hmdの鐵たびブログ ローカル線の旅

のんびりローカル線の鉄道旅を、写真を中心に「見る紀行文」で長期連載しています。

【227】あかがねの鉄路を追って・・・わたらせ渓谷鐡道(35)上州桐生めぐり[その6]桐生伝統的建物群エリア・無鄰館から桐生駅へ。  




無鄰館を出ると、正面向う側に、古い木造建築の中村弥市商店【赤色マーカー】がある。
本町通りに面した店舗の間口は、12mしかないが、奥行きは82mもあり、
江戸初期からの桐生の町割りを、典型的に残しているそうだ。
店舗の後ろには、新座敷、文書蔵、奥座敷、浴場や石蔵が並んでいる。

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(中村弥市商店。今でも、現役の商店で、ペンキ等を販売している。)

本町通りに面したこの店舗は、大正11年(1922年)築で、
木造二階建て寄棟妻入の出桁造りになっており、北側の外壁は漆喰塗りである。
出入り口はアルミサッシに替えられているが、内部の帳場や座敷等は、殆ど当時のままとの事。
なお、季節風が当たる建物北側の漆喰壁は、風防と簡易な防火延焼対策らしい。

中村家には、明治27年から昭和12年までに建てられた、歴史的建造物が合計七棟もあり、
いずれも、国の登録有形文化財に指定されている(敷地内や建物内部は、非公開)。

◆国登録有形文化財リスト◆
「中村弥市商店店舗」
所在地群馬県桐生市本町1丁目6-33
登録日平成17年(2005年)11月10日
年代大正11年(1922年)
構造形式木造2階建、瓦葺、建築面積88㎡。
特記本町通に接し、西面して建つ。桁行5間、梁間3間半、桟瓦葺、
東西棟の木造2階建で,正面を寄棟造とする。
東側以外の三方に半間の下屋を張出す。
北側の路地に面する外壁は、大壁とし、鼠漆喰仕上とする。
創建時の店構えを良く残し,織物産業の興隆を伝え貴重。
※中村家敷地内には、他に6件の国登録有形文化財が指定されている。
(文化庁文化遺産データベースを参照・編集。)

駐車場を挟んで、中村弥市商店の南には、古い蔵がふたつ並んでいる。
この平田家住宅旧店舗・旧店蔵【黄色マーカー】は、共に明治33年(1900年)の竣工で、
白漆喰仕上げの壁に、重厚な観音開きの土扉が付いている

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(平田家住宅旧店舗・旧店蔵。現在は営業していない。)

嘉永4年(1851年)に開業した、老舗の雑貨商・染料商・生糸商だったそうで、
明治31年(1898年)の大火後に建てられた為、火災に強い土蔵造りにしたそうだ。
その後、戦時中の仕入れ困難により、廃業したそうだ。


(店蔵の観音開きの土扉。立体・幾何学的な段差が美しく、鉄製の組格子が入っている。)

また、店の裏には、大正2年(1913年)築の主屋と土蔵(共に非公開)もあり、
合計四棟が国登録有形文化財に指定されている。
なお、この本町通り沿いに、店蔵(商品保管用の蔵)は三軒残っている。

◆国登録有形文化財リスト◆
「平田家住宅旧店舗・旧店蔵(袖蔵)」
所在地群馬県桐生市本町1-6-28
登録日平成18年(2006年)11月29日
年代共に、明治33年(1900年)。
構造形式[旧店舗]土蔵造2階建、瓦葺、建築面積41㎡。
[旧店蔵(袖蔵)]土蔵造2階建、瓦葺、建築面積18㎡。
特記旧店舗は、本町通りに西面する間口3間半、土蔵造2階建の平入町家。
切妻造,桟瓦葺で,表に瓦葺下屋を付ける。
1階は土間に改修され,北側の店蔵の戸口前と東面に床板を張る。
2階は床構えをもつ10畳の座敷がある。
白漆喰塗の外壁に、2階の重厚な塗戸内面の黒漆喰が映える。
(文化庁文化遺産データベースを参照・編集。)

文化財に指定されていない建物も、所々に、目を引くものがある。
この伝建エリアの真ん中付近には、石材で造られた大正・昭和風商店建築のふるた文具店と、
古い木造平屋建ての八百健商店【緑色マーカー】がある。
長く歩いて来たので、喉も乾いてきた。ペットボトルの緑茶を買おう。

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(ふるた文具店と八百健商店。)

