hmdの鐵たびブログ ローカル線の旅

のんびりローカル線の鉄道旅を、写真を中心に「見る紀行文」で長期連載しています。

【287】スカーレットトレインでワイキキへ・・・名古屋鉄道蒲郡線(4)西浦駅と戦前の蒲郡線の車両変遷。  




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蒲郡911======920西浦
下り961列車・普通・吉良吉田行
6010編成2両編成(折り返し乗車)
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一度、蒲郡駅(がまごおり-)まで戻り、朝の車窓ロケで気になった駅を訪問しよう。
蒲郡駅から四駅目の西浦駅で下車する。時刻は、9時半前だ。
上り蒲郡行き960列車と列車交換をし、上り列車が先発して行く。

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(上り蒲郡行き960列車と、列車交換となる。)

この西浦駅は、三河湾に突き出た西浦半島の根元部の大きな町にあり、
蒲郡駅から出発して、最初の途中主要駅と言える駅になっている。
昭和11年(1936年)7月の延伸全通時に開業、起点の蒲郡駅から4駅目、7.1km地点、
所要時間約10分、所在地は愛知県蒲郡市西浦、標高12mの終日無人駅になる。
蒲郡の代表的な温泉地である、西浦温泉の玄関駅でもあり、駅前からバスが発着している。
かつては、観光客や温泉客で、大変賑わっていたそうだ。

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(駅名標。)

駅は北東から南西に配され、4両編成に対応する島式ホーム一面二線の列車交換可能駅であり、
この駅で列車交換をする事が多い。
かつては、名古屋方面からの直通特急や急行列車も停車し、この西浦止まりもあったそうだ。
駅周辺は、住宅地が広がっており、静かな環境である。

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(構内踏切から、ホーム全景。)

蒲郡方を眺めると、緩やかに側線と上り副本線が纏まり、住宅地の中に線路が延びる。
側線の外側には、空き地と雑木林が広がっている。
側線横には、大きな46キロポスト(元・三河線知立起点)が埋められている。

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(蒲郡方。)

吉良吉田方には、構内踏切があり、直ぐに全ての線路がまとまって、踏切を通過する。
昔は、駅舎の西並びに、単式ホームがもうひとつあったらしい。
位置的に貨物ホームだったかもしれない。

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(吉良吉田方と構内踏切のスロープ。)

下り蒲郡行き2番線に平行して、留置線と小さな倉庫があり、保線車両が置かれている。
昭和22年(1947年)4月の電化前までは、西浦車庫と言う車両検修区もあったそうで、
側線が四本もあり、線路を跨ぐ大型クレーンも設置していた。
今では、その面影も無く、鬱蒼とした雑木林になっている。

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(小型トロッコを連結したレールバイク、工事用軌道車と保線用倉庫がある。)



ここで、開通時から終戦頃までの蒲郡線の車両変遷の歴史に、触れたいと思う。
三河鳥羽駅から蒲郡駅の延伸開通による全線開通は、昭和11年(1936年)11月になり、
当初、この延伸区間は非電化で、旅客列車はガソリン気動車で運行されていたそうだ。
なお、吉良吉田駅から三河鳥羽駅までは、直流1500Vで電化されており、
当時は三河鉄道三河線として、知立方面から電車が運転されていた。
その為、三河鳥羽駅が乗換駅となっていた。

昭和11年(1936年)11月、三河鉄道三河線(現・蒲郡線)が延伸し、蒲郡駅まで全線開通。
同年、鉄道省(後の国鉄)から三河鉄道に、鉄道省700形タンク式蒸気機関車が譲渡された。
鉄道省浜松工場(後の国鉄浜松工場)で整備の上、709号機として、蒲郡線の貨物列車を牽引した。
しかし、太平洋戦争のガソリン不足で、昭和16年(1941年)からは、客車も牽引している。

なお、旅客用車両として、三河鉄道オリジナルのガソリン気動車キ80形(名鉄合併後はキハ200)が、
日本車両製造で二両新製され、蒲郡線に導入されている。
キ80形は、当時流行していた流線形二枚運転窓で、14m級車体、片開き二扉車の特徴ある車両だった。
後年は、名鉄瀬戸線に転用され、無動力の制御車(片運転台付き車両)に改造されて使われていた。
制御車化された2番車は、ク2222の車番から、鉄道ファンからは、「アヒル」と親しまれたそうだ。

昭和16年(1941年)6月、名古屋鉄道に合併。
同年に、明治村に動態保存している12号機関車こと、
元・鉄道院160形タンク式蒸気機関車が入線し、蒲郡線専用機関車として活躍した。
この12号機は、明治7年(1874年)に新橋駅-横浜駅間の日本初の鉄道の増備用機関車として導入され、
鉄道院から払い下げの後、尾西鉄道(現・名古屋鉄道尾西線)の木曽川-弥富間を走っていたが、
大正14年(1925年)の名古屋鉄道合併後は、臨工(工事)用機関車として使われていた。
後に、須賀口駅(現・名古屋鉄道本線須ヶ口駅)に放置されていたが、
戦況悪化によるガソリン不足の為、復活したのである。

また、三河鉄道岡崎市内線・岡崎線(後の名鉄岡崎市内線と挙母線/-ころも/現在、共に廃線)で、
複電圧電化路線の直通運転をしていた三河鉄道オリジナルのガソリン気動車キ10形
(名鉄合併後はキハ150/昭和9年7月、日本車輌製造、9.7m半鋼製車体、片開き3扉車、
自重14.0t、6気筒78馬力、定員52名)を蒲郡線に転用した。
その後、ガソリン不足の為、木炭車に改造されたが、直ぐに運行不能になったそうだ。
その為、キ80形と共にエンジンを降ろされて、蒲郡線の付随車(客車)になった。

