hmdの鐵たびブログ ローカル線の旅

のんびりローカル線の鉄道旅を、写真を中心に「見る紀行文」で長期連載しています。

【323】かぶらの里、シルクの鉄路・・・上信電鉄(21)上州福島駅  


時刻は11時前。富岡製糸場の見学を終え、上州富岡駅に戻る。
次は、上州福島駅に行ってみよう。

上州富岡駅止まりの駅舎側ホームに留置している電車が、折り返しの上州富岡始発高崎行きになる。
発車の10分前になると、若い駅員氏の乗車案内があり、構内踏切を渡らずにスロープを上って、
駅舎側ホームに停車している電車に乗車する。
マンナンライフラッピングの500形第二編成の乗客は十数人と、この駅からの乗客は意外と多い。

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(上州富岡駅始発の高崎行きに乗車。冬の暖かな日差しが、車内に差し込んでいる。)



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上州富岡駅1110======1116上州福島
上り(普)126列車・普通高崎行(500形第二編成)
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市街地の中を東に真っ直ぐに走り、上州富岡駅よりも早く富岡製糸場を模した駅舎がある、東富岡駅に到着。
富岡市の新しい開発地区として、大きな工場や市立総合病院がこの周辺に建てられた事から、
市が設置費を全額補助し、平成2年(1990年)開業の新しい請願駅になっている。
また、この駅構内の架線柱には、軽便鉄道時代の古レールを使っているとの情報があるが、
今回は立ち寄って確認する事が出来なかった。

東富岡駅を発車すると、鏑川の河岸段丘の急勾配を下り、上流鏑川橋梁を渡る。
返しの上り勾配を1,000m弱登って行くと・・・上州福島に約6分で到着する。
吊り下げ式駅名標を見ると、何故か、うさぎのキャラクターと「ふく」が踊った様に大きくなっている。
広告部分が差し込み式はなく、スポンサーが全面制作した様なので、その意向だろう。

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(上州福島駅を発車して行く、高崎行きマンライライフ号電車。)
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(吊り下げ式電光駅名標。地元食品会社のヨコオデイリーフーズが、スポンサーになっている。)

この上州福島は、明治30年(1897年)5月5日に上野鉄道(こうずけ-)が初開通した区間の
終端側であった。同年の7月2日に、この駅から南蛇井駅(なんじゃい-)までが、延伸開通している。
起点の高崎駅から16.6km地点、11駅目(開業当時は3駅目)、所要時間約33分、
甘楽郡甘楽町(かんら-)、標高138mの時間限定業務委託駅になっている。
なお、電化改軌直前に、福島駅の前に上州の名を冠したのは、上州富岡駅と同じ理由だ。
開通当時の人口は3,000人程で、養蚕や商業が盛んであったとの事。

ホームは東西に配されており、番線が振られていない駅であるが、通常の左側進行になっている。
島式ホーム一面二線に高崎方の構内踏切、南側に木造駅舎があるのは南蛇井駅と同じで、
ホームの外側に貨物側線が一本あるが、今は使われていない。
なお、このホームは、電化改軌時に対向式ホームから変更されたものらしく、
大正時代の竣工と思われる古い擁壁が、下仁田寄りに約1両分残っている。
戦後の昭和56年(1981年)の近代化工事で、鉄骨波形スレート屋根の旅客上屋と舗装が施されたとの事。

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(改札口前から島式ホーム全景。南蛇井駅や上州一ノ宮駅と、同じデザインである。)

下仁田方は、鏑川に向かって、真っ直ぐな下り勾配になっている。
900m先の右カーブ下に上流鏑川橋梁があり、河岸段丘を通過する為、両岸に大きな段差がある。

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(下仁田方。こちら側のホームが古く、高崎方に延長された様だ。)

下仁田寄りの貨物側線には、石灰石専用有蓋貨車(ゆうがい-※)のテム1形が2両留置されている。
今は、倉庫として使われているらしい。再塗装されているので、車番が判らないが、テム2・3との事。
なお、高崎に2両、下仁田に3両留置されており、上信電鉄所有の10両のテムは、
2両が保存車に、5両が倉庫として使われている以外は、廃車解体になっている模様だ。

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(倉庫として使われているらしいテム2・3。)

高崎方も、真っ直ぐに東に伸びている。
丁度、上信線の中間地点である事から、電化時に建設された福島変電所が見える。
福島の市街地を抜けた350m先は、大水田地帯の中を走る直線区間に入る。
また、外側の貨物側線も変電所前まで延びていて、かなり長い。

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(高崎方と独特な屋根の福島変電所。)

