hmdの鐵たびブログ ローカル線の旅

のんびりローカル線の鉄道旅を、写真を中心に「見る紀行文」で長期連載しています。

【310】かぶらの里、シルクの鉄路・・・上信電鉄(8)下仁田駅下車観光[その1]駅周辺と下仁田グルメ。  


下仁田駅の見学をした後は、昼食と下仁田の町並みの散策をしてみよう。
鉄道と沿線の町々は密接に関連し、風土や歴史を理解する上でも、出来るだけ見た方が良い。
また、鉄道ばかりでは、堅苦しくなるので、良い息抜きである。

この下仁田は、高崎の西方、甘楽エリアの西端に位置する山間部にあり、
駅のある町の中心地は、鏑川(かぶらがわ)と南牧川(なんもくがわ)が、
合流する左岸に発達している。
開通当時の人口は2,500人、町域が広がっている現在は単純比較ができないが、約8,000人との事。
古くは、下仁田道の宿場町として栄え、ここから余地峠経由の南側の南牧道(なんもくどう)と、
北側の西牧道(さいもくどう)に分かれていた。
また、西牧道の途中にある関所と宿場が置かれた、本宿(もとじゅく/現・下仁田町本宿)からは、
更に三つの街道に分岐していたが、どれも信州へ接続する街道であったそうだ。

この様に山中にありながら、明治以前からの交通要衝地であり、
信州から運ばれる米等の産物が経由し、下仁田特産の蒟蒻(こんにゃく)や葱、鉄鉱石、石灰石や、
南牧で盛んだった生糸、砥石の物資や人々が集まり、甘楽エリア第二の中心地として栄えたそうだ。
駅は町の東外れにあり、市街地はこの狭い平坦地に住宅が密集しているので、
人口以上に混み入っている印象がある。
また、周辺は400-500mの山々に取り囲まれ、川床を風が通る為なのか、とても冷涼な空気を感じる。



駅周辺は、かつての物資集積場だったとみられる、広い敷地と倉庫群があり、当時の栄華が偲ばれる。
駅前通り【緑色マーカー】には、上信電鉄グループのタクシー営業所や数件の商店が並び、
昭和の雰囲気が残っていて、まるで時代が逆行した様な雰囲気だ。

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(駅構内にある上信電鉄グループの上信タクシー。妙義山等までの参考運賃を掲示しているが、
   運賃は4,000-5,000円程するので、結構距離があるらしい。)
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(駅前通り。駅前から西方を望む。通りの幅は広く、町の中心部は駅から西に集まっている。
   ※秋の追加取材時に撮影。)

丁度、昼なので、先に昼食を食べよう。
実は、改札係の若い駅員氏に、駅近くのお勧めの食堂を紹介して貰った。
駅員御用達の店は、量・味共に外れはなく、見知らぬ町で不安気に左右往来して探すよりも良い。
駅から歩いて直ぐの所に、きよしや食堂【食事マーカー】と言う、食堂があるそうだ。
早速、行ってみよう。

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(駅近くのきよしや食堂。)

昔ながらの町の大衆食堂であるが、カラカラと引き戸を開けると・・・
ほぼ満席で人気がある店の様だ。
結構年配の老夫婦が切り盛りしており、入口近くのテーブル席に案内される。
ここのカツ丼がお勧めとの事なので、勿論、これを注文しよう。

厨房から、「バン!バン!」と肉を切る大きな音に驚き、
昼テレビを見ながら少し待っていると・・・「出来ましたよ。お待ちどおさま。」と出てきた。
ご当地名物の下仁田カツ丼、それもカツの二枚乗せである。
東京のカツ丼とは違い、卵で閉じず、タレ煮をしない和風だしトンカツで、
きめ細かな赤身とあっさりした風味の上州赤城麦豚を使っているそうだ。

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(下仁田かつ丼・税込800円。二枚乗せ、味噌汁と漬物付きのこのボリュームでこの価格である。
   ラーメン、煮カツ1枚と半ライスのラーメン定食・税込850円も人気だ。)

カットしたばかりの新鮮なカツを揚げた後に、サッとタレに潜らせて仕上げるそうで、
オリジナルの醤油ベース特製ソースは、昭和12年(1937年)創業以来の秘伝の味だそうだ。
一口食べてみると・・・衣は薄めで、あまり塩辛くなく、程よい甘辛の優しい感じがする味である。
肉もとても柔らかで、ベタッとしておらず、肉の旨味がはっきりと判るのが良い。
いつもお世話になっている、わたらせ渓谷鉄道大間々駅前(おおまま-)にある
新井屋食堂の桐生名物ソースカツ丼も結構旨いが、この下仁田かつ丼も負けない感じだ。

