hmdの鐵たびブログ ローカル線の旅

のんびりローカル線の鉄道旅を、写真を中心に「見る紀行文」で長期連載しています。

【236】あかがねの鉄路を追って・・・わたらせ渓谷鉄道(44)「歩き鉄」足尾駅から、通洞駅へ。  


大正の初めに、タイムスリップした様な足尾駅を出発し、再び、歩き鉄になる。
隣駅の通洞駅(つうどう-)までの距離は、約900mなので、そう遠い距離では無い。



旧国道の県道250号線へは出ず、線路沿いの車一台分の小道【A地点】を歩く。
地元では、「トロ道」とも言われ、足尾鐡道(後の国鉄足尾線)開通前の
明治28年(1895年)から昭和28年(1953年)まで、軽便鉄道が走っていた軌道跡である。
丁度、現在のわたらせ渓谷鐵道の線路高台真下を並走し、通洞駅の先まで、行く事が出来る。


(足尾駅横のトロ道の起点部。)

以前は、古河市兵衛氏が建設した、貨物用ロープウェイが足尾周辺に整備されていたが、
この足尾馬車軽便鉄道が開通すると、銅や生活物資輸送に大いに貢献した。
軌間は610mm、300頭の曳き馬を擁する馬車軽便鉄道として開業し、
旅客輸送も後に開始され、木製客車を牽引していたそうだ。
渡良瀬橋の袂を基地とし、最盛期は約33kmの軽便鉄道網が整備され、
南は沢入(そうり)まで、北は日光との境である地蔵峠まで延びていた。

大正元年(1912年)の足尾鐡道の開通後も、町内の乗り合い交通と末端の物資輸送を担い、
大正14年(1925年)には、フォードエンジンを積んだ小型ガソリン機関車を導入した。
「定時客車(単に、定時とも)」と呼ばれ、その運行ダイヤは正確で、時計代わりになったそうだ。



煉瓦造りの危険品庫の裏を過ぎると、少し低い位置から、
足尾駅構内全体【カメラマーカー】が見渡せる。
線路向こうの山際には、開業当時の木造建物が幾つか残っており、廃屋になっている様だ。
なお、桐生方の貨物側線のポイントは、全て取り外されている。


(トロ道からの足尾駅全景。)


(木造の廃屋群。)

トロ道の谷側には、先端が曲げられた細い金属柵【黄色マーカー】がある。
かつての馬車軽便鉄道で使われていた、レールと言われている。


(古レールの金属柵。)

切断された支柱部もあり、レール断面から判断すると、最軽量の6kgレールを使っていた様である。
なお、明治から大正期のレールと思われるが、風化と錆で、刻印は見当たらなかった。
普通鉄道用レールではなく、鉱山に使われている、土木建築用の軽レールと思われる。


(レール切断部。ボールペンの長さは、15cmあるので、その細さが判る。)

足尾駅西端にある転轍機小屋を見て、足尾駅を後にしよう。
両脇に民家が建ち並んでおり、平坦で真っ直ぐな道が、線路跡を何となく感じさせるだけだ。
わたらせ渓谷鐵道の線路は一段高い場所にあり、渡良瀬川側はかなりの傾斜で低く、
幾つかの沢がトロ道と交差している。


(トロ道の様子。)

足尾の町中は、トタン屋根の民家が多いが、立派な大谷石の蔵【倉庫マーカー※】が目を引く。
店蔵らしく、足尾の町中では珍しい。

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(奈良部商店?の石蔵。※渡良瀬川側から、撮影。詳細不明。)

暫く歩いて行くと、天台宗の法華山宝増寺(ほうぞうじ)【万字マーカー】がある。
本堂は大きく立派なもので、最近建て直されたらしく、とても新しい感じがする。

奈良時代末期の延暦7年(788年)、高僧の伝教上人(でんきょうじょうにん)が創基したと言われ、
元々は、渡良瀬橋北の渡良瀬地区にあったが、明治に入って、移転したそうだ。
足尾の地名の由来になった、「波之利大黒天(はしりだいこくてん)」の木像が、
本堂に安置されており、日光開山の祖・勝道上人(しょうどうじょうにん)の作と伝えられている。

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(法華山宝増寺入口。)

(法華山宝増寺本堂。)

宝増寺の先には、足尾キリスト教会【十字架マーカー】がある。
18世紀末のイギリスの鉱山王グリーン・ビビアン氏が、世界各地の首位鉱山に教会を建てる計画をし、
日本では、この足尾が選ばれて、明治41年(1908年)に建てられた。

