hmdの鐵たびブログ ローカル線の旅

のんびりローカル線の鉄道旅を、写真を中心に「見る紀行文」で長期連載しています。

【306】かぶらの里、シルクの鉄路・・・上信電鉄(4)車窓編[後編]上州福島駅から、終点下仁田駅へ。  




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【停車駅】
高崎821======923下仁田
下り普通(普)11列車・下仁田行き(7000形2両編成)

上州福島◇ 開業当時の駅・木造駅舎・有人駅

〓(上流鏑川橋梁)

東富岡 新設駅・有人駅

上州富岡◇ 開業当時の駅・富岡製糸場玄関駅・有人駅

西富岡 木造駅舎・有人駅

上州七日市 木造駅舎・有人駅

上州一ノ宮◇ 開業当時の駅・木造駅舎・有人駅

神農原(かのはら)

南蛇井(なんじゃい)◇ 開業当時の駅・木造駅舎・有人駅

千平
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8時54分、上州福島駅を発車する。
高崎駅からの乗客は半分になっており、二両編成に10人程しかいない。

町中の直線を走り、大きくカントが取られた半径300mの右カーブを抜けると、下り急勾配になる。
この先に何かあるかと思いきや・・・鏑川(かぶらがわ)に架かる二番目の橋、上流鏑川橋梁を渡る。
先ほどの下流鏑川橋梁よりも、スパンは半分位で、通過に時間はかからない。

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(上流鏑川橋梁を渡る。川床では、土木工事を行っている様だ。
   ※上り高崎行き列車の最後尾から、下仁田方を撮影。以下同。)

鏑川の右岸から左岸に渡り切ると、切り通しの返しの上り急勾配となる。
線路両脇に小川があり、かなりの勢いで鏑川の方に流れているのが、目を引いて楽しい。
どうやら、ここは河岸段丘になっている為、急な勾配になっているらしい。

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(返しの上り急勾配。まるで、川の中の線路の様で面白い。)

そして、その先の左大カーブを上り切り、直線の線路を少し走ると、東富岡駅に到着。
平成2年(1990年)に新設された駅で、富岡製糸場をモチーフとした、三角屋根時計台の駅舎がある。
周辺に住宅や大工場があり、意外と乗降が多い駅らしく、この駅から富岡市に入る。

東富岡駅から真っ直ぐに走って行くと、そのまま大きな町の中に入って行き、
沿線最大の町・世界遺産に登録された、富岡製糸場の玄関駅である上州富岡駅に到着する。
開業当時の途中駅の中で最も大きなこの駅には、二面三線のホームが設置され、
高崎発の当駅折り返し区間列車も、一日四往復運行されている。
なお、平成26年(2014年)3月に、昭和風鉄筋コンクリート駅舎から三代目駅舎に建て替え、
世界各国から観光客を受け入れるに相応しい、近代的デザインの綺麗な駅になっている。

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(上州富岡駅。遠目からでも、目立つ赤い旅客上屋が可愛らしい。)

直ぐに上州富岡駅を発車。この駅で、更に半分降りてしまい、乗客は5人だけとなる。
住宅が立ち並ぶ緩やかな勾配を真っ直ぐに走り、
単式ホームと小さな木造駅舎がある西富岡駅と上州七日市駅を過ぎる。
なお、上州福島駅から上州一ノ宮駅までは、殆どの駅が有人駅になっており、
東富岡駅から上州七日市駅の各駅間は、800-900mの駅間距離しか無く、
沿線最大の人口の富岡市民の為に、小刻みに有人駅を設置したのであろう。

富岡市街最西端の上州七日市駅を発車すると、住宅は疎らになっていく。
半径200mの右大カーブの後、緑地住宅に挟まれた直線では、左手に鏑川の流れが見え、
上信線は川線であるが、やっと鉄橋以外で川面が見える。
そして、その先の半径200mの左大カーブを抜け、9時6分に上州一ノ宮駅に到着する。

