hmdの鐵たびブログ ローカル線の旅

のんびりローカル線の鉄道旅を、写真を中心に「見る紀行文」で長期連載しています。

【307】かぶらの里、シルクの鉄路・・・上信電鉄(5)終点下仁田駅と信州への延伸計画。  


線路撮影と線形調査をし、11時56分に終点の下仁田駅(しもにた-)に戻って来た。
午前中に沿線の車窓を楽しんだので、昼から日没までは、駅見学と下車観光を楽しもう。
旅客上屋下の駅名標は漢字表記が無く、国鉄すみ丸角ゴシック体(※)に良く似た太いフォントで、
どことなく愛嬌を感じさせる。

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(旅客上屋下の吊り下げ式電光駅名標。下部の広告欄は使われていない。)



この下仁田駅は上信電鉄の終点として、今から100年以上前の明治30年(1897年)9月に開業し、
これにて上信線が全開通した。
起点の高崎駅から20駅目、33.7km地点、所要時間約1時間、所在地は甘楽郡下仁田町甲、
標高252mにあり、鏑川(かぶらがわ)と南牧川(なんもくがわ)が合流する狭い川岸の平坦地に、
駅と市街地が発達している。
また、標高は然程無いのだが、山に囲まれているので、それ以上に冷涼な空気を感じる。

駅開業時には、全通式が盛大に行われ、村をあげての祝賀となったそうだ。
なお、南蛇井駅から下仁田駅間が、あまりにも険しい地形の為に建設見合わせになった際、
下仁田の村人達は貴重な田畑を売り、株主となって資金集めに協力した。
当時の株主は、払い下げられた富岡製糸場を経営していた、
三井財閥の三井銀行総長・三井高保を筆頭に、初代社長の小澤武雄氏、
横浜の生糸問屋の原善三郎氏・茂木惣兵衛氏が大株主であったが、
沿線の養蚕農家の一株株主や製糸組合の持ち株も多かったそうだ。



先に、1日フリー乗車券を改札口の若い駅員氏に見せ、見学撮影の許可を貰おう。
「いいですよ。じゃあ、降車側の改札は開けておきますね。」と快諾を貰い、再びホームに戻る。

この下仁田駅は、東西に配された行き止まりの頭端式ホーム(※)一面二線と、
北に三本、南に一本の計四本の側線を擁している大きな駅で、夜間滞泊(※)も行われている。
ホームの旅客上屋は、中央部が低いY字型のH型鉄骨柱の波型スレート屋根になっており、
昭和後期の近代化工事で建て替えられたのであろう。

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(下仁田駅の頭端式ホームの長さは、3両編成分の約60mある。旅客上屋がとても高い。
   尾灯が付いている車両は7000形、右手は150形第二編成。※9時23分着時に撮影。)
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(ホーム南側2番線の線路終端部。三角山は、下仁田九峰のひとつの大崩山「おおぐいやま」。)

側線は、かつて盛んだった貨物輸送の為のもので、繭や生糸の他、蒟蒻や下仁田葱等の農産品、
薪や木炭等の林業産品、下仁田西方の中小坂鉄山から産する鉄鉱石、青倉から産する石灰石、
江戸時代は御用砥でもあった、南牧(現・南牧村/なんもく・みなみまきむら※)産の砥石等、
多くの産物が運び出されたそうだ。
珍しいもの物としては、明治末期に町内に製氷工場が出来、氷も上信線で運ばれた記録がある。
高崎方からは、肥料、日用品、米・魚等の食料品、新聞や郵便等が運ばれていた。
なお、中山道要衝地の高崎は、開業当時は人口約2万5千人の大きな町になっており、
帝国陸軍の歩兵連隊も置かれていた。

北側に大きな貨物ホームと倉庫群があるが、線路のバラスト積み場と駐車場になっている。
この倉庫群は、鉄道貨物輸送する前の一時保管に使われていたもので、
今も普通の倉庫として、一部使われているらしい。
また、側線の車止めの近くには、廃車された石灰石専用貨車テム1形が3両留置されており、
駅の倉庫として使われている様だ。

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(北側の貨物ホーム跡と貨物側線。ローカル線のものとしては、大きなものだ。)
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(側線に留置されたテム1形。塗装が剥がれて、車番が判らないが、8・9・10との事。)

南側には、白石工業の大きな倉庫があり、こちらも積み出しの為の貨物ホーム跡になっている。
なお、白石工業は石灰石から炭酸カルシウムを作る老舗企業であり、その製品の出庫用倉庫らしい。
下仁田の南西3.5km付近の南牧村青倉地区は、石灰の岩肌が聳え立ち、
江戸時代の頃から、上野石灰(こうずけいしばい)と言う良質な石灰石の産地であった。
セメント材料や肥料の他、石灰石から炭酸カルシウムを作り、製紙、印刷用インク、ゴム製品、
プラスチック、歯磨き、医薬品、食品等にも使われたので、大いに栄えたそうだ。
昭和に入ると、南牧道沿い(現・県道45号線)に、青倉石灰工業株式会社(現・有恒鉱業株式会社)も
設立され、両社の製品がこの下仁田駅から出荷された。

