hmdの鐵たびブログ ローカル線の旅

のんびりローカル線の鉄道旅を、写真を中心に「見る紀行文」で長期連載しています。

【291】スカーレットトレインでワイキキへ・・・名古屋鉄道蒲郡線(8)西幡豆駅  


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東幡豆1127======1130西幡豆
下り1161列車・普通・吉良吉田行
名鉄6000系6009編成(←6209+6009)2両編成
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東幡豆駅(ひがしはず-)から、隣の西幡豆駅に行こう。
蒲郡線の名鉄6000系トップナンバーの6009編成がやって来て、乗車する。
低山帯切り通し部の大ピークを越えて、そのまま真っ直ぐに走り、
小野ヶ谷川(おのがやがわ)を渡ると、約3分で西幡豆駅に到着する。



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(駅名標。)

西幡豆は、隣の東幡豆が三河湾観光の中心地であったのと対照的に、
西尾市と市町村合併前の幡豆町行政の中心だった場所であり、
旧幡豆町役場(現・西尾市役所幡豆支所)、小中学校や市立図書館がある大きな町になっている。
町中心部と駅は、海岸から約600m離れている内陸にあって、
三河湾に注ぐふたつの川が流れる、広い平坦地になってる。
また、町の南東部に寺部城址(戦国時代築城)があり、江戸時代までも施政中心地であった。
グーグルマップ・西幡豆寺部城址


(国土地理院国土電子Web・西幡豆。)

この西幡豆駅は、町のやや東の外れに位置し、昭和11年(1936年)7月延伸時開通、
起点の蒲郡駅から7駅目、12.9km地点、所要時間約19分、海抜15m、
所在地は愛知県西尾市西幡豆の終日無人駅になる。
この駅も、東西に配された一面二線の島式ホームがある、列車交換可能駅で、
構内右側進行の特例駅である。
なお、構内右側進行は、線路北側の吉良吉田方に構内踏切があり、
上り蒲郡行き列車が踏切を高速通過するのを防ぐ、安全対策の為である。

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(蒲郡寄りから、西幡豆駅ホーム全景。4両分の長さがあるが、この駅もホームが狭い。)

また、かつては、名古屋からの直通特急が、停車した主要駅であった。
昭和35年(1960年)3月、西尾線の架線電圧が直流600Vから1500Vに昇圧されると、
当初は、「三ヶ根号(さんがね-)」、後に、「三河湾号」の名称で、直通特急が運転された。
昭和41年(1966年)3月からは、毎時30分毎2往復の名古屋本線直通特急が走ったが、
各駅停車は毎時1本のみと言う、観光路線としての最盛期を迎えている。

当時は、蒲郡から名古屋までの国鉄との旅客争奪競争もあったそうで、
単線ローカル線でありながら、50kgレール交換による重軌化とカーブ半径を緩和し、
最高速度を時速95kmまでアップさせた。
昭和40年代に入ると、名鉄の名車として有名な7000系特急パノラマカーが投入され、
蒲郡線内の停車駅は、吉良吉田、西幡豆、東幡豆、西浦、形原と終点蒲郡であったそうだ。
なお、昭和50年(1975年)頃までが、名古屋直通と観光路線の蒲郡線の最盛期であり、
国鉄も快速列車増発を行った為、名古屋までの蒲郡線の優位性も次第に失われてしまった。

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(蒲郡方。700m先に大ピークがあり、長い登り勾配が続く。)
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(吉良吉田方。住宅地が多く、三河鳥羽駅まで、真っ直ぐに伸びている。)

吉良吉田方にある構内踏切から改札までは、東幡豆駅と同様に連絡路があり、
開業当時のものと思われる古いトイレや、蒲郡線廃線対策の啓蒙看板がある。
なお、蒲郡線が正式線名だが、この幡豆郡が西尾市に市町村合併された事や、
かつては、直通運転をしていた西尾線と一体化していた事から、
地元では、通称「西蒲線(にしがません)」とも、呼ばれている。

