hmdの鐵たびブログ ローカル線の旅

のんびりローカル線の鉄道旅を、写真を中心に「見る紀行文」で長期連載しています。

【259】潮騒と浪漫の小さな鉄道・・・銚子電気鉄道(14)外川駅下車観光 外川めぐり[その3]長崎鼻  




犬岩から大杉神社【A地点】まで戻り、今度は、東側に行ってみよう。
神社前の小高くなっている道路を、そのまま東に歩く。
ここからは、犬吠埼まで2.5km位なので、30分程度で歩いて行く事も出来る。

IMGP0131_20160112232028e1f.jpg
(犬吠埼へ行く海岸道路。)

高台にある1.5車線分の道路は、少し下ると、広々とした二車線の新しい道路になる。
道路に面して、海が広がり、大きな砂浜【波マーカー】が残っている。
源義経が馬(駒)を止めて休んだ浦なので、古藻浦(こもうら)と言われ、
「こま(駒)」が「こも」に訛ったそうだ。
また、暖かい場所のなのか、道路下の土手には、大きな葉サボテンが自生している。

実は、この付近の海岸には、慰霊碑や卒塔婆(そとば)が、海に向かって多く建てられている。
良い漁場らしいが、暗礁の多い難所らしく、海難犠牲者を弔うものだろう。
豊かな海は恵みをもたらす反面、人は敵わない大自然の怖さを感じさせる。

IMGP2399.jpg
(古藻浦の眺め。※春の本取材時の撮影。)

近年整備された護岸道路の先には、海に突き出した小半島状の場所があり、小さな漁村がある。
ここは、陸地の幅が200m位しか無く、太平洋の荒々しさの中にある場所になっており、
約250世帯・約530人が暮らしている長崎町になる。
また、犬吠崎からも見える、太平洋に突出した磯場があり、長崎鼻と言われる先端部に灯台がある。
「鼻」とは、端を意味するそうだ。

IMGP2401.jpg
(長崎町と長崎鼻。※春の本取材時の撮影。)

長崎町の中に入ると・・・人気が無く、とても静かだ。
海岸沿いの道路を歩いて行くと、海石の石垣に囲まれた石祠【祈りマーカー】がある。
塩害が強くて、ボロボロになっているが、とても小さな御手洗もあり、可愛いらしい。

この小さな祠は、地元では、「亀の子さま」と言われているそうだ。
明治の終わり頃、「生け捕りの亀を食べた漁師が、祟りで死んでしまった事件。」と、
「流木を拾うと、末代まで大漁に恵まれる。」と言う、ふたつの地元民話が由来になり、
漁師達が亀を海神の使いと信じ、亀の甲羅を御神体として、祀った神社との事。
漁師の町が多い銚子周辺には、あちらこちらにあるそうだ。

IMGP0136.jpg
(長崎の亀の子さま。)

町内には、黒瓦の屋根がとても低く、石垣に囲まれた立派な旧家【赤色マーカー】もある。
網元らしい大邸宅で、昔の漁師の家構えは、こう言う雰囲気だったのだろう。

IMGP0145_20160112235526e85.jpg
(漁師の旧家。)

防波堤にある、長崎漁港の出入り口から、灯台の近くまで行ってみよう。
長崎漁港【錨マーカー】は、漁船を降ろすスロープと小さな堤防があるだけの鄙びた漁港で、
観光の釣り船は係留されていない。地元の為の漁港であり、こんな感じの小さな港も良い。

IMGP0160.jpg
(長崎魚港。)

平坦であるが、拳大の石が転がる荒れた磯場が広がっており、気を付けて歩く。
長崎鼻の先端には、長崎鼻一ノ島照射灯【灯台マーカー】が聳え立っている。
座礁を防ぐ灯台施設のひとつで、回転や閃光はせず、危険箇所を照らすものであり、
高さは23m、昭和30年(1955年)4月に初点灯し、500m先の一ノ島を照らしている。
なお、遠目に見ると、白いペンキ塗りに見えるが、小さな白タイルを無数に埋め込んだ美しい塔だ。
遠くには、真っ白な犬吠埼灯台が見え、絶景である。

IMGP0149_20160112232346e64.jpg
(長崎一ノ島照射灯と犬吠埼灯台。犬吠埼灯台までの直線距離は、約1.7kmある。)
IMGP0151.jpg
(長崎鼻の先にある一ノ島を望む。かなり、荒れた磯場である事が判る。)



照射灯から、港の出入り口に戻ろう。町の中央部の小高い所に、石の鳥居が見える。
北側に大回りし、住宅が密集している路地を歩いて、行ってみる。

IMGP0132.jpg
(高台の石鳥居。)

この神社は、長崎町鎮守の西宮神社【神社マーカー】で、全て石造りだ。
丁度、見学していると・・・「面白いかい?」と、地元の年配男性が石段を登って来て、挨拶をする。
この西宮神社の由来や長崎の町の様子を伺う事が出来た。