【きよしや食堂】
毎週火曜日定休(臨時休業あり)、11時30分から15時まで(昼のみの営業)、
専用駐車場あり(3台分/満車時は、町営無料駐車場が徒歩数分の場所に二箇所あり。
群馬県信用組合とこんにゃく手作り体験道場の近くにある。)。
下仁田きよしや食堂公式HP

きよしや食堂は下仁田カツ丼の町一番の有名店だそうで、週末は県内外からこの味を求めて、
大変混むらしい。今日は平日だったので、直ぐに食べられた様だ。
昭和の雰囲気たっぷりの食堂で、少し休憩した後、会計とお礼を言って、出発しよう。



駅北側の高崎寄りに、大きな倉庫が建ち並んでいるので、行ってみよう。
駅前通りを東に歩いて行くと、民家風の日本通運の営業所跡【灰色マーカー】があり、
かつては、町映画館のキネマ映画館も近くにあったそうだ。
また、その先の新しく建て直された新聞販売店【黄色マーカー】の壁に、
懐かしいブリキ看板が大切に取り付けられているのも面白い。

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(日本通運下仁田営業所跡。今の宅配便が普及する前は、鉄道小包輸送が大きく担っていた。
   なお、通運(つううん)は、それ自体が鉄道貨物輸送を指す。)
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(小沢新聞店。明治20年創刊の地元紙・上毛新聞は、全国紙を抑えて、県内トップ購読数との事。)

駅から120m程東に歩くと・・・広い敷地に大きな建物が疎らに建ち並んでいる。
撮影をしていると、「面白いかい?」と隣の民家の主人らしい中年男性が、
道を歩きながら話しかけて来たので、挨拶をする。
話を聞くと、かつて、繭、蒟蒻(こんにゃく)や米等を保管していた、
下仁田倉庫と言う倉庫会社の建物群【赤色マーカー】だそうで、
木造倉庫の他、煉瓦造りの立派な耐火倉庫も北側に二棟残っている。
ここに物資を一時保管し、隣接する貨物ホームから出荷していたそうだ。

煉瓦倉庫は、共に二階建ての大正時代のもので、西の二号倉庫の方が大きい。
ふたつあるのは、大正10年(1921年)と大正15年(1926年)に建てられており、
大きい二号倉庫が後年のものであろう。
なお、煉瓦の積み方は、長辺と短辺を一段ごと交互に積む、イギリス積みである。

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(煉瓦倉庫。右は東の一号倉庫。間口6間、奥行き4間、延べ約159平方メートル。
   左は西の二号倉庫。間口10間、奥行き5間、延べ約330平方メートルある。)

下仁田倉庫株式会社は、倉庫業の他、運送業、繭乾燥業、貸金業、委託販売購買業を生業とし、
大正9年(1920年)4月に設立したそうだ。
同年5月には、引込線の許可願を出しており、約80mの引き込み線が引かれている。
また、下仁田倉庫は、上野鉄道(こうずけてつどう)や上信電鉄と関係が深い会社でもあった。
下仁田社(※)社長や下仁田倉庫取締役を歴任した佐藤量平氏は、上野鉄道の発起人となり、
上野鉄道と上信電鉄の社長を24年間も務め、下仁田社と下仁田倉庫の社長を歴任した桜井朝雄氏は、
上野鉄道時代から重役を務め、昭和19年(1944年)から上信電鉄の社長となっている。

煉瓦倉庫の南側には、木造平屋建ての三号倉庫が建っている。
今も、一部は倉庫として使われている様で、当時の雰囲気を十分に残している。
昭和に入ってからも、事業を継続していたが、昭和18年(1943年)に繭乾燥業と
鉄道省の企業合併監奨の為に運送業を廃止したらしい。
その後、桜井朝雄氏が、上信電鉄の社長に就任しているのも、関連しているのだろう。

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(木札に倉庫名が書かれている三号倉庫。西側には窓があり、事務室があったらしい。)
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(損害保険代理店のブリキ看板も吊り下がっている。)