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(上州一ノ宮駅手前の直線区間で、鏑川が見える。)

この駅も開業当時の駅で、上州一の古社である一之宮貫前神社(いちのみやぬきさきじんじゃ)の
門前駅であり、昭和天皇も参拝した事もある、格式の高い古社であるそうだ。
乗客は、この駅で殆ど降りてしまい、自分を入れて2-3人しかいなくなった。

上州一ノ宮駅を発車し、鏑川に沿いながら南西に進行方向を変えると、1km南に線路がシフトする。
直線の緩い上り勾配を時速60kmの高速で走り、沿線はローカルさが増して、
左右に田畑が広がっているが、意外と家も多い。

集落内にある小駅・難読駅名の神農原駅(かのはら-)からは、
正面の大桁山(おおげたやま/標高836m)に向かって走り、
左遠方に「下仁田富士」こと四ツ又山(標高899m)と鹿岳(かなたけ/標高1,015m)が見えてくる。
また、川谷の幅も1kmも無いので、山の雰囲気が漂う。

直線であるが、勾配もやや急になって、アップダウンも多く、道床の状態も明らかに悪い。
それでも、速度が速い為に良く揺れ、警報機や遮断機の無い小さな第四種踏切も多いので、
頻繁にタイフォンを鳴らす区間だ。

長い直線の後、上信越自動車道をアンダーパスして、大きく左にカーブすると・・・
同じく難読駅名と珍名駅で有名な南蛇井駅(なんじゃい-)に停車。
この南蛇井は、列車交換設備を有する最後の途中主要駅であり、
川線・平坦線としての上信線はここで終わりで、この先は山線に変容する。
なお、上州福島駅から南蛇井駅までが、明治30年(1897年)6月7日に竣工し、
7月7日に先行開通している第二の区間になる。

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(最後の列車交換可能駅である南蛇井駅。構内には、保線拠点や変電所設備も置かれている。)

南蛇井を発車すると、大桁山の南麓に沿って真っ直ぐに走り、
山も大分近くに見え、人家はもっと少なくなってきた。
真っ正面には、お椀を伏せた様な下仁田富士とふたつ瘤の様な峰がある鹿岳が横たわっており、
終点の下仁田はあの山々の手前にある。
また、横揺れは更に激しく、手すりに掴まらないと立っているのも困難な程で、
後方の線路を良く見ると、レールが横に波打っているのがはっきりと判る程だ。

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(南蛇井駅から千平駅間。山に向かって真っ直ぐに走る。)

なお、上信線は良く揺れる事で有名で、初めて乗車する人は、驚く人が多いそうだ。
昔、この揺れを利用した、某バラエティテレビ番組の台乗りゲームがあった程である。
しかし、慣れると心地良いらしく、車内観察をしていると、
乗り慣れた地元乗客は見事に熟睡する人もいるので面白い。





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【停車駅】
高崎821======923下仁田
下り普通(普)11列車・下仁田行き(7000形2両編成)

千平

〓(鬼ヶ沢橋梁) 山側に上野鉄道の旧橋梁あり。

◇(赤津信号所)

】【(白山トンネル)高崎方に上野鉄道旧トンネル跡あり。

下仁田 終点・木造駅舎・有人駅
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大岩を裂いた様な切り通しを抜けると、最後の途中駅である、千平駅(せんだいら-)に到着する。
この先は大桁山南に連なる浅間山(せんげんやま/標高436m)と言う里山が立ちはだかり、
旧道は峠をトンネルで越えているが、上信線はそのまま川沿いのルートを取っている。

ここから、鏑川は不通渓谷(とおらずけいこく)と言う渓谷部になり、
険しい岩山が線路際までせり出し、渓谷の絶壁上の縁を縫って走る険しい区間だ。
実際、災害も起きやすい区間の為、渓谷名の通り、過去には不通になった事もある。
この先は、半径160mの急カーブと急勾配のアップダウンが連続するので、
時速30kmの制限速度になり、鏑川支流を渡るデッキガーター鉄橋、
赤津信号所や上信線唯一のトンネルが途中にある。

