hmdの鐵たびブログ ローカル線の旅

のんびりローカル線の鉄道旅を、写真を中心に「見る紀行文」で長期連載しています。

【27】大正ロマンと日本一の田園風景を訪ねて・・・明知鉄道(8)明智駅下車観光 日本大正村[その3]大正ロマン館、三宅家&旧明智郵便局周辺。  




更に、旧・小学校(現・絵画館)の横道の坂を上がると・・・
純白の壁が印象的な大正浪漫館【茶色マーカー】がある。
昭和になってから建てられた建物であり、古い洋館では無いが、
日本大正村のゲストハウスとして、また、大きなバラ園も整備されている。
マピオン電子地図 (大正浪漫館)

館内では、明智町出身の有名画家・山本芳翠画伯の絵画、
大正時代をテーマとした展示や喫茶室も設置されているので、ゆっくり出来る(館内入場は有料)。

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(大正浪漫館。)

此処は、眼下に明智の街並みを眺める事が出来る高台だ。
意外と、明智の盆地は狭く、建物が密集しているのが判る。
なお、降雪は少ないが、冷え込みは厳しく、氷点下15度まで冷え込む事があるとの事。

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(明智の町並み。)

大正ロマン館の北側には、慶長20年(1615年)に江戸幕府の一国一城令で、
明智城の廃城後に置かれた遠山家の明智陣屋跡【黒色マーカー】もある。

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(陣屋跡の門柱。)

かつてあった明智城は、白鷹城とも言われ、鎌倉時代の宝治元年(1247年)に
遠山家の始祖・遠山三郎兵衛景重(かげしげ)によって築城された。
遠山家の十八ある城の中でも、重要な役割を担う山城として、代々の居城だった。
しかし、戦国時代の軍事上の立地の重要さから、甲斐の武田家と尾張の織田家との
天下統一の抗争の舞台になり、遠山家もその抗争に巻き込まれて行ったそうだ。

天下分け目の慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの際、
この明智周辺は、石田三成側の西軍に付いた田丸氏が治めていた為、
徳川家康側の東軍に付いていた遠山利景(とうやまとしかげ)は、
家康の命令により、この遠山家の縁の地と明智城を奪還した。
その功績により、大旗本として取り立てられて、この地を再び治めている。
一国一城令が発布された際、岩村城を本城とする為に明智城は取り壊され、
この大手門近くに、陣屋と江戸に藩邸が与えられたと言われている。

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(陣屋の配置図。)

大正ロマン館の裏手には、旧家の三宅家(みやけけ)【橙色マーカー】がある。
江戸時代、明智城主の遠山家に仕えていた家老の四代目伊賢が、
明智町の馬木地区で農業に従事し、五代目の与次郎重正がこの母屋を建てた。
保存の為に、馬木から、この場所に移築されたものである。

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(三宅家住宅。)

江戸初期の元禄元年(1688年)の建築で、広く立派な土間や座敷の他、
冬は気温が低く厳しい為、馬屋が母屋内にある構造が特徴だ。
完全な形で残っている築300年以上の茅葺き農家は、国内でも大変珍しいそうで、
映画やテレビのロケ等にも、良く利用されているとの事。

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(屋内の様子。)

外は、暑い位の春の暖かさだが、屋内は、日中に萱から出る気化熱でひんやり涼しい。
土間や囲炉裏の座敷も状態が良く、数人の地元の人や観光客がのんびりとお茶をしている。
裏手にはきちんと蒔が積んであり、この茅の厚さも感心する所だ。

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坂を下り、大通りに戻ろう。
大通りを左に曲がって、北から南の方向に歩いて行く。
この通りが南北街道であり、両側には民家や商店がいっぱい軒を連ね、
大正から昭和中期頃の街並みの雰囲気を残す、明智町のメインストリートになっている。

明治8年(1875年)開局、この東濃エリアで最初に開局した、
旧・明智郵便局【郵便マーカー】がある。
大正時代に出庇と欄間風の彫り物を加え、外装をペンキ塗りにしたモダンな建物になっている。
現在、郵便や電信電話の資料館になっていて、隣の白い建物が現在の郵便局だ。
マピオン電子地図 (旧明智郵便局)

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(旧・明智郵便局。)

郵便局の向かい側には、大正初期に設立された濃明銀行の蔵「銀行蔵」【円マーカー】がある。
当時、養蚕農家に原繭購入資金の融資等を行った、この東濃エリア最古の地元資本の銀行である。
なお、この郵便局と銀行周辺が、明治・大正時代から町一番の商業中心地だった様子だ。
建物が立派で大きく、道いっぱいに下がっても、カメラのフレームに入り切らない程である。

蔵は二棟あり、写真に写っている大正初期建築の白壁の木造二階建ての東棟と、
奥に100畳敷き木造一部四階建て、手動エレベーター付きの巨大な西棟がある。
この蔵には、銀行が買い取った繭や農家から担保として預かった繭を保管していたそうだ。
当時は、町の栄華を象徴した建物であり、今は、資料館になっている(館内入場は有料)。

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(濃明銀行蔵。)

銀行蔵の左隣には、大正村の館【灰色マーカー】が並んでいる。
米穀商の後、医院を開いていた、地元有力者の橋本家の邸宅になる。
明治末期の建築で、大正の生活の様子や民具が展示されており、屋内見学も出来る。

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(大正村の館。旧・橋本家。)

所々にある、年期の入った街角消火器箱も懐かしい。
古い木造建築が多いので、火事には特に気を付けているらしい。

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(街角の消化器箱。おそらく、昭和のものだろう。)



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2016年1月23日再編集
2016年5月30日再編集(文体変更・画像整理)
2017年1月10日再編集(画像再処理入れ替え・文章追加)

【参考資料】
現地観光案内板・解説板

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category: 明知鉄道 全16話

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