グリーン・ビビアン氏は、失明を期にキリスト教に入信し、
過酷な労働環境に置かれている鉱山労働者や、その家族に対しての宣教活動に携わったそうだ。
氏の全資産で設立した、キリスト教伝導団グリーン・ビビアン・マイナーズ・ミッションから、
2,500円(現在の5,000万円相当)の破格な献金で建てられた。
現在は、彼の遺志を受け継いだ福音伝道教会が運営しているとの事。
なお、この教会が建てられた4年後に、グリーン・ビビアンは逝去している。


(足尾キリスト教会。勿論、木造建築である。)

※追記※
平成26年(2014年)に、国登録有形文化財に指定された。

◆国登録有形文化財リスト◆
「足尾キリスト教会(現・福音伝道敎団足尾キリスト敎会)」
所在地栃木県日光市足尾町赤沢2525
登録日平成26年(2014年)4月25日
年代明治41年(1908年)
構造形式木造平屋建、鉄板葺、建築面積119㎡。
特記足尾銅山の玄関口であった通洞地区の東側、赤沢地区に位置する。
南正面の中ほどに玄関を設け、西側を一室の会堂とし、
東側を牧師の居住空間とする。
足尾で初めての本格的な教会堂であるとともに
唯一の現存例であり、当時の銅山従事者の信仰の様相を伝える。
(文化庁文化遺産データベースを参照・編集。)

家々の間の山側に、小さな稲荷神社【鳥居マーカー】もあるのも、良い感じである。
直ぐ裏には、線路も通っている。

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(稲荷神社と線路。)

教会を過ぎて、民家の中を歩いて行くと・・・通洞駅が見えて来る。
駅手前の遮断機や警報機の無い第四種踏切を渡ると、
浄土真宗金龍山蓮慶寺(れんけいじ)【祈りマーカー】がある。

日光を開山した、勝道上人(しょうどうじょうにん)由来の小寺で、
歴史は古く、飛鳥時代末期・天武天皇治世の西暦676年の開基と伝えられている。

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(金龍山蓮慶寺前の第四種踏切。)
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(金龍山蓮慶寺本堂。)

仏寺であるが、境内奥には、簀子橋山神社大鳥居(すのこばしさんじんじゃ-)がある。
元々は、寺横の渋川上流にあった山神社の鳥居で、護岸工事の為に移設された。
なお、江戸時代までは、精錬所のある足尾本山ではなく、渋川上流が銅採掘の中心地であった為、
安全祈願の山神社が多数建てられていたそうだ。
簀子を渡した桟橋状の木造橋が、近くにあった事が名の由来で、当地最古の山神社だったとの事。


(簀子橋山神社大鳥居。江戸時代のものと、言われている。)

そして、国登録有形文化財の渋川橋梁【橋マーカー】を過ぎると、通洞駅前に到着する。
足尾鐡道開業時の大正元年(1912年)に架橋された、明治時代形式のデッキガーター鉄橋で、
トロ道側通洞方には銘板があるが、鉄橋の影に隠れて良く見えない。

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(渋川橋梁。)

◆国登録有形文化財リスト◆
「わたらせ渓谷鐵道渋川橋梁(しぶかわきょうりょう)」
所在地栃木県日光市足尾町赤沢・松原
登録日平成21年(2009年)11月2日
年代大正元年(1912年)
構造形式鋼製単桁橋、橋長14m、橋台付。
特記渡良瀬川水系渋川に架かる橋長14m、単線仕様の鋼製単桁橋。
桁は40ftのデッキガーダーで、スティフナーの上下端をJ形とするなど
明治中期の形式を留める。橋台は花崗岩をイギリス積風に積んだ精緻な造り。
(文化庁文化遺産データベースを参照・編集。)

この渋川は、以前は、床屋川(とこやがわ)と呼ばれていたそうだ。
現在は、鉱毒を沈殿させる簀子橋堆積場が上流にあり、渋川を遡る道路は立入禁止になっている。
しかし、場所が場所だけに、万が一に決壊すると、足尾町中心部が汚染・壊滅するとも言われている。


(谷間に見える、簀子橋堆積場の巨大な鉱滓ダム。※)

足尾駅から見学をしながら、徒歩30分程で、通洞駅に到着する。



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(※石蔵)
現在は、取り壊された可能性がある。奈良部商店のものと思われるが、詳細は不明。
(※簀子橋堆積場)
簀子橋堆積場は、鉱毒に汚染されており、大変危険です。
その為、警備も厳しく、撮影見学や興味本位での立ち入りはしないで下さい。

【参考資料】
現地歴史観光案内板
足尾銅山略図(日光市発行・平成22年)

2015年12月5日再編集
2016年12月14日再編集(文体変更・文章追加・画像整理)

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category: わたらせ渓谷鐵道2日目 15話

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