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(構内踏切横のトイレ。)
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(啓蒙看板。駅からハイキング等のイベントも、時々開催しているそうだ。)

この駅にも、片勾配屋根の木造小型駅舎があるので、行ってみよう。
東幡豆駅の半分程度の大きさで、改札や待合室はとても狭い。
この駅も、特急・急行の停車駅であったが、隣の東幡豆駅よりも早い、
昭和60年(1985年)に無人駅となっている。

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(ホームから駅舎。)

駅舎は北に面して建っており、駅前広場もある。
小さいながら、駅員の宿舎も兼ねており、裏に井戸のポンプ跡も残っている。

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(駅舎全景。)

出札口は板で閉鎖され、出入口横には、自動券売機が設置されている。
吉良吉田方の窓下にロングベンチがあり、窓面が大きく、意外と明るい。

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(改札と待合室。)
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(待合室内。)

駅前には、広いスペースがあり、何軒かの商店と民家が建ち並んでいる。
小さなテントの骨組みがある平屋の家屋は、隣の昭和風商店の松野屋が、
かつて営業していた構内売店だったとの事。
駅前であるのに、構内とは面白く、関東に鉄道には見られない形態だと思う。
名古屋鉄道の公認だったそうで、かつては、終点の吉良吉田駅前にもあったそうだ。

この構内売店は、昭和30年頃から営業していたものだそうで、
新聞、雑誌、牛乳、菓子やパンの販売の他、店によっては、
コーヒー、うどん、関東煮(かんとうだき/おでんの事)のファーストフードや
無人駅化後の切符の委託発売もされていたそうだ。
なお、昭和50年代前半頃まで、名古屋鉄道のローカル駅に良く見られた様だ。
常連客が、電車の待ち時間に、のんびりと立ち寄ったのであろう。

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(松野屋と構内売店跡。今も、松野屋では、煙草や新聞を販売している。)

駅の近くの古い家屋を見ると・・・
太陽のコロナマークとキンヨー印と書かれた、錆びたブリキ看板がある。
キンヨーとは、名古屋の老舗繊維商社である、タキヒヨー株式会社(瀧兵)のブランド名らしい。

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(ブリキ看板がある古い民家。)

この西幡豆は、三河湾に面する漁港の町であるが、
繊維産業も盛んだった町で、今も多くの織物工場が残っている。

幡豆一帯は、古から、良質な絹の産地として、朝廷に絹糸を貢いでいたそうだ。
奈良時代末期になると、幡豆天竺村(現・西尾市福地)にインド人が流れ着き、
助けて貰ったお礼に綿花栽培を伝授され、この幡豆が日本の綿花栽培の始まりの地になっている。
後の15世紀に、日本の気候に適した品種が中国から輸入され、大量に栽培されるようになり、
16世紀初めには、この幡豆での綿花生産も定着したそうだ。

また、温暖な幡豆は稲作に適していたが、水利が乏しかった為、
江戸時代には、綿花と麦作の二毛作が行われる様になり、農家の有力な現金収入になった。
そして、幡豆や蒲郡では、大量に生産される綿花を使い、織布作りも盛んになったそうだ。
戦後には、「ガチャンと織れば、1万円儲かる。」と言う、ガチャマン景気が続き、
世界中に製品を輸出し、地元幡豆のみならず、戦後日本の復興に大きく貢献している。



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【参考資料】
名鉄西尾・蒲郡線沿線おすすめマップ(市民まるごと赤い電車応援団・2014年)
はず夢ウォーク「海・山・民話にであうみち」
(西尾市教育委員会事務局生涯学習課、幡豆公民館・2014年)
名鉄昭和のスーパーロマンスカー(徳田耕一著・JTBパブリッシング刊・2015年発行)

2016年12月26日再編集(画像入れ替え高解像化・校正)

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category: 名古屋鉄道蒲郡線 全10話

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