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(倉庫扉と倉庫前にスペースがあり、線路終端部に架線柱もあるので、
   かつては、貨物側線があったらしい。※日中は留置車両があった為、同日夕方に撮影。)

高崎方のホーム端に行ってみると・・・砂利のホームのままになっている。
構内の線路がまとまると、第四種踏切(※)を超え、白石トンネル付近まで長い下り勾配になっている。
また、架線柱もトラスビームではなく、路面電車線の様にワイヤーで吊っている簡易な構造で、
電化路線の複線部でありながら、上空がすっきりしているのも特徴だ。

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(高崎方。1番線の線路が本線になっており、三箇所の本線分岐器が設置されている。)

改札周辺を見てみよう。
ホームよりも、一段高い場所に駅舎があるので、幅の広い階段が数段ある。
降車用と乗車用に改札が分かれ、駅舎側が乗車用、駅妻面外側が降車用になっているので、
降車時には待合室に入らない。

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(ホームからの駅舎。無料の駅レンタサイクルも行っている。)
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(改札周辺。終着駅らしく、広いスペースが取られている。)

駅舎側改札口横には、「ねぎとこんにゃくと人情の町」の名物看板があり、思わず微笑んでしまう。
看板自体は新しいので、近年に作られたものであろう。
また、昭和22年(1947年)に、児童郷土教育の為に作られた上州かるたにも、
「ねぎとこんにゃく下仁田名産」と詠われ、葱と蒟蒻は下仁田のシンボルになっている。

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(乗車用改札口と歓迎看板。若い駅員氏が、すっと背筋を伸ばして、改札業務をしている。)
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(連絡路には、古い駅に良くある枯れた駅池と大きな絵入り観光看板がある。)

一度、降車用改札を出て、ぐるっと周り、駅舎を見てみよう。
こちらの改札の方が広いが、登山客や観光客の下車が多かった頃の名残であろう。

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(降車用改札口。)

駅舎は北に面して建ち、駅前広場はあるが、大型路線バスが旋回出来る広さは無い感じだ。
横には、タクシー営業所とスクールバス兼用のコミュニティバスのバス停や待合所がある。
また、この古い木造平屋建て駅舎の下仁田駅は、「関東の駅百選」にも、選定されている。

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(駅舎外観。駅事務室側の窓はサッシ化されているが、待合室側は原形のままだ。)
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(出入口からの待合室。格子窓の両引き戸や、採光窓が特徴である。)

終着駅らしく、待合室は20畳以上ある大きなもので、据え付けの木造ロングベンチも昔のままだ。
自動券売機も一台設置されているが、昔ながらの出札口もあり、硬券切符の取り扱いもある。
なお、現在の出札口は一箇所だけであるが、左に同じ様なスペースが並んでいるので、
かつては三箇所あった様だ。右端は鉄道手小荷物窓口跡、左端は観光案内所跡らしい。

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(出札口と元鉄道手小荷物窓口。昔ながらの電光式広告看板や、上州かるたの看板もある。)
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(左端の観光案内所跡らしい窓口。テーブル下は、ショーケースになっている。)
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(待合室。格子窓に沿ってL字ロングベンチがあり、地元寄進の手作り座布団が置かれている。)



ここで、上信電鉄の長野方面への延伸計画の歴史について、触れておきたいと思う。
前身の上野鉄道(こうずけてつどう)の発足時から、長野県側に接続する構想があった様だ。
開通前の明治27年(1894年)の調査報告書には・・・
「暫次磐戸(いわど)ヲ経テ砥沢(とざわ)、又ハ小坂ヲ経テ本宿(もとじゅく)」との記述がある。
これは、この下仁田で下仁田道(※)がふた手に分岐し、前者は南牧道(なんもくどう)、
後者は西牧道(さいもくどう)の旧街道ルートとほぼ一致する。
また、大正13年(1924年)の全線電化をする直前に、信州の名から一字拝借して、
上信電気鉄道と社名を改称する程であり、全社を挙げて、その意気込みが強かったと思われる。

大正10年(1921年)、第十代社長に着任した上信電鉄中興の祖である山田昌吉氏の案として、
下仁田から現在の南牧村の磐戸、月形、羽沢、余地峠(よじとうげ)【黄色マーカー】を経由し、
佐久鉄道三反田駅(現・JR小海線臼田駅)まで延伸する計画(※)を練っていたそうだ。
更に、西に延伸し、八ヶ岳連峰北方の蓼科山(たてしなやま)北麓を迂回して、
霧ヶ峰高原付近を経由し、中央東線茅野駅まで至る大構想であった。