高崎寄りのホーム北側には、大きな観光案内看板が設置されているのが目を引く。
駅からは少し離れているが、南に約3km行った所に城下町の小幡(おばた)がある。
江戸時代には、小幡藩と言う小藩が置かれていた歴史ある小さな町で、
織田信長の子・織田信雄(のぶかつ)の四男、信長の孫にあたる織田信良(のぶよし)が立藩したそうだ。
今でも、陣屋跡や大名庭園、町家、用水路等が残っており、
調査に基づいて再整備された大名庭園の楽山園は、国の名勝に指定された歴史公園になっている。

なお、この上州福島駅周辺は甘楽町の中心地ではなく、江戸時代初期に陣屋が仮に置かれ、
小幡藩お抱えの瓦職人による福島瓦(黒瓦・油瓦)の生産が盛んだった土地であるが、
先述の南3kmにある小幡や更に山際の秋畑が中心地となっており、駅からは相当離れている。
甘楽エリアの町は鏑川沿いに発達している町が多く、南外れの大きな町はこの小幡だけであるが、
下仁田道が小幡を通らず、上州福島駅周辺に福島宿が設けられた為に分離しているらしい。
駅周辺と国道沿いの町並みは、昭和40年代頃から、商業地として発達したとの事だ。

また、甘楽町は、東の高崎市と西の富岡市に挟まれ、南北に細長いバナナ型の町域を有しており、
富岡市との合併も検討されたが、住民投票で否決され、旧郡名の「甘楽」を継承する歴史ある町だ。
織田宗家由縁の町としての誇りが、町民に根強いのだろう。
元々、甘楽郡は、東は高崎市の西の一部(当時の高崎市の殆どは、多胡郡に属す)、富岡、
西は下仁田・西牧・南牧を含む大きな郡であったが、戦後の市町村独立によって縮小した経緯がある。
その為、現在、甘楽郡甘楽町にある駅は、上州福島駅と上州新屋駅(にいや-)の二駅のみになっており、
上州新屋駅より東側は高崎市、上州福島駅から西側は千平駅(せんだいら-)まで富岡市、
下仁田駅のみが飛び地の様に甘楽郡下仁田町になっている。

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(線路際の大きな観光看板。地元古刹の笹森稲荷神社も、有名らしい。)

幅広の構内踏切を渡って、駅舎を見てみよう。
駅舎が日当たりの良い南に面しているので、あまり湿気ぽくないのが、良い感じである。
構造的には、南蛇井駅と共通する造りになっているので、開業時の標準的設計になっている様だ。

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(ホームからの駅舎。)
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(構内踏切とホーム側改札口。連絡通路部分が無く、構内踏切とストレートに接続している。)

待合室も南蛇井駅とほぼ同じ大きさで、東の高崎方にロングベンチがあるのも、全く同じである。
なお、上州富岡駅の初代木造駅舎は、三角屋根のある大きな駅舎だったらしいので、
異なるデザインだったそうだ。

また、この上州福島駅は業務委託の時間限定駅であるが、
他の業務委託駅と違い、日曜日や第二・四土曜日も駅員が配置されている。
平日と第一・三・五土曜日は6時16分から19時54分まで、
休日と第二・四土曜日は7時07分から15時22分までになっている。
因みに、直営駅は始発から終電まで駅員が居り、高崎・吉井・上州富岡・下仁田が該当する。

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(改札口周辺。近年、バリアフリー化工事がされたらしく、コンクリートも真新しい。)
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(出札口。出っ張っている窓口は、やはり増築部分らしい。自動券売機は無い。)

待合室のベンチ側柱には、「綜合かぜ薬 強コーカ錠」の古めかしい寒暖計が・・・
この上信線でも良く見かけるのであるが、メーカーから寄進されたものなのだろう。
奈良の家庭配置薬メーカーらしく、所謂、「富山の置き薬」であるが、奈良も置き薬メーカーが多い。

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(待合室の柱に掲げられた広告付き寒暖計。)

駅前に出てみると、ロータリーは無く、タクシーが二台程度停まれるスペースだけで、直に道路に面している。
駅舎正面の左前には、井戸屋形(屋根付き井戸)があり、この駅の名物になっている。
駅員が住み込みで働いていた頃の生活用水兼業務用水であるが、
駅舎裏や宿舎横に設置されている場合が多いので、珍しいかもしれない。

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(駅舎全景。駅舎東隣には、瓦葺きの公衆トイレがある。)
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(駅出入口。南蛇井駅と同じ、向拝のある車寄せを設ける。)
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(名物の駅井戸手動ポンプ。今は、喫煙所になっている様だ。)

駅前には商店街は無く、昭和風の看板建築商店が二軒だけ構えている。
クリーニング店兼靴屋と時計店があるが、靴屋の部分は営業していない雰囲気だ。

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(駅前商店。)



