hmdの鐵たびブログ ローカル線の旅

のんびりローカル線の鉄道旅を、写真を中心に「見る紀行文」で長期連載しています。

【233】あかがねの鉄路を追って・・・わたらせ渓谷鉄道(41)「歩き鉄」間藤駅から、足尾駅へ&古河掛水倶楽部。  


足尾銅山の中心地であった足尾精錬所から、
わたらせ渓谷鉄道終点の間藤駅(まとうえき)に戻って来た。
時計を見ると、午前10時を過ぎた所だ。二時間程度の本山観光だった。

この間藤駅から、上り桐生行きの列車に再び乗車しようと思ったが、
駅時刻表を見ると、1時間半後の11時29分発の列車なので、隣駅の足尾駅まで、歩いてみよう。
所謂、乗り鉄のバリエーションである、「歩き鉄」である。
列車からの過ぎ行く車窓とは、また違って、ゆっくりと沿線の見所を見る事が出来る。

間藤駅の向かい側には、古河キャステック【工場マーカー】がある。
古い工場建物が多く残っており、昭和を濃厚に感じさせる工場だ。
危険物庫らしい煉瓦造りの倉庫も、県道に面してあり、外から見学が出来る。


(古河キャステック間藤工場正門。)

(銅山時代のものと思われる、木造工場や古い看板も味がある。)

足尾銅山を所有する、古河機械金属グループの会社で、かつては、古河鉱業間藤工場であった。
当初の足尾銅山では、欧米製輸入機械を使って採掘を行なっていたが、
明治33年(1900年)にこの工場が設立され、輸入機械を手本として、
国産の改良された各種機械を製造したと言う。
後年には、この間藤工場製の削岩機等が、足尾銅山で使われていたそうだ。
現在、鉱山会社から独立し、鉱山用機械の需要が無くなった今、
高品質の耐熱・耐摩耗の鋳物(いもの※)を製造している。



(南側には、古い鉄筋コンクリートの建物や煉瓦倉庫が残っている。)



早速、出発しよう。
わたらせ渓谷鉄道の盛土の線路を見ながら、長い坂を降って行く。
勾配は比較的緩やかで、沿道の所々には、民家が建ち並んでいる。


(間藤駅南の県道。)

途中には、小さなダムがある。
金網フェンスのプレートを見ると、足尾発電所の取水堰【赤色マーカー】らしい。
水は青々と美しく、かつて、鉱毒で汚染されていた川と思えない程だ。

足尾発電所は、足尾町中心部の通洞(つうどう)近くにある、中小規模水力発電所で、
昭和60年(1985年)竣工と新しく、最大発電量は1万kW(一般家庭約3,000軒分)との事。
なお、東京電力ではなく、栃木県の県営発電所になっている。


(足尾発電所渡良瀬取水堰。)

取水堰から、240m南下すると、県道は左に急カーブをして、わたらせ渓谷鉄道の線路を潜る。
行きの列車で渡河をした、第一松木川橋梁【橋マーカー】である。

大正3年(1914年)8月、足尾駅から足尾本山駅まで足尾鐡道(後の国鉄足尾線)が、
最後に延伸全線開通した際に、架橋された鉄橋である。
イギリス式のトレッスル橋脚に支えられた、このデッキガーター鉄橋は、大変珍しい形式のものだ。
全体的にスマートな印象があるが、細部を見ると、複雑で独特な形式の鉄橋である。
河床の橋台部には、ぶつかる水流を緩和させる為のミニトンネルがあるのが特徴的だ。



(第一松木川橋梁。)

この独特な脚立状の橋脚は、イギリスのパテントシャフト・アンド・アクスルトリー社が、
1888年(明治21年)に製造したもので、日本鉄道の盛岡〜八戸間(後の国鉄東北本線)に
使われていたものを移設したと言われている。
なお、上部のデッキガーターは、明治44年(1911年)・汽車製造合資会社の製造で、国産になる。


(トレッスル橋脚。)

また、下流側には、細いピンプラットトラス鉄橋の歩行者専用橋・田元橋が架橋されており、
昭和2年(1927年)架橋に架橋され、橋長46.0m、幅員4.0mになっている。

◆国登録有形文化財リスト◆
「わたらせ渓谷鉄道第一松木川橋梁」
所在地栃木県日光市足尾町字田元
登録日平成21年(2009年)11月2日
年代大正3年(1914年)
構造形式鋼製三連桁橋、橋長56m、橋台及び橋脚付1基。
特記松木川とほぼ並行して足尾・桐生間に建設された旧足尾鐵道の施設。
渡良瀬川上流に架かる橋長56m、単線仕様の鋼製三連桁橋で、
桁はデッキガーダーとする。
橋脚は頂部まで丁寧に石貼した石積躯体に、
イギリス製の錬鉄トレッスル橋脚を載せる特殊な造りが珍しい。
(文化庁文化遺産データベースを参照・編集。)

