hmdの鐵たびブログ ローカル線の旅

のんびりローカル線の鉄道旅を、写真を中心に「見る紀行文」で長期連載しています。

【318】かぶらの里、シルクの鉄路・・・上信電鉄(16)上州七日市駅と七日市藩邸跡。  


上州の一ノ宮である、貫前神社(いちのみやぬきさき-)から、上州一ノ宮駅に戻る。
時刻は15時半前。冬の斜陽は早く、黄昏れて来ているが、あと1時間は大丈夫だろう。
隣駅の上州七日市駅(じょうしゅうなのかいち-)に向かうとする。



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上州一ノ宮1526======1528上州七日市
上り普通(普)42列車・高崎行き(7000形2両編成)
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上州一ノ宮駅高崎方面の1番線ホームに、最新形の7000形がやってくる。
改札前の女性駅員氏に見送られながら、直ぐに発車となる。
右カーブ先の住宅が横に並ぶ川崖沿いを走り、大きい左カーブ途中の国道踏切を通過して、
小盛り土の直線の線路をそのまま下って行くと、2分程で上州七日市駅に到着する。

上州七日市駅は、富岡市街地最西端にある、単式ホーム一面一線の小さな駅だ。
明治45年(1912年)4月に、地元請願により追加設置された駅で、
当初は、七日市駅であったが、電化改軌による国鉄貨車直通化の為、
大正10年(1921年)12月に「上州」の名を冠している。
起点の高崎駅から21.8km地点、15駅目、所在地は富岡市七日市、標高172mあり、
曜日時間限定の業務委託駅になっている。
なお、この七日市の地名の由来は、市が七の日に立ったと言う事ではなく、
勅使の車を駐める為に七日間、市の如く人が集まった事が由来だそうだ。

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(建て植え式駅名標。)

先に、改札にいる女性駅長氏に、1日フリー乗車券を見せて、見学と撮影の許可を貰おう。
上信線は地方ローカル民線でありながら、他の路線と違って、有人駅の割合がとても高い。
無理に無人化をせず、本来の鉄道サービスを維持する姿勢の現れだろう。

ホームは上り北東・下り南西に配されており、駅舎は南東側に建っている。
比較的幅の広い単式ホームで、列車交換ができない駅としては大きな駅舎を擁しており、
駅周辺に新興住宅地が広がっている様だ。

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(下仁田寄りから、ホーム全景。)

下仁田方は、緩やかな勾配が続いており、その先のカーブの途中で、
市街地経由の国道254号線と平面交差する。
なお、富岡バイパスは、市街地を避ける為に北側の山寄りに寄って、上信線とは交差しない。

高崎方は、富岡市の中心部に向かうので、住宅が建て込んでくる。
近くに小学校もあるので、ホーム端の直ぐ先には、線路の下を潜る通学用地下道がある様だ。
何故か、ホーム端に波形トタン平屋根の旅客上屋があるが、
駅員不在時は列車最前方の乗降扉のみ開閉するので、その為に造られたものだろう。

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(高崎方と平屋根の旅客上屋。※下仁田方は完全逆光の為、撮影困難。ご容赦願いたい。)

改札口を通ると・・・天井は高く、待合室も広い。
直接接続している駅出入口が、二箇所あるのも、珍しい構造である。
なお、近代化工事事業により、昭和57年(1982年)3月に、駅舎の改良が行われているそうだ。
南蛇井駅や上州一ノ宮とは異なるデザインで、どことなく、国鉄ローカル線風の駅舎とも言え、
出札口周りも横一列ではなく、三面のボックス形になっている。

また、業務委託駅であるので、駅員の配置時間が限られている。
平日と第一・三・五土曜日は、6時02分から9時52分と14時22分から20時07分まで配置しており、
休日と第二・四土曜日は配置無しである。自動券売機は無く、駅員勤務時は硬券切符も入手できる。

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(ホーム側改札口。)
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(改札口と出札口。左手が、平入りの駅正面出入口になる。)

小さい駅ながら、待合室は広く、窓の面取りも大きい。
向こう側には、第二の出入り口があり、駅舎の妻面に設置されている。
天井も、羽目板を横に並べたものではなく、新建材風の大きなパネルになっている。

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(駅正面出入口付近から待合室内。破損した窓ガラスには、磨りガラスが入っている。)

南側の平入りに正面出入口があるが、東側の妻入りにも、小さな出入口がある。
民家とホームの間を通るので、車や自転車は通れず、通用路の様であるのが面白い。

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(妻入りの駅出入口。)

正面の平入りの出入口は、南にある国道に通じている。
駅は住宅地の中に建っており、ホームの高さに駅舎を建ててある為、コンクリート階段がある。
駅名標が無いと、まるで民家の様な雰囲気だ。
また、階段左に玄関があり、駅員が住み込みで勤務していた頃の名残であろう。

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(平入りの正面駅出入口。)
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(駅出入口から南を望む。)



この七日市は、江戸時代まで、七日市藩の陣屋が置かれた村であったそうだ。
石高1万3000石の小藩であったが、あの加賀百万石の前田利家(としいえ)の
五男・前田利孝(としたか)が、江戸初期の元和2年(1616年)に立藩し、
上州では唯一の外様藩であった。
初代藩主の前田利孝の少年期は、江戸幕府の人質として、「まつ」こと利家正室の芳春院
(ほうしゅんいん)と江戸で過ごし(※)、慶長20年(1615年)の大阪夏の陣で武功を挙げ、
この甘楽十八ヵ村に所領を得たとの事。
駅の近くに、藩邸が保存されているそうなので、ちょっと行ってみよう。



