hmdの鐵たびブログ ローカル線の旅

のんびりローカル線の鉄道旅を、写真を中心に「見る紀行文」で長期連載しています。

【186】信州松代、あるローカル線の最後の秋に訪ねて・・・長野電鉄屋代線(32)小布施めぐり[3]ながでん電車の広場 旧型電車。  


また、ED502号機の奥には、三両の旧型電車も展示されている。
車体は綺麗に再塗装されている反面、車内の傷みが激しいが、見学も出来る。
これらは、両運転台付き電車なので、単行運転も可能だった車両である。
しかし、通路幅に余裕が無いので、車両正面の撮影は困難だ。

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(ながでん電車の広場の旧型電車。)



先ずは、手前側の車両から順に、見学してみよう。
重い乗降扉をグッグッと引いて、車内に入る。

【デハニ201】(廃車時モハ二131) ※長野寄りの一番手前の電車。

大正15年(1926年)製造、汽車製造、全長16.7m、自重30.08t、定員78名、
客用二扉車・高ステップ+荷物用一扉車、客貨合造電車(定員78名+貨物2.03t/14.61m³)。

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(デハニ201の形式標。)

河東線が電化された際に、導入された貴重な電車で、長野電鉄が初めて発注した半鋼製電車である。
車体にリベットがあり、小さな貨物室が片側に併設されているのが特徴だ。
昭和55年(1980年)春に引退している。

運転台に速度計が無く、運転士の経験に頼るのは、ED502号機と同じである。
乗務員室扉も無いので、乗務員も客用乗降扉から乗り込む。
その為か、乗務員室と客室の境も、路面電車の様な半開放になっている。
また、乗降口ステップ、木床、電灯カバーや木造肘掛けに時代を感じ、つり革もとても長い。

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(三面窓の中央にある運転席周辺。)
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(車内の様子。向こう側が、四畳程度の貨物室になっており、鉄道手小荷物も一緒に輸送していた。)

つり革には赤ラベルの広告があり、「あなたが育てた 長野の丸光」と書いてある。
長野中心部の門御所町あった、県内初の本格的な地元系百貨店だったそうで、
最末期は、長野そごうとして営業していたが、平成12年(2000年)に閉店している。
ながの東急の前身・丸善のライバル店だったそうだ。

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(ロング吊革。)

【デハ354】(廃車時モハ604) ※電車三両の中程の車両。

昭和2年(1927年)製造、川崎造船所、全長17.1m、自重31.4t(長野電鉄時代)、
定員100名、三扉車、高ステップあり。

半鋼製車体が一般的だった当時、珍しい全鋼製車体で、車体にリベットがある。
後年、同じ県内の上田交通(現・上田電鉄)に譲渡され、同社で活躍していたが、
昭和61年(1986年)に、保存の為に里帰りをした車両である。

深い屋根、お椀を伏せた様なベンチレーター、乗降扉上の独特なカーブの水切りが特徴で、
屋根は赤く塗られている。

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(デハ354の赤屋根とベンチレーター。※トリミング拡大。)

この車両も、速度計や乗務員室扉は無く、半開放タイプの乗務員室になっている。
上田交通時代に、モーターを外して無動力化された為、車内にクハ271の表示がある。
照明は白熱電灯と直管蛍光灯を併設、上田交通時代に蛍光灯が追加されたかもしれない。

内装は木造部分が多く、燃え易いので、「喫煙は危険」との注意書きプレートがある。
向こうに置いてある赤い箱は、「お稲荷様」と言われた、タブレット閉塞機だ。

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(運転席周辺。)
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(車内の様子。)
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(車内の注意書きプレート類も懐かしい。)

【モハ1005】(廃車時モハ1003) ※湯田中方の一番奥の電車。

昭和24年(1949年)製造、日本車両製造、全長17.6m、自重36.0t、
定員120名、二扉車、低ステップあり、運輸省規格形電車。

終戦直後に製造された電車で、当時、14両が在籍する最新型主力電車であった。
車体製造技術の向上で、車体のリベットは無く、正面顔もアールが付いている。
この電車の客用乗降扉は、当時最新の全自動扉を採用した。
それまでは、扉を開ける時は手動で、締める時とロックのみ自動であった。

やはり、運転席には、空気圧力計はあるが、速度計は無い。
乗務員室は、現在の車両と同じ密閉タイプになり、
乗務員室扉の内横に、モスグリーンの逆U字箱の車掌スイッチ(戸締め操作装置)がある。

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(運転席周辺。左側に寄っている。)
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(車内の様子。)
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(手ブレーキハンドルと車掌スイッチ。)

ドアが中央に寄った二扉車の為、運転席後ろに短ロングシートがあるのが特徴だ。
低い乗降口ステップと乗務員室扉が別にある(前の二両は無い)。

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(モハ1005の乗務員扉。)



デハ354とモハ1005の連結面が見られる(リベットのある方が、デハ354)。
当時の機関車、貨車や客車と同じ、肉厚なげんこつ型の自動連結器を装備している。
その中でも、柴田式と言われる標準的なタイプだが、遊びの部分が大きい為に振動が大きく、
後年の電車への採用例は少なくなっている。

また、鉄道手小荷物輸送が盛んだった昔、電車後方に貨車を1-2両連結して同時運行する、
客貨混合列車(別称・ミキスト)も、ローカル民鉄では良く見られた。
その為、貨車と同じ、この自動連結器を装備している場合がある。

長野電鉄のミキストの資料が手元に無い為、残念ながら、詳細は不明である。
貨物室付き電車デハニを導入し、ED5000形が電化導入初期から在籍していたので、
客貨分離が早くから行われたのだろう。
なお、急勾配がある為に進行方向に貨車を連結し、信州中野から湯田中へ、
電車で貨車を押し上げたとの話もある。

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(デハ354とモハ1005の連結面と柴田式自動連結器。)

ホーム側からは行けないが、向こうに、鉄橋も鉄道記念物として展示している。
北須坂-小布施間に架けられていた、英国製ピントラス鉄橋の松川橋梁だそうだ。
大正12年(1923年)に架橋され、平成2年(平成2年)の架け替えまで、使われていた。

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(旧松川橋梁。※3番線ホームから低倍率撮影。)

資料によると、明治20年(1887年)頃製造(推定)、大正11年(1922年)鉄道省払い下げ、
全長100フィート(30.5m)、高さ9フィート(2.7m)、重さ約54tとの事。
大きなピンを使い、トラスを桁に止めている元祖的なトラス構造で、
官営鉄道(後の国鉄)で使われていた鉄橋の払い下げを受けて、導入したそうだ。

また、日本は英国式鉄道を導入したが、後年、鉄橋については、
災害の多い日本によりマッチングし、丈夫で、構造理論設計に優れる米国式を採用している。
輸入鉄橋の中でも、英国製は初期のもので、
その後は、アメリカンブリッジ社等のアメリカ製が多くなっていく。



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(※)
なお、屋代線の廃線に伴い、ED502と旧型電車3両の全車両が、旧・信濃川田駅に移動した。
その後、ED502と一部の電車が、美術館や長野市内の民間会社に譲渡されたそうだ。
松川橋梁も、長野市内の民間会社に譲渡され、ED502と共に保存されている。
(2016年1月14日現在)

2016年12月27日再編集(記事分割・画像再処理高解像化・文章修正)

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category: 北信州小布施めぐり 全8話

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