線路際には、若草色の目立つ木造大型倉庫もある。
なお、架線柱やホーム擁壁の位置から、古い写真と付け合わせてみると、
この若草色の建物は青倉工業の石灰倉庫だったらしい。
この倉庫の西隣は、今は駐車場になっているが、白石工業の大型木造倉庫もあったらしく、
大きな石灰倉庫が二棟並んで建っていた模様だ。

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(青倉石灰の倉庫らしい建物。古い写真を見ると、当時は線路側に出庇が付いていた。)

倉庫群の東端には、第四種踏切(※)【黒色マーカー】があるので行ってみよう。
ここから見る下仁田駅は、鉄道雑誌等でも良く紹介されている有名撮影ポイントだ。
正面手前のお椀を伏せた様な山は、下仁田のシンボルとなっている川井山(標高453m)で、
後方のふたこぶの山は、鹿岳(かなたけ/標高1,015m)になり、下仁田町と南牧村の境になっている。
昔、鹿を峰から追い落として狩りをしたのが、山名の由来だそうだ。

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(踏切から撮影。初めて下仁田駅に来ると、この山々の奇っ怪な形にとても驚く。)

駅反対側の南側にも、白石工業のコンクリートブロック製大型倉庫【青色マーカー】があり、
石灰は水に濡れると発熱する為、石灰や炭酸カルシウム製品の保管出荷倉庫であろう。
元々、白石工業は広島の企業であったが、江戸時代からの良質な石灰石産地である
甘楽郡青倉村(現・下仁田町青倉/余地峠方面の旧・南牧道沿い)に工場を建設し、
昭和7年(1932年)から上信線を利用して、製品の出荷が行われたそうだ。
現在も工場が稼働しており、地元の空っ風を利用した、
昔の石灰自然乾燥棟(風乾処理庫)が残っているとの事。

また、白石工業創業者の白石恒二氏は、炭酸ガス化合法と言う、
合成炭酸カルシウム生産方法を発明し、白艶華(はくえんか)のブランドで販売された。
製造には、大量の電力が必要で、当時の上信電鉄が給電を行ったそうだ。
しかし、あまりにも大電力なので、下仁田周辺の一般家庭の電灯がちらつく程で、
急遽、千平駅近くに変電所を増設した逸話が残っている。

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(白石工業倉庫。道路側の扉の上には、雨水を避ける出庇のフレームが残っている。)

駅周辺を一周し、駅に戻る手前のきよしや食堂の駐車場から、鏑川【カメラマーカー】が見える。
結構な高さがあるが、見事な三角山の大崩山(おおぐいやま)と青々とした清流が見える。
直ぐ下流に取水堰があるので、ここは滞水している様だ。

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(鏑川と大崩山「おおぐいやま/標高467m」。水も青々と美しい。)

なお、この下仁田出身の有名人としては、元祖バラエティーアイドルで有名な井森美幸嬢がおり、
群馬県の「ぐんま大使」として、観光キャンペーン等に出演したりしている。
また、中曽根康弘元総理の選挙地盤にもなっていた(※)。



ここで、下仁田のグルメについて、紹介したいと思う。
山中の小さな町であるが、食道楽も行きたくなる美味しい食べ物がいっぱいあり、
これを目当てに、上信線でやって来るのも良いだろう。

最近は、きよしや食堂で食べた、下仁田カツ丼が有名である。
この卵で閉じないカツ丼は、大正頃から地元食として、良く食べられているそうだ。
タレ煮をしないあっさり目の仕上げで、揚げ置きもせず、キャベツも使わないのが特徴である。
町内の数店舗が提供しており、下仁田カツ丼の会も結成され、スタンプラリー大会も催されている。
下仁田カツ丼の会公式HP

伝統的な地場農産品としては、やはり、蒟蒻(こんにゃく)が有名だ。
蒟蒻自体の歴史は古く、仏教伝来と共に日本に伝わった外来種である。
下仁田の気候風土が栽培に適している事や、下仁田倉庫社長の桜井朝雄氏が、
蒟蒻粉の製品化や拡販に尽力し、全国的に有名になった。
また、生芋から作った腰のある蒟蒻は、スーパーで販売されている粉から作ったものとは違うとの事。
町内には、刺身蒟蒻や味噌田楽を食べられる飲食店や軽食処、
蒟蒻専門店や蒟蒻懐石料理を提供する割烹旅館がある。

