処刑した事件。
小幡藩七代藩主・織田信邦(のぶくに)は、山県大弐の門弟・吉田玄蕃を家老として用いており、
それによる藩の内紛と連座責任を問われ、出羽高畠藩への移封と国主格剥奪となった。
(※日本の年間降水量)
全国平均で約1,700ミリ。東京は約1,400ミリ。世界平均の約2倍ある。
1,000ミリ以下の土地では、溜池等の灌漑設備が古くから整備されている事が多い。

【参考資料】
現地観光案内板・解説板
歩きたくなるまち「小幡」まち歩きマップ(甘楽町産業課発行・2015年)
城下町小幡観光マップ(発行元不明。町営観光案内所・大手門にて入手。)
日本遺産かかあ天下-ぐんまの絹物語-(かかあ天下ぐんまの絹物語協議会発行)
甘楽町公式HP「甘楽町歴史的風致維持向上計画PDF資料」・「甘楽町指定文化財」・「観光情報」

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category: 上信電鉄2日目 全12話

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