hmdの鐵たびブログ ローカル線の旅

のんびりローカル線の鉄道旅を、写真を中心に「見る紀行文」で長期連載しています。

【279】一富士、二煙突、三かぐや・・・岳南電車(9)岳南富士岡駅から、比奈駅へ。歩き鉄&下車観光[後編]  




岳南忠霊廟の丘【青色マーカー】から、更に西に進むと・・・
緑の多い高台の住宅地の中に、青竹が生い茂った、竹採公園【緑色マーカー】がある。
あの有名なかぐや姫伝説発祥の地と言われており、
全国に候補地が幾つもあるが、ここは特に信憑性が高いと言われる。
岳南線の駅名でもある比奈(ひな)は、平安の頃の旧字では、姫名郷(ひなの-)と言われた事や、
赫夜姫(かぐやひめ)、籠畑や見返し等の関連性のある地名も残っているそうだ。

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(歴史自然公園として整備され、地元の憩いの場にもなっている。)

かつては、江戸時代初期の臨済宗中興の祖である、白隠禅師ゆかりの無量寿禅寺があった地で、
現在は歴史公園として、駐車場と周遊路が整備されており、定休日以外は自由に見学できる。
薄暗い厳かな竹林の中に、竹採塚があり、翁夫婦とかぐや姫が暮らした場所と伝えられている。

エントランスである小さな広場から、土手の竹林の斜面を一周する周遊路あるので、辿ってみよう。
鬱蒼と茂った竹林は、中を歩くと外界と遮られた様な不思議な感じがし、
宅地開発前のこの一帯は、こういう雰囲気だったのであろう。
周遊路の入り口から、竹林の中の登り坂を3分程度歩くと、囲われている小さな塚がある。
塚は、古来からあるたまご型の自然石で、公園整備の際に改築されたそうだ。

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(石には、竹採姫と刻まれているが、いつのものかは不明とのこと。)

竹取物語は、日本最古の物語とされ、奈良時代から平安時代に出来たと言われている。
なお、地元に伝わるかぐや姫伝説の終末は、一般的に知られている内容と異なる。
天女の出迎えで月に帰るのではなく、不老不死の薬(不死=富士山に通じる)の箱を置き土産に、
富士山の頂きの大池にある宮殿に帰ったと伝えられている。
また、地元では、毎年の秋名月の頃に「姫名の里まつり」が開催され、
ミスかぐや姫のお披露目や舞踊、演芸や飲食コーナーなども設けられ、大変賑わうそうだ。

【富士市竹採公園】
見学無料。毎週木曜日定休(祝日は開園、翌日代休)、12月29日から1月3日は年末年始休み。
3-9月は8時30分から18時まで、10-2月は8時30分から17時まで(夜間は閉鎖)。
無料駐車場(普通車10台程度)、出入り口広場に東屋風休憩所と公衆トイレあり。



とても静かな周遊路を一周して、歴史の深さと日本的な情緒を堪能した後、竹採公園を出発しよう。
高台にある中学校の前を通り、その西には、神社や寺院が集まったエリアがある。
旧家の多い住宅地内の路地を歩いて行くと、鏡石湧水池と水路【茶色マーカー】があり、
水神も祀られている。なお、鏡石は、あの照手姫伝説に関連し、かぐや姫と同一と言う説もある。

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(鏡石公園前の水神祠。高台であるが、この付近も湧水が豊富だ。)

更に先のカーブした坂を下って行くと、滝不動【鳥居マーカー】がある。
元々は、隣にある永明寺の鬼門に置かれた鎮守堂で、
本堂横の湧き水を頭からかぶる不動は、「いぼとり不動」と言われ、
池の水を掛けてお参りすると、いぼが取れると言われている。
昔、いぼが沢山できた娘が毎日お参りをした所、満願日の21日目の朝に、「池の水をかけろ。」と
夢枕で言われ、体にかけた所、たちまち取れた事から、そう言われる様になったそうだ。

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坂を下りきり、大きな道路に繋がる角には、この周辺で最も立派な永明寺【祈りマーカー】がある。
奈良時代の著名な高僧である行基(ぎょうき)によって、開基された真言宗の寺であったが、
戦国時代に曹洞宗に改宗された禅寺である。
かつては、七堂伽藍を擁し、時の為政者である今川家、武田家、豊臣家や徳川家から、
判物(はんもつ/大名等からの文書)や朱印状を賜る程の大寺だったそうだ。