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(下仁田葱。長さが非常に短く、太いのが特徴。1本300円位する高級葱である。
   畑から収穫して直ぐに火で炙り、焼けた皮を剥いで食べるのが、一番美味しいそうだ。
   ※帰路、JR高崎駅自由コンコースで開催されていた、上州ぐんま産直市で撮影。)

もうひとつの地場農産品は、下仁田葱(ねぎ)である。
江戸時代から贈答用に使われていた高級葱で、当時の大名や旗本からも引き合いがあり、
別名「殿様ねぎ」、「大名ねぎ」とも言われる由来になっている。
戦中から終戦直後は、地元農家が家庭用として栽培していたが、
一部の農家が贈答用に使っていた為、徐々に口コミで評判が広まった。
生では辛味が強く、薬味に適さないが、煮たり焼いたりすると、
とろけるような舌触りと甘みと香りの絶品となるとの事。
下仁田以外で栽培すると、育ちすぎて堅くなり、食べられないと言う珍現象もあり、
ご当地限定生産の特産品になっている。
なお、栽培が難しく、収穫まで15ヶ月以上かかる為に冬場のみの流通(11月から2月頃まで)になり、
町内の商店や国道沿いにある道の駅で、家庭用や贈答用が販売されている。
因みに、毎年11月中旬には、下仁田ねぎ祭りが開催され、巨大なねぎまや大名焼きが作られるそうだ。
大名焼きとは、下仁田葱一本をそのまま素焼きにした豪快な逸品で、
地元では他にも、ねぎ煎餅、ねぎ茶やねぎ一本漬け等も作られている。

また、蒟蒻から作られた白滝や下仁田葱を使ったすき焼きも、下仁田の名物である。
下仁田周辺には、鉄山や石灰山もあったので、山男達が町に繰り出して食べたり、
生糸取引等が盛んだった頃は、企業接待に使われたのだろう。
肉質の良い地元群馬産の上州和牛(赤城牛等)を使い、大変美味しいとの事。
町内には、格安で食べられる専門店や割烹旅館がある。

◆駅周辺の下仁田グルメの食事処◆

【カツ丼】
きよしや食堂(食堂・下仁田385)、鍋屋(食堂・下仁田358)、一番(食堂・下仁田362)、
れすとらんヒロ(食堂・下仁田384)、常盤館(割烹旅館・昼食のみ可・下仁田359-2)など。

【すき焼きと下仁田葱】
コロムビア(鍋料理専門店・下仁田葱は冬のみ・下仁田362)、鍋屋(食堂・冬のみ・下仁田358)、
常盤館(割烹旅館・昼食のみ可・冬のみ・下仁田359-2)、
一番(食堂・すき焼きは無いが、冬は餃子に下仁田葱を使用・下仁田362)など。

【蒟蒻】
まるへい(製造小売専門店・隣に直営の軽食処あり・下仁田334)、
常盤館(割烹旅館・昼食のみ可・下仁田359-2)など。

  ※「きてみて下仁田・下仁田商店街マップ」(下仁田町商工会発行)より抜粋。



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(※下仁田社)
富岡にあった製糸組合の甘楽社から、下仁田以西の組合と養蚕農家が分離して設立された。
繭や製品の取引の他、共同工場の経営、乾燥室の設置や製糸技術の向上等も行い、
地元雇用を生み出して、女工の他所への流失を防いだと言う。初代社長は佐藤量平氏。
(※第四種踏切)
警報機や遮断機の無い踏切。
(※中曽根康弘元総理)
出身は高崎市。選挙区は中選挙区時代の群馬県第三区。小渕恵三元総理や福田赳夫氏も同選挙区。

【参考資料】
「しもにた小旅」(下仁田町観光協会発行)
「下仁田まちあるきマップ」(下仁田まちづくり委員会発行・2016年)
「きてみて下仁田・下仁田商店街マップ」(下仁田町商工会発行)
「上毛新聞ぐんまルネサンス第二部・絹先人考/佐藤量平」(上毛新聞発行・2008年)
「ネギとこんにゃく」(下仁田町公式HP)
「群馬県すき焼きシンポジウム~地域の特産品から群馬のおもてなし料理を考える~」(群馬県)
「上信電鉄百年史-グループ企業と共に-」(上信電鉄発行・1995年)
「ぐんまの鉄道-上信・上電・わ鐵のあゆみ-」(群馬県立歴史博物館発行・2004年)

2016年12月23日再編集(画像入れ替え高解像化・校正)

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category: 上信電鉄1日目 全17話

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