昭和17年(1942年)、元・豊川鉄道タンク式蒸気機関車の機3号が入線。
同機は、名古屋鉄道13号機に変更され、この西浦車庫に配属された。
なお、12号機は蒲郡線専用であったが、709号機と13号機は、
東名港(東名古屋港)の輸送と兼任の為、戦争末期は、ダイヤ編成や運行に苦労したそうだ。
この頃の蒲郡線には、三両の古典的タンク式蒸気機関車が在籍した事になり、
付随車化されたガソリン気動車を牽引し、貨車も併結する興味深い編成が見られた。

昭和19年(1944年)、鉄道省キハ6401、6402(元・ホジ6005形)を導入。
ガソリンやディーゼルエンジンの内燃機関ではなく、箱型車体の車端部にB形小型蒸気ボイラーを置き、
蒸気機関車と同様に蒸気を動力源とする蒸気動車と言われる車両で、初期の両運転台気動車である。
出力が小さく、石炭や水の積載量も少ないが、単行運転が可能の上に折り返し運転の機回しが不要で、
燃料事情が悪かった戦中から終戦直後のローカル線では、重宝されていた。
しかし、大正2年(1913年)製と古く、取り扱いは難しかった様で、結局は運用されなかったそうだ。
なお、このキハ6401は、鉄道記念物として、JRの東海のリニア・鉄道館に展示保存されており、
正式には、工藤式蒸気自動客車と言う、後の国鉄気動車の祖となる車両である。

昭和22年(1947年)4月、全線を直流600Vで電化。
なお、吉良吉田駅から三河鳥羽駅間は、三河線の架線電圧の直流1500Vであったが、
先の昭和18年(1943年)に600Vまで降圧され、西尾線からの直通運転に変更している。
車両は、西尾線の主力であったモ1000形ファミリー(元・愛知電気鉄道電3形と4形)が、乗り入れた。

この蒲郡線は、地方の小さなローカル線であるが、三両もの古典的タンク式蒸気機関車や
あの蒸気動車の導入も試みたそうで、鉄道趣味的には、とても興味深い路線と言えるだろう。
また、この小さなローカル線にも、戦争の影響が大きかったのも、考えさせられる所だ。



吉良吉田方にあるスロープを降りて、駅舎に行ってみよう。
終日無人駅であるが、自動券売機と有人駅への連絡用インターホンが設置されている。
蒲郡線の全ての途中駅では、自動券売機が完備されており、
運転士席後ろに運賃箱があるが、車内での精算は原則不要になってる。
また、この駅には、保線区が置かれているらしく、駅事務室は保線員の詰所になっているらしい。

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(簡単な鉄製ポールだけの改札。出札口は、シャッターで閉鎖されている。)

15畳程ある広い待合室は、大勢の観光客を捌く為であったのであろう。
出入口横には、地元ボランティアが設置した大きな枯れ木アートがあり、訪問者を歓迎してくれる。
ロングベンチは、線路側に突き出した庇の真下にあるのが、珍しい構造だ。

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(木造のロングベンチは、ペンキも厚く塗られ、状態は良い。)
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(人の背丈よりも高い枯れ木アートに驚く。)

駅舎の外に出てみよう。
築80年近く、老朽化が激しい為か、外壁南側は全面的に金属トタンで覆われている。
妻面等に原形が残っているが、そのギャップに驚かされる。
平屋の木造モルタル建てであるが、1.5階建ての様に屋根が高いのは、後年に増築した可能性があり、
その屋根の傾斜もかなり緩いのが特徴で、タイルの腰巻きが印象的である。
元の駅舎の外観は、どんなデザインだったのか、想像してしまう。

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(西浦駅舎本屋。)

駅前広場は細長いが、結構広い。
駅舎並びの吉良吉田方には、貨物ホーム跡と思われるスペースがある。
かつては、乗務区分室もあり、鉄道員やバス乗務員の宿舎もあったそうだ。
昭和40年代頃に、西尾線の西尾乗務区に統合されたらしい。

駅前広場西寄りには、名鉄バスの停留所がぽつんと立っている。
蒲郡駅前からやって来る西浦温泉行きの路線バスは、1日20本弱もあり、
この駅を経由して、西浦温泉までの所要時間は約10分との事。
なお、駅前には、主要道が接続しておらず、約200m歩くと県道がある。

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(西浦駅前の名鉄バス停。)

西浦温泉は、西浦半島先端にある交通至便な三河湾に面した温泉地で、
昭和29年(1954年)に開湯した比較的新しい温泉との事。
温泉地からの展望も大変良いので、地元では、「三河の熱海」とも言われるそうだ。
また、古の万葉集にも、その絶景が歌われている。

「いづくにか 舟泊(は)てすらむ 安礼の崎 漕ぎ廻(た)み行きし 棚なし小舟」

高市連黒人(たけちのむらじくろひと)作、万葉集巻一の五十八番。


この風光明媚な西浦半島は、万葉集に頻繁に詠まれた、安礼(あれ)の崎とする説もあるそうだ。
温泉郷内には、万葉集の石碑を巡る遊歩道が、整備されている。

西浦温泉観光協会公式HP



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【参考資料】
NPO法人名古屋レール・アーカイブス「NRA NEWS No.3」2008年2月9日発行
「名鉄電車昭和ノスタルジー」(徳田耕一著・JTBパブリッシング・2013年5月発行)

2016年12月26日再編集(画像入れ替え高解像化・校正)

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category: 名古屋鉄道蒲郡線 全10話

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