千平駅から終点の下仁田駅までは、上信線最大の難工事区間であり、
一時は南蛇井駅を終点とする計画変更がなされたが、下仁田の住民の熱烈な誘致運動により、
この難工事を克服して開通し、明治30年(1897年)8月23日竣工、9月25日に開通、
同日には全通式が盛大に行われたそうだ。
ちなみに、同じ西毛エリアでも、信越線沿線の安中(あんなか/現・安中市)は鉄道建設に猛反対し、
町の中心の旧宿場を避けて敷設された為、町の発展が妨げられ、今日も影響が大きい。
当時、「陸蒸気(蒸気機関車)の煙で、稲や桑が枯れる。」、「鶏が卵を産まなくなる。」、
「宿泊客がいなくなる。」と真しめやかに噂されていたそうだ。
下仁田の人達は、鉄道開通の情熱と先見の明があったと言える。

千平駅を発車。並行する道路と別れると、右カーブをしながら、山の中に入っていく。
既に左窓下は高さ30-40m、10階建てビル相当の断崖絶壁であり、
安全速度まで減速し、列車も気を引き締めた感じで走る。
また、左右に木々が鬱蒼と茂っているので、渓谷の川面は殆ど見えず、
レールとのフランジ音(※)も激しいスリリングな区間は、自分もドキドキしてくる。

回り込む様な左カーブの途中で、上野鉄道(こうずけ-)の建設時に最大の難所であった
鬼ヶ沢橋梁【赤色マーカー】を渡る。
実は、今通過している線路は、大正13年(1924年)の狭軌改軌時に建設された新線であり、
右窓の木々の間から、旧鬼ケ沢橋梁が一瞬見える。

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(現在の鬼ヶ沢橋梁。鏑川に落ちる深く切り立った沢を渡る鉄橋である。
   この区間は、岩を削りながら、線路を建設したとの事。)

旧鬼ヶ沢橋梁は、国内に現存する国産鉄橋としては、最古級のものであり、
それも、軽便鉄道規格(軌間762mm)のものであるので、大変貴重なものだ。
現地には、案内板や見学用手すりもあるらしいが、道が荒れており、間近での見学は困難らしい。

鬼ヶ沢は通称で、大谷川と言う小さな川が流れ、富岡市と甘楽郡下仁田町(かんら-)の境界でもある。
この旧鉄橋は、桁長10m、桁高0.75m、桁幅1m、高さ10.7mで、
鋼材は輸入品であるが、東京築地の月嶋鉄工所製との事。
国産鉄橋の初期のものであり、アメリカ式でも、イギリス式でもない独自設計(※)の鉄橋だそうだ。
その両岸にも、煉瓦積みの橋台が残っている。

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(上野鉄道旧鬼ヶ沢橋梁と煉瓦橋台。ここは、S字カーブもある最難関区間だった。
   ※素人のコンデジ撮影の為、ご容赦を。)

そのまま、連続する急カーブとアップダウンをこなして行くと・・・
この渓谷の中間地点で、31kmポスト付近にある赤津信号所【青色マーカー】に到着。
少し視界が開け、ひと休みとなる場所だが、あまり停車時間は長くない。
信号所を通過すると、速度が上がるが、再び、急カーブと時速30kmの速度制限となって、
慎重に走る区間になる。

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(赤津信号所。上信線の近代化工事によって、昭和56年11月に設置された。
   ※当列車の最後尾から撮影。)

地形が穏やかにり、大きく右カーブしながら、大きな赤屋根の製材所横を過ぎると・・・
上信線唯一の白山トンネル【黄色マーカー】を抜ける。
この短いトンネルの先は視界が開け、この不通渓谷をやっと抜ける。
列車も安心したかの様に時速60kmまで速度を上げ、終点の下仁田まで、もう少しとなる。