この山田社長案は実現しなかったが、内山峠経由【緑色マーカー】の県道(現・国道254号線)が、
昭和15年(1940年)5月に開通し、千曲自動車バスから長野県側の路線を譲り受け、
この下仁田駅から佐久鉄道中込駅(現・JR小海線中込駅)までの上信電鉄直営バスを運行した。
当時、県境をまたがるバス路線の延伸は禁止されており、必死の請願を行ったそうだ。
その熱意にほだされたのか、許可と免許が下り、昭和17年(1942年)6月に直通運行を開始。
上信線の先行延伸区間として沿道の村々から歓迎され、20人乗りバスの運賃は、
1円95銭(うち通行税5銭※)で、路線キロ41.3kmを所要時間約2時間30分で走った。
しかし、激しくなる戦争下の資材不足と極度のガソリン不足の為、
翌年の昭和18年(1943年)10月に廃止を余儀なくされている。


(赤線は昭和14年頃の鉄道省最終案、青線は大正頃の上信電鉄・山田社長案。
   ※実際の詳細ルートではなく、赤線と青線はイメージである。)

なお、この上信電鉄の長野県側への延伸計画は、鉄道院(後の国鉄)が、
信越線横川駅から軽井沢駅間の碓氷峠のアプト式運転が、輸送量の限界に達した為、
明治41年(1908年)に迂回線の計画を立てた事が、大きく影響している様である。
信越線を旅客専用線にし、迂回線は貨物専用線にする計画だったそうだ。

当時の案によると、上野鉄道に補助金を与えて改軌し、下仁田から延長して信越線に接続する案や、
信越線松井田駅先から分岐して、高田村(現・妙義町)、小坂村(現・下仁田町)、
西牧村本宿(さいもくむらもとじゅく/現・下仁田町)を経由し、
信越線御代田駅(みよた-/現・しなの鉄道)に再接続する案が検討された。
後者の案が有力だったそうだが、横川駅から軽井沢駅間を電化して、
輸送力増強を行った為、この計画は見送られたと言う。

大正後期になると、この碓氷峠輸送限界問題が再発し、昭和3年(1928年)12月には、
信越線磯部駅から長野県中込(現・小海線中込駅)付近まで、新線を建設する予定線に格上げされた。
当時の上信電鉄では、自社の路線を延伸して、中込まで接続する案を陳情していたとの事。
しかし、この予定線も、帝国会議(当時の国会)での審議未了や翌年の世界恐慌による影響で、
実現しなかったそうだ。

そして、昭和14年(1939年)頃、軍事上の必要性から、三度目の迂回線計画が持ち上がっている。
この時に、上信電鉄下仁田駅から延伸し、山田社長案の余地峠経由ではなく、
その北側の内山峠を経由して、佐久鉄道中込駅(現・JR小海線)までのルートが最有力となった。
当時、内山峠を越える県道が建設されていたが、暫定的なものと考えられており、
余地峠と内山峠の間の田口峠経由【黒色マーカー】のルート案もあって、
村の発展を左右する鉄道の誘致運動も過熱したそうだ。
しかし、戦争の戦局悪化により、三度目の正直と思われた気運も夢と消えたのである。




高崎藩士の石ぶみや
下仁田葱に名を得たる
黒滝山の登山口
上信電鉄ここにつく

上信電鐵鐡道唱歌より/北沢正太郎作詞・昭和5年・今朝清氏口伝。



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(※すみ丸角ゴシック体)昭和35年に国鉄が制定した鉄道用書体。ゴシック体の隅が丸いのが特徴。
(※頭端式ホーム)行き止まり状の櫛形ホーム。古い終着駅に見られる。
(※夜間滞泊)始発列車運行等の為、車両を車両基地以外の場所(駅等)に停泊すること。
(※南牧)旧街道や川等の読みは「なんもく」であるが、現在の村名は「みなみまき」と読む。
(※第四種踏切)警報機や遮断機の無い踏切。両方ある→第一種、警報機のみ→第三種。第二種は消滅。
(※下仁田道)現・高崎市新町から下仁田を経由し、信州へ向かう旧街道。中山道の脇往還であった。
(※佐久鉄道)小諸から南下した民営鉄道。大正4年(1915年)開業、昭和9年(1934年)国有化。
(※通行税)当時、40km以上の路線に課税されていた。なお、当時の1円は現在の2,500円相当。

(※山田社長案の終着駅について)
山田社長案の延伸先の終着駅は、見つかったメモによると、佐久鉄道三反田駅(現・JR小海線臼田駅)
だったが、上野鉄道から上信電気鉄道に社名変更する頃には、羽黒下駅になったらしい。

【参考資料】
「上信電鉄百年史-グループ企業と共に-」(上信電鉄発行・1995年)
「ぐんまの鉄道-上信・上電・わ鐵のあゆみ-」(群馬県立歴史博物館発行・2004年)

2016年12月23日再編集(画像入れ替え高解像化・校正)

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category: 上信電鉄1日目 全17話

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