高崎方に見える、福島変電所に行ってみよう。
線路に沿って、道路があるので、間近に見学が出来る。

この福島変電所は、上信線の電化当時に建てられた鉄筋コンクリート製二階建ての大きなもので、
現在も上信線全線の給電を行っている。
当時の電化計画では、地元電力会社の高崎水力電気を買収して、
同社が所有する烏川にある室戸発電所(むろと-)から直接給電する計画であったが、
一箇所だけの発電所では、渇水時の発電量不足が指導官庁より不安視され、
東京電燈(現・東京電力)から高圧電流を受電する事に変更された為、建設された。
なお、その際に合併断念の補償として、室戸発電所も有償譲渡された(※)。

設置されている変圧器も、電気機関車デキと同じドイツ・シーメンスシュッケルト社のもので、
建設時にドイツからの指導技術者も来日したそうだ。
現在は、より安定した給電の為、架線電圧が降下しやすい路線末端部の高崎寄りの山名駅(やまな-)と、
下仁田寄りの南蛇井駅の駅構内にも、小さな補助変電設備が設けられている。
なお、このふたつの補助変電設備は、昭和56年(1981年)に、本社からの遠隔操作化がされている。

しかし、この福島変電所を建設するに当たっても、監督官庁からの指摘があり、
主変圧器を二基備える予定であったが、予備の変圧器が無く、電車運行の安定性を欠くという指摘がされた。
そこで、設計を一部変更し、予備変圧器を追加注文した為に工事は遅れ気味であったが、間にあったそうだ。
なお、この福島変電所と高崎-上州富岡間の改軌工事は、高崎市の井上組(後の井上工業)が請け負っており、
あの高崎白衣大観音を建立した、井上保三郎氏の建設会社である。
架線等は、足尾銅山を再開発した古河鉱業グループの古河電気工業から購入し、
東京の長井電気商会が工事を請け負ったとの事。

※上信電鉄の電化と電力事業については、当シリーズの過去記事にも記述があり、参考にして頂きたい。
【308】かぶらの里、シルクの鉄路・・・上信電鉄(6)上信電鉄の電化と車両[前編]

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(駅構内にある福島変電所。シンプルな無塗装鉄筋コンクリート建てである。)

また、福島変電所の線路向かい側には、マンナンライフ甘楽工場がある。
昭和39年(1964年)創業の新しい会社であるが、
おなじみのフルーツ味付け蒟蒻ゼリー「蒟蒻畑」で急成長した会社である。
現在、富岡市内に本社工場を置き、この甘楽工場と曽木工場の三工場で生産している。
年間売上約100億円、従業員は約100名の地元を代表する中小企業になっており、
可愛らしいラッピング電車のスポンサーにもなっている。

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(マンナンライフ甘楽工場。大型トラックが積み込みを行っていた。)

下仁田特産の蒟蒻は、かつては生芋を使った蒟蒻や白滝等を作っていたが、重く扱いにくかった。
大正時代に下仁田倉庫社長の桜井朝雄氏が、取り扱いや保存がし易い蒟蒻芋の粉末化に成功し、
積極的に拡販した事から、下仁田蒟蒻の知名度が全国に広まったそうだ。
蒟蒻ゼリーは牛由来のゼラチンの代わりに、蒟蒻芋の主成分である
水溶性食物繊維グルコマンナンを使った製品で、開発当時は売れるかどうか心配したと言う。
また、この上州福島周辺でも、蒟蒻芋作りが盛んになっているそうで、
駅名標スポンサーのヨコオデイリーフーズも、地元小幡の蒟蒻製品製造会社である。




新屋を過ぎて福島は
初午(はつうま) 二の午 三の午
古山老松天つくは
忘るな笹の稲荷様

上信電鐵鐡道唱歌より/北沢正太郎作詞・昭和5年・今朝清氏口伝。
※笹の稲荷=上州福島駅の南にある、地元古刹の笹森稲荷神社の事。



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(※有蓋貨車/ゆうがいかしゃ)
風雨を避ける屋根付きの汎用貨車。石灰石は水に触れると、発熱する為に導入された。
屋根の無い汎用貨車は、無蓋貨車(むがいかしゃ/国鉄形式はト)と言う。
(※室戸発電所)
合併契約解消の補償として、9万円で譲渡され、別に電化補助費5万円が上信電鉄に支払わられている。
当初は、鉄道への給電を行わず、東京電燈に売電を行っていた。後に、自社の電力事業に活用された。

【参考資料】
「上信電鉄百年史-グループ企業と共に-」(上信電鉄発行・1995年)
「ぐんまの鉄道-上信・上電・わ鐵のあゆみ-」(群馬県立歴史博物館発行・2004年)
甘楽町公式HP

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category: 上信電鉄2日目 全12話

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