なお、軽便鉄道時代、白山トンネルより高崎方約750mに
もうひとつのトンネルである上野鉄道(こうずけ-)第一トンネル【緑色マーカー】があった。
改軌する際、通過車両が大きくなる為にトンネル断面を広げないといけないが、
地質が脆く、崩壊する危険があった為、トンネルの南側に迂回新線を建設したとの事。
今通過した白山トンネルは、当時、第二隧道と言われており、岩盤地質で良好だったので、
そのまま拡張し、内壁をコンクリート巻きにしている。

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(白山トンネル。内部はカーブしており、50m位の長さしかないミニトンネルだ。)

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(上野鉄道第一隧道跡の下仁田方ポータルと迂回新線。ポータルに煉瓦巻きが残っている。
   内部も煉瓦積みとの事。※当列車の最後尾から撮影。)

そのまま、上り勾配を真っ直ぐに走り、進行方向正面に奇っ怪な形の山々が重なるのが見えると、
町の中に入って行き、終点の下仁田駅に到着する。
ホームには、赤い手旗を線路下に向けて、駅員氏が待っている。

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(終点の下仁田駅。)

時刻は9時23分。ホームに降り立つと、ひんやりとした清涼な山の空気を感じる。
20分程の停車後、線路撮影と線形調査の為、一度、高崎まで折り返す事にする。
昼前に、この下仁田に再び来よう。

なお、上信線では、自転車を車内にそのまま持ち込めるサイクルトレインサービスもある。
持ち込み料は無料であるが、事前予約制で、利用できる列車や乗降駅が限定されるので注意だ。

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下仁田942======1042高崎 上り普通(普)22列車・高崎行き(7000形2両編成)
(折り返し)
高崎1053======1156下仁田 下り普通(普)21列車・下仁田行き(500形2両編成)
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目ざめの床や長瀞(ながとろ)に
その名も並びし鬼ヶ沢
妙義の山に日は落ちて
奇岩絶壁色くらし

上信電鐵鐡道唱歌より/北沢正太郎作詞・昭和5年・今朝清氏口伝。



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線路撮影は、運転士のワンマン運転業務の差し支えになる為、
折り返しの上り高崎行き列車の最後尾から、下仁田方を撮影しています。
なお、運転席窓は遮熱ブルーガラスの為、色調補正処理を行っています。

(※フランジ音)車輪のツバ部分とレールとの摩擦音。急カーブ通過時の「キーキー」音。
(※イギリス式とアメリカ式の鉄橋)
日本の鉄道はイギリスが手本となっているが、台風等の水害や急流が多い事から、
鉄橋については、アメリカ式が後年に採用されている。
イギリス式鉄橋が経験則的に設計されていたのに対し、アメリカ式は緻密な力学計算により、
構造的に優れ、堅牢だったからである。
イギリス式とアメリカ式の違いは、明治35年頃を境に製作された年度も参考になるが、
補強材の末端部の加工が異なり、イギリス式は曲げて主桁に固定し、アメリカ式は曲げずに固定する。

(旧上野鉄道第一トンネル跡の見学について)
旧上野鉄道第一トンネル跡は、近隣に道路が無く、現地見学は困難となっています。
線路の歩行は危険な上、鉄道営業法で罰せられる場合がありますので、おやめ下さい。

【参考資料】
「上信電鉄百年史-グループ企業と共に-」(上信電鉄発行・1995年)
「ぐんまの鉄道-上信・上電・わ鐵のあゆみ-」(群馬県立歴史博物館発行・2004年)
 土木学会関東支部公式HP「関東の土木遺産・旧上野鉄道鬼ヶ沢橋梁」

2016年12月22日再編集(画像差し替え・校正)

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category: 上信電鉄1日目 全17話

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