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【128】遠州湖北と国鉄遺産を訪ねて・・・天竜浜名湖鉄道(31)気賀駅周辺散策 気賀関所 後半の部  


本番所の手前、屋内の鴨居や床の間には、違反者や関所破りを取り押さえる三ツ道具や、
槍、弓、鉄砲も立て掛けられている。

三ツ道具は左から、刺股(さすまた)、突棒(つくぼう)、袖搦(そでがらみ)になる。
刺股はその名の通りに、股に差し込んで引き倒し、突棒は背後から突き飛ばし、
袖搦は着物の袖にねじり込んで引き倒す。
実際には、逃亡者が殆どいなかった為、使われる事は滅多に無かったそうで、
関所の象徴や、旅人へ畏怖の念を抱かせる目的の方が主だった。

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(関所の三ツ道具。)
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(槍立て。)

本番所の向かいの南側には、向番屋(むかいばんしょ)があり、
女改め(おんなあらため)の部屋がある。
また、関所に勤務している足軽や門番達の詰所兼休憩場でもあり、
張番所(はりばんしょ)とも言う。

江戸幕府は、諸国大名の妻子を人質として江戸に住まわせていた。
その妻子が、勝手に国元に帰る事を警戒した為、
江戸から地方に向かう女旅人は、特に厳しく取り締まったそうだ。
女改めの担当者は、関所役人の母親、通称「改め婆」が担当し、
通行手形の記載事項や印影を入念に調べたとの事。

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(向番所の女改めの部屋。)

向番屋の奥の土間には、木造の牢屋もある。
指名手配されている犯罪者や重大な違反者が、繋がれたのだろう。
意外にも、関所に牢屋があるのは、珍しいとの事。

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(土間に設置された牢屋。)

その南隣には、見張り台の遠見番屋があり、登る事が出来る。
元々は、二階には警鐘が設置され、一階は大砲の格納庫になっていたそうだ。
なお、手前にある小屋は、当時の一般身分者用の下雪隠(厠)で、
身分の高い者用は本番所の中に畳敷きの雪隠(厠)がある。

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(遠見番屋。)
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(遠見番屋からの眺めと下雪隠。)

この大きな天水桶と手桶の山も、良く時代劇に出てくる光景で面白い。
当時の防火用水置き場になっており、向番所の並びにある。

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敷地の北西には、姫様館(ひめさまやかた)と言う資料館も併設している。
春の「姫様道中」に使用する籠(昭和62年に製作)、関所の歴史や資料、
姫街道の解説展示をしている。

顔出し記念撮影看板の後ろに、象の大きい絵が掲げられている。
江戸時代中期の享保14年(1729年)、安南国(あんなんこく/現在のベトナム)から
将軍吉宗に牡の象が献上された。
しかし、東海道浜名湖南岸の今切の渡船に乗せられない為、姫街道経由で江戸に向かったそうだ。
また、引佐峠(いなさとうげ)の急な登り坂で、象が大きな悲鳴をあげた事から、
「象鳴き坂」と呼ばれる坂も残っている。
生まれて初めて見る象の迫力に、気賀の人々が驚愕した光景が浮かぶ。

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(関所資料館の姫様館。)
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(館内展示の様子。)

この食事は、将軍徳川吉宗の生母・浄円院が気賀関所に一泊した際に、
お付きの役人達に出された夕食と朝食だそうだ。
今と比べると、質素であるが、当時は最高級の献立だったのだろう。

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姫街道は、三ヶ日の西にある最大の難所の本坂峠を越える事から、
東海道本坂越、または、本坂通りとも呼ばれ、
東海道見附宿(静岡県磐田市中心部)と御油宿(ごゆじゅく・愛知県豊川市御油駅近く)を結ぶ、
15里40町、距離約60kmの東海道の脇街道(脇往還)であった。

当時、東海道の新居関所(今切関所)は、女改めが特段に厳しかった事もあり、
それを避けて、女旅人がこの街道を良く利用した事が由来と言われている。
また、一般的には、本街道と比べて距離は長くなるが、大難所や人通りが少なく、
治安も比較的良いと言うメリットもあり、この姫街道は、東海道経由とほぼ同じ距離だった。

また、古代からこの街道はあり、重要な東西街道のひとつであったが、
江戸時代に入ってからは東海道が整備された為、徐々に寂れていったそうだ。
しかし、江戸時代中期の宝永4年(1707年)に発生した宝永地震以降、
地震で大きく破壊された東海道から、姫街道に迂回する旅人が大幅に増え、
幕末まで街道は栄え、気賀も姫街道一の宿場町として栄えた。
その姫街道の混雑ぶりは、江戸幕府が大名や旗本の行列の街道通過を、
特別な場合以外は禁止する程であったとの事。
なお、当時の貴婦人の道中を再現した「姫様道中」が、毎年春に開催されている。

西側の町木戸門(まちきどもん)に、気賀宿の町並みが続いていた。
無事に通過出来た江戸方からの旅人は、宿場の街並みを見て、とてもホッとした事だろう。

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(気賀宿に通じる町木戸門。)

敷地の南側には、関所防衛の為の要害堀(ようがいぼり・復元)もある。
現在も、本物の要害堀が、駅北側の関所跡東側と南側にあり、水も流れているそうだ。
700mの長さがあったと言われ、二ヶ所の指定場所以外からの関所側への渡りは、
厳重に禁止されており、許可証が必要だった。
また、木戸門があり、船から連絡する事も出来た。

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(要害堀。)

気賀関所は、比較的コンパクトで見易く、当時の関所の様子が良く判る。
なお、江戸時代中期の寛政元年(1789年)に、
茅葺きから瓦葺きに改築された当時の関所を再現しているそうだ。

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(気賀関所本番屋。)

また、駅の北側の国道沿いにも、関所跡、本陣跡や大きな寺社が立ち並んでおり、
浜松市姫街道と銅鐸の歴史民俗資料館もある。
今回、駅の北側は見学が出来なかったが、次回は見学してみたい。
時刻は11時半を過ぎたので、駅に戻ろう。

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2016年7月22日記事分割

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category: 天竜浜名湖鉄道2日目 22話

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