第一松木川橋梁を過ぎると、田元交差点【車マーカー】に到着する。
日中も交通量は少なく、静かで大きな交差点であるが、日光方面に向かう重要地点になっている。
国道122号線は旧・日光道であり、その先の地蔵峠下にある日足トンネル(ひあし-)を越え、
いろは坂下の日光市細尾町に入る。
通洞駅や間藤駅からの日光行き連絡バスも、この国道とトンネルを経由して行く。

直進をすると、国道122号線足尾バイパスの桐生方面になり、町の向かい側対岸を通るので、
この交差点を右折して、旧国道の県道に入る。
県道の下り坂を歩いて行くと、明るく左右が開けて、明るくなってくる。
何となく、面白いワインディングの道路と思うのだが・・・。

なんと、左右が川になっており、この道路の部分が、境界の土手になっている。
左手が神子内川(みこうちがわ)、右手が松木川で、向う先が下流側になる。


(川に挟まれている県道。)

神子内川と松木川が合流する場所の橋の袂に、小さな洞穴があり、
波之利大黒天(はしりだいこくてん)【祈りマーカー】が祀られている。
小さな祠だが、実は、足尾の地名の由来となる大黒天である。

日光を開山した、高僧・勝道上人(しょうどうじょうにん/735〜817年)が、
男体山(なんたいさん)で修行中、中禅寺湖上に大黒天が現れ、上人を励ました。
その時、白鼠が穂を咥えて現れたので、鼠の足に紐(緒)を結んで後を追うと、
この洞穴に飛び込んだそうだ(※)。
上人は、ここを修験の場と考え、大黒天と白鼠を祀り、
この地を、鼠の足の緒(お)から、「足緒(現在の足尾)」と名付けたそうだ。

また、渡良瀬の名称も、このふたつの川の合流付近の由来になっている。
勝道上人が川を渡ろうとしたが、谷が深く、急な流れの場所が多い為に困難であった。
しかし、この付近は浅瀬があり、容易に渡る事が出来た事から、
「渡るに良い浅瀬」から、「渡良瀬」となったと言う。
以来、このふたつの川の合流地点からの下流を、渡良瀬川と呼ぶ様になったが、
現在は、松木川の上流が、渡良瀬川の源流とされている。


(波之利大黒天。)

大黒橋の先は、わたらせ渓谷鉄道の線路が近づいて来て、地形も広く平坦になり、
足尾駅の北側が見えて来る。
県道から対岸に向かって、大きな橋がふたつ架かっているのが見える。
渡良瀬橋と新渡良瀬橋【黄色マーカー】である。

ふたつの大きな橋が架かる場所は、渡良瀬鉱山住宅の南側入口になり、
江戸時代以前は、日光道の分岐地点でもあったそうだ。
当地の歴史は古く、奈良時代末期の延暦7年(788年)には、寺が建てられていたが、
江戸時代までは、農地と農家が2〜3戸だけで、明治10年以降の古河市兵衛による足尾銅山再開発以降、
急激な発展を遂げ、大きな集落になったそうだ。


(旧橋袂の道標。年代は不明だが、「左 中禅寺道」と刻まれている。)

旧橋の渡良瀬橋下には、花の渡良瀬公園が整備され、春には桜の名所となっている。
美しいコンクリートアーチ橋で、当初は、鉄製のアーチ橋であったが、
明治後期に架橋されたと伝えられている。
鉄製と言えども、主桁以外の横桁、床板や高欄等は木製だった為、
昭和2年(1927年)に鉄製に改修し、昭和10年(1935年)に主桁にコンクリートを巻き込み、
鉄筋コンクリート化している。

コンクリートを巻き込んだ際、垂直桁の間には斜材(プラットトラス)があったが、
取り除かれて、簡略化されている。
なお、上流側に、新渡良瀬橋が平成9年(1997年)に架橋された為、
歩行者専用を兼ねた保存橋となっている。


(旧橋の渡良瀬橋。後ろの橋が新橋。)

実は、足尾鐡道(後の国鉄足尾線)が開通する以前には、馬車鉄道が敷設されていた。
馬頭尊の石碑もあり、馬車鉄道に従事する300頭もの馬が、ここで待機していたそうだ。


(馬車鉄道拠点跡と馬頭尊の石碑。)

この渡良瀬橋付近は、渡良瀬川が大きく蛇行しており、
その内側には、古河掛水倶楽部(ふるかわかけみずくらぶ)【建物Mマーカー】と言う、
大きな洋館が建っている。どうやら、開館している様子なので、見学させて貰おう。