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この寺には、「東海一の庭園」と言われる、名園が本堂裏にあるそうで、
無理を承知の上でお願いした所、特別に拝観させて頂いた。
本堂横の近代的な庫裏にお邪魔すると、控室が連なる縁側から一望出来る。
湧き水を利用した立体感のある大庭園で、幾つもの小滝もあるその奥行き感には驚かされ、
最上段は小さな谷の様になって富士山に向かって上がり、暫く、その山水に無心で見入る。

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永明寺の西には、川が流れ、昔は深い淵だった鎧ヶ淵親水公園【黄色マーカー】がある。
湧き水が豊富に湧き出るこの公園は、源頼朝が鎧を外して、水浴したと伝えられている。
初夏には、蛍見も出来るそうだ。なお、この川は下ると、岳南原田駅東を流れる滝川になる。

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この淵にも、面白い伝説が伝わっている。
永明寺の小坊主が、木の枝の選定中に山刀を鎧ヶ淵に誤って落としてしまった。
和尚に、「淵に潜って、拾ってきなさい。」と言われ、潜った所・・・
淵の底で、美しいひとりの女人が機を織っており、
「おまえの山刀で布が切れてしまった。山刀は返すが、私がいたことは誰にもいうでないぞ。」
と言われた。
小坊主が寺に戻ると、たったの三日と思っていた時間が3年も経過していたそうで、
竜宮城の様な物語が言い伝えられている。

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さて、中学校前まで引き返し、長い坂を下って、比奈駅へ向かおう。
中学校前の交差点角に、軽食スタンド「ろばた杉秀」【クレープマーカー】がある。
元々は、魚屋だったらしいが、近くにふたつの学校がある事から、店替えしたそうだ。
子供達が好きなクレープやソフトクリームなどの他、お好み焼やたこ焼き等もあるので、
昼食代わりにも良いだろう。
竹採公園には、入口横に無料休憩所もあるので、そこで食べる事も出来る。

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そのまま、中学校前の長い坂を下る。
この坂は御崎坂(みさき-)と言われ、根方街道から北に接続する古道だったそうで、
神社や寺院が沿道に沢山あり、それが良く判る。
また、平安時代末期の治承4年(1180年)の源平の富士川の戦いにおいて、
この御崎坂付近に、源氏軍の陣を置いた言い伝えが残っている。

なお、御崎の旧字は岬だそうで、奈良時代の好字二字令(※)により、変更されたらしい。
海から離れているが、この高台が富士山南麓から突出した、岬状になっている事による。

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(坂の途中には、地元郷土研究会の立派な石碑が建てられている。)

根方街道を横断し、住宅地の細い路地を通り抜けると、比奈駅に到着する。



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散策コースは、岳南電車沿線マップ裏面の「泉の郷山本勘助と歴史探訪」(原田-富士岡)コースを、
逆行程に歩き、岳南原田駅ではなく、比奈駅を終着としたコースになっています。

鎧ヶ淵の伝説については、口伝の為、細かな点に違いがあります。
現地に設置された、観光案内石碑に刻まれたエピソードを引用しています。

永明寺の庭園は、通常、観光客には非公開になっています。
今回は、ご厚意で特別に拝観させて頂いています。

(※)好字二字令
正式には、諸国郡郷名著好字令(しょこくぐんごうめいちょこうじれい)と言われ、
地名の発音はそのままで、好ましい漢字二字で地名を表記する様に、
一斉に表記を改めた。和銅6年(713年)に発布。
これには、漢字の当て方の統一や、地名から日本神話の由来を廃する方針があった。
中には、無理に変えられた為、読みが変わった地名もある。
一文字の地名は、強制的に二文字になった。

〈例〉
倭→大倭(後の大和)、明日香→飛鳥、木→紀伊、島→志摩、
遠淡海(とほつあはうみ。浜名湖の事)→遠江、車→群馬(読みが変わった例)

日本で二文字の地名が圧倒的である事は、この好字二字令の影響であり、
時代が下っても、地名は基本的に二文字であるのが暗黙の了承になった。
当時の先進国であった中国の唐の政策を手本にし、律令政治を施政するにあたり、
日本神話に関する由来を排除し、当時の実情に合わせたと考えられている。
(好字とは、好ましい漢字の事。佳字とも書く。)

【参考資料】
現地観光案内板
富士市公式HP「文化財の紹介」
岳南電車沿線マップ(岳南電車発行)
「御崎坂のいわれ」現地頒布リーフレット(吉永郷土研究会発行)
アイラブ岳鉄(鈴木達也著・静岡新聞社刊・2001年)

2016年12月22日再編集(画像入れ替え・校正)

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category: 岳南電車 全13話

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