本殿前の石碑を読むと、江戸初期、鰯を追って来た西宮出身の漁師が住み着き、
故郷を偲んで遷宮したとの事。
出雲大社の大国主命の子・事代主命(ことしろぬしのみこと)が、祭神になっている。

IMGP0173.jpg
IMGP0179.jpg
(西宮神社と古い石祠。)

地元の方によると、長崎の町は三方が海に囲まれ、非常に風と塩害が強い為に風化が激しいそうで、
近年、氏子達でお金を出し合って再建したそうだ。後ろのふたつの小さな石祠は、先代の本殿との事。
昔は、祠の室に供物や賽銭を置き、祈願祈祷したそうで、この石祠自体が御神体なのだろう。
石碑によると、明治17年(1884年)に再建され、昭和32年(1957年)に鳥居と祠を修復したと、
記されているので、この石祠は明治のものと思われる。
また、狛犬だけは、先代のものを、新しい台座に鎮座してあるそうだ。

本殿後ろの最も小高い場所には、瓦葺きの小さな土蔵とブロックの建物があり、
ブロックの建物の出入り口上に、「水難(丸に救のマーク)救済(会?)」と、微かに読める。
長崎鼻周辺は好漁場であるが、暗礁が多い難所になっている為、
ここから沖を操業する船を監視し、遭難や非常時の指揮所として、使われていたそうだ。
なお、左書き文字、ブロック建てなので、昭和中期頃の建物と思われる。

IMGP0181.jpg
(水難救済会の監視所跡。今も、防波堤上に、ガラス張りの監視所らしいものがある。)

ここは、町内で最も高い所にあるとの事で、海抜は6m位ある。
二階建ての様だが、二階部分の床は無く、屋上に上がる出入り口のみ開いている。
なお、船の性能向上やGPS航法装置等が発達したので、今は使われていないそうだ。

なお、水難救済会は、ロシアの制度を見らなって、明治22年(1889年)に設立された水難救助組織で、
「海の赤十字」とも言われていた。
緊急時には、地元漁師達が救助夫になり、救助活動を行っていたそうで、
公益社団法人として、現在も各地で活動をしている。



「楽しんでいって。」と、地元の年配男性から言われ、お礼をする。
一期一会的な地元住民との会話も、ローカル線途中下車街めぐりの面白い所である。

神社の前の方を見ると、古い漁師家と高い石垣【黄色マーカー】がある。
この高い塀は、波の飛沫が飛んで来る為、塩害から家を守るものだそうだ。
塀の一部になっている大きな自然岩の上には、小さな石祠も祀られており、
漁の安全や豊漁、津波等の災害回避を願ったのであろう。

IMGP0195_20160112232647e35.jpg
(高さは2m以上ある大きな石垣。鳥止まりを防ぐ為か、三角屋根状になっている。)
IMGP0198.jpg
(自然岩の上の石祠。)

隣の旧家は、昔の漁師家の原型を維持しており、今は、倉庫として使われている様である。
屋根瓦は強い煙害の為、白く変色している程だ。

IMGP0200.jpg
(原型を留めている漁師家。風を防ぐ為か、一般的な民家よりも軒が非常に低い。)



海岸の護岸道路に戻り、東に歩いて行こう。
長崎町の東海岸は、ガイドブックにも載っていない、隠れたビューポイントになっており、
波が間際まで押し寄せ、展望も素晴らしい【カメラマーカー】。

IMGP0169.jpg
(護岸道路が東から北に曲がり、堤防に上がる。)

護岸から、沖の方を見ると・・・宝満(ほうまん)【名勝マーカー】と言う、大きな岩場がある。
大小ふたつの島からなり、人が仰向けになって、寝ている様に見える。
また、岩の上では、海鵜が羽を休めている。

この宝満も、義経伝説に関連した地名になっている。
義経公は源義朝の九男(九郎)、平氏を討伐した武将に与えられる受領名「判官(はんがん)」
である事から、「九郎判官義経」とも言い、これが訛って、「ほうまん」になったと言われている。
なお、この島は、二千万年前の海底火山跡だそうで、その安山岩で出来ている。

IMGP0164.jpg
(宝満。※光学ズームにて、撮影。)

長崎海岸からの犬吠埼は、この銚子周辺の海岸でも、一、二を誇る絶景になっている。
暫く、ブルーの美しい景色を楽しんでから、外川駅に戻ろう。

IMGP0171_20160112232736315.jpg
(長崎町東海岸からの犬吠埼。)



にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道旅行へ

当記事は、冬の追加訪問時の取材です。

2016年5月25日再編集(文体変更・画像整理)
2016年12月17日再編集(文章追加)
2016年12月21日再編集(文章追加・校正)


【参考資料】
銚子ジオパークパンフレット(銚子ジオパーク推進協議会発行)

© hmd all rights reserved.
記事や画像の転載、複製、商業利用等は固くお断り致します。

category: 銚子電気鉄道 全15話

thread: 鉄道旅行 - janre: 旅行

tb: --   cm: --