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(古河掛水倶楽部新館。※内部は、私企業の有料施設の為、割愛。ご容赦願いたい。)

見学希望の旨を伝えた所、中年女性の管理人氏に、快く承諾をして貰う。
平日は予約をしていないと、開館しないそうだが、今日、メディアの取材があった為だそうだ。
自由に見学をして良いとの事だが、付きっきりで、詳しい案内と解説をして頂いた。

この古河掛水倶楽部は、足尾銅山の迎賓館として、明治32年(1899年)に、
創業者の古河市兵衛氏が建てた古い洋館である。
政府関係者や貴賓客を饗し、社交場や宿泊所、鉱山会社関係者の福利厚生施設として、
利用されたと言われている。
現在も、古川金属工業の研修・福利厚生施設として、使われているそうだ。

なお、建物の設計者は不明だが、イギリス式の洋風建築様式が基本になっており、
正面奥の大きな二階建て洋風建築の新館と、その左手に平屋の旧館がある。
大正初期に改築され、現在の姿になっているそうだ。

特に、新館の造りは、大変素晴らしいの一言で、外観は洋風建築でありながら、
内部は檜(ひのき)をふんだんに使った、和洋折衷の独特な様式になっている。
廊下を挟んで、洋室と和室が向かい合わせになっていたり、
ガラス入り引き戸が、洋風の廊下に面してあったりするので面白い。
川寄りの縁側も、木格子のある和風総ガラス張りになっているが、
ステンドガラスが上部に嵌め込まれている。

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(新館渡良瀬川側。)

華美では無いが、重厚でシックな造りは、古川金属工業の社風と伝統を肌で感じる所だ。
また、部屋も当時のままに維持されており、ロマンを大いに感じさせる。
見学後に、エイジングコーヒー(有料350円)をご馳走になり、
20人が一度に会食出来ると言う、大きな食堂で一服させて貰おう。
このような重厚な所で、一服出来るのも、そう滅多に機会が無いと思う。
一服後、古川金属工業の管理人氏に丁寧にお礼を言い、出発しよう。

なお、敷地内には、大きな煉瓦造りの書庫(内部非公開)、重役邸と鉱石資料館(見学可)、
鉱山電話資料館(見学可)もある。

◆国登録有形文化財リスト◆
「古河機械金属株式会社古河掛水倶楽部旧館・新館」
所在地栃木県日光市足尾町2281
登録日平成22年(2010年)1月22日
年代明治32年(1899年) 新館は、明治末期に洋風に増改築。
構造形式[旧館]木造平屋建、鉄板葺、建築面積231m²。
[新館]木造二階一部平屋建、鉄板葺、建築面積476m²。
特記[旧館]新館の北西方に南面して建ち,新館と渡廊下で結ばれる。
桁行21m、梁間7m規模、東西棟、寄棟造、鉄板葺の木造平屋建で、
南面西端に正面玄関、中央東寄りに脇玄関を設ける。
外観は下見板張の洋風とし、内部は西方を畳敷の大広間、東方を洋室とする。
[新館]渡良瀬川の右岸段丘上に位置し、
川に面した東面は石積の柱を現して懸造り風につくる。
桁行17m、梁間12m規模、切妻造、鉄板葺の木造二階建で、
南に厨房等、西に平屋建の球技室を張り出し、
二階をハーフティンバー風にするなどの変化に富んだ外観。
(文化庁文化遺産データベースを参照・編集。)

※追記※
平成28年(2016年)に、煉瓦書庫と鉱山電話資料館が、国登録有形文化財に追加指定された。

【掛水倶楽部ご案内】
[開館日]土・日・祝日の10時から15時まで。平日は事前予約が必要(要電話問い合わせ)。
[連日公開]4月末から5月初めの連休中。
[冬季休館]12月上旬から3月下旬。
[入場料]大人400円、小中学生200円。
 ※会社の社内研修等の利用日は、見学不可。



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(※鋳物/いもの)
金属を型に流して形成した製品。
(※波之利大黒天の祠と洞穴)
大黒橋が昭和31年に架け替えられた為、現在の祠と洞穴はその際に造られたもの。
古来の祠と洞穴は、向かってやや右下にある。

古河機械金属株式会社総務課D様
訪問取材時のご案内・ご解説を頂きまして、ありがとうございました。厚く御礼申し上げます。

【参考資料】
現地観光案内板
足尾銅山略図(日光市発行・平成20年)
古河掛水倶楽部案内パンフレット

2016年1月12日再編集
2016年12月13日再編集(文体変更・文章追加・画像整理)

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category: わたらせ渓谷鐵道2日目 15話

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