駅の正面出入口から、真っ直ぐに南に歩いて行く。
新興住宅地の中に、立派な門構えの旧家が構えている。
七日市藩の家老を務めた、保阪家の長屋門【赤色マーカー】だそうだ。
立藩時、本家の加賀藩から、引き連れて来たとの事。

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(保阪家の長屋門。)

長屋門の前を過ぎ、国道254号線の交差点に出ると、
向かい側に玉石積みの古い高石垣があり、群馬県立富岡高等学校となっている。
この高校は陣屋跡に建てられたもので、校内の一角に藩邸と門が保存されている。

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(群馬県立富岡高校正門。群馬県の古い高校は、男女別学になっており、男子校である。)

正門の左手を見ると・・・木々が生い茂った場所があり、そこに藩邸が保存されている。
見事な日本庭園は、ここが高校である事を忘れる程で、池には悠々と鯉が泳いでいる。
なお、一度焼失した為、江戸時代末期の天保14年(1843年)に再建されたものとの事。
鬼瓦や軒丸瓦に刻まれた家紋は、梅花を象った加賀藩と同じ梅鉢紋であるが、
本家の加賀藩は花芯に短剣の装飾があり、七日市藩は装飾無しになっている。

藩邸は御殿とも言われ、廃藩置県の際に鏑川学校(かぶらがわ-)として使う為、
360坪程あった内、その2/3の約210坪は取り壊されてしまったそうだ。
現在は、正面玄関と書院付近の一部が保存されており、
昭和初期に東向きだった御殿を北向きにし、戦後に移築しているとの事。
かつては、北東隅の通称・御殿山と言われる場所には、櫓台(やぐらだい)もあった。

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(七日市藩邸と大名庭園。)

藩邸東側の道路に面した場所には、中門も残っている。
黒門とも言われ、本家加賀藩の赤門(現・東京大学赤門)と、対になっているそうだ。
他の三つの門も現存するが、富岡市と下仁田町の民家に、移築保存されているとの事。

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(七日市藩邸黒門。火災除けの願を掛けたと言われる。)

七日市藩の前田家は外様大名であったが、家康ゆかりの駿府城や大阪城の守護役を歴代務め、
移封や改易も無く、明治4年(1871年)の廃藩置県までの255年間・十二代続いたそうだ。
しかし、小藩であるが故に藩財政は厳しく、本家加賀藩の援助でやっと凌いでいたと言う。
藩財政は苦しかったが、他の上州の諸藩と比べて、年貢の無理な取り立てをせず、
基金を設立運用して、妊婦、乳児、多子の者や生活困窮者に手当金を支給する等、
領民に優しい藩主であったらしい。

実は、敷地の北側の一角の空き地には、「陸軍中野学校終焉之地」の小さな石碑もある。
諜報機関教育機関(スパイ養成学校)であった、帝国陸軍中野学校が、
終戦直前の昭和20年(1945年)3月の東京大空襲後、ここに移転してきたのである。
戦争末期は、本土決戦に備えて、ゲリラ戦の訓練をしていたそうだ。
意外と知られていない、富岡の戦争遺産である。



駅への帰り・・・長屋門の並びに、大きな顕彰碑【記念碑マーカー】があるのを見つけた。
稲部市五郎種昌(いなべいちごろうたねまさ)と言う人物の顕彰碑だそうだ。
江戸時代後期のシーボルト事件(※)に関連し、オランダ人医師シーボルトと
幕府天文方・高橋景保(かげやす)との間の通訳をした事から、幕府に捕えられ、
後に七日市藩預かりになった。

永牢の罪であったが、身分も高い事から、七日市藩は新牢をここに設けて、厚遇したそうだ。
稲部市五郎種昌は、当時の藩医であった畑鉄鶏(はたてっけい)に西洋医学を伝授し、
藩の医療に大きく貢献している。
その後、病気の為に牢死してしまったが、藩主は手厚く葬ったそうで、明治元年に恩赦された。
この顕彰碑は、シーボルト事件や地元医療発展に貢献した事を讃え、
地元医師会が昭和の初めに建立したものらしい。

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(稲部市五郎種昌顕彰碑。)

【七日市藩邸跡・黒門】
群馬県立富岡高等学校敷地内東側にあり、正門の開門中は自由に見学可(夜間は不可)、見学無料。
富岡市七日市1425-1番地・上州七日市駅から徒歩3分、高校の駐車場を利用可。




幕府直轄 前田家の
藩邸あとに いまも立つ
富岡高校 ゆかりある
蛇宮(じゃぐう)の森よ 七日市

上信電鉄新鉄道唱歌16番より/鈴木比呂志作詞・昭和56年。



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七日市藩邸跡は、同年秋の追加取材になります。
カメラ機種が違う為、若干色調が異なります。ご了承下さい。

(※利孝と芳春院)
利孝の実母は芳春院ではなく、側室の明運院。江戸に出る際に利孝を連れていき、養育した。
(※シーボルト事件)
文政11年(1828年)、オランダ人医師のシーボルトが、日本地図を国外に持ち出そうとした事件。
当時は、国外持ち出し禁制品(国禁)であった。

【参考資料】
 現地観光案内板・解説板
「七日市黒川地区地域まちづくり計画」(七日市黒川地区地域づくり協議会)
「第13回富岡市内文化財めぐり」(富岡市教育委員会・2006年)
「上信電鉄沿線見どころガイド」(上信電鉄沿線市町村連絡協議会発行)
「上信電鉄百年史-グループ企業と共に-」(上信電鉄発行・1995年)
「ぐんまの鉄道-上信・上電・わ鐵のあゆみ-」(群馬県立歴史博物館発行・2004年)

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category: 上信電鉄1日目 全17話

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