左の八百健商店は、野菜や果物の他、食品等も置いている地元ミニスーパーになっている。
会計時、店主と思われる年配女性に、「大変古いお店ですね。」と言うと、
戦前の建物だそうで、戦後になってから、家主から買い取ったそうだ。
また、「太平洋戦争の時の空襲は、大丈夫だったのですか?」と尋ねると・・・
「絹織物で世界的に有名な桐生を空襲してはいけない事を、アメリカさんも、わかっていたのよ。」
との事で、この桐生は空襲を全く受けなかったそうだ。

実際、現在の富士重工業こと、中島飛行機の航空機製造工場があった桐生南方の太田や、
群馬県中心地の高崎や前橋は空襲を頻繁に受けており、
桐生に空襲があると言われた日の前日に、終戦を迎えたそうだ。
「絹織物が、桐生の町を空襲から守った。」と言え、それ故、戦前の建物が多数残っている。
また、昭和30年頃まで、近くを流れる桐生川から取水した用水路が、
この本町通りにあったそうで、今は地中化されて流れているとの事。



店主に御礼を言って出発し、伝統的建物群エリアの入口まで、戻って来た。
矢野商店の隣には、有鄰館(ゆうりんかん)【水色マーカー】がある。

元々は、矢野商店所有の建物群で、醤油、味噌や酒の仕込み蔵が、多数立ち並んでいる。
江戸時代から大正時代にかけて建てられた、これだけの大規模蔵群は大変貴重であり、
平成4年(1992年)に、桐生市が矢野商店から借り受け、後に寄進された。
現在は、市の文化施設として活用されており、国登録有形文化財の指定はされていないが、
煉瓦蔵・塩蔵・味噌醤油蔵・酒蔵・穀蔵の五棟が、市指定重要文化財に指定されている。


(桐生市有鄰館。現在は、市の公共施設になっている。)

(明治22年(1889年)に描かれた、当時の矢野商店全景。現地の観光案内板より。)

本町通りに面した煉瓦蔵は、醤油や日本酒の醪(もろみ)タンクを貯蔵した仕込み蔵で、
大正9年(1920年)築、約130坪(431.1m²)の広さがある。
本瓦葺きの立派な煉瓦蔵になっており、当時の矢野商店の勢いを感じさせる。
また、長い年月を耐えた煉瓦の色が、なんとも言えない風情がある。



(本通り側の大型煉瓦蔵。)

約1,120坪(3,700m²)の広大な敷地があり、
奥の中庭に樹齢300年の大楠が聳え、小さな祠が祀られている。
合計十一棟の蔵があり、その内の五棟を公演や展示等の会場として、活用しているそうだ。


(大楠と小さな祠。奥の草色の蔵は、酒蔵。)

その中でも、代表的な蔵を見てみよう。
事務室東並びの味噌蔵は、江戸時代末期の天保14年(1843年)築と言われ、最も古い。
この味噌蔵の北側には、大正3年(1914年)築の醤油蔵が並んでいる。


(中庭から。左は味噌蔵、右は醤油蔵。)

中庭の南東隅には、味噌や酒の原料の米、大豆、麦を保管した穀蔵(穀物蔵)があり、
明治23年(1890年)以前の建築と言われている。


(穀蔵。)

有鄰館外の南側路地に出てみると、塩蔵・酒蔵・穀蔵の壁が続く、酒屋小路になっている。
背の高い土蔵壁が続く様は、雰囲気満点だ。


(有鄰館南側の酒屋小路。)

有鄰館南側の繊維会社の駐車場も、矢野商店の元敷地であり、石蔵がふたつある。
敷地外から見学していると、有鄰館の職員に声を掛けられ、案内して貰った。

二階建ての米蔵は、大谷石ではなく、地元太田産の薮塚石(やぶづかいし)を使っている。
一階は、倉庫として使われているが、二階は、古い映画館の懐かしいエンジ色シートを並べた、
ミニステージが設置されている。時折、コンサートや演劇等が催されるそうだ。


(米蔵。)

米蔵の北側に砂糖蔵もあり、砂糖専用の蔵も、珍しいかもしれない。


(砂糖蔵。)

この矢野商店は、近江商人の創業者・矢野久左衛門が、
江戸時代中期の享保2年(1717年)に桐生にやって来て、行商からスタートした。
寛延2年(1749年)には、二代目久左衛門が、現在の地に店を構えている。
以降、桐生の商業発展に大きく寄与した豪商であり、「有鄰」は孔子の故事から引用し、
矢野商店が造っていた醤油や日本酒の商標だった。

なお、江戸時代から、醤油・日本酒の醸造や質屋を営み、
明治時代以降は、荒物、薬、染料、呉服や銘茶等を幅広く取り扱い、支店が最大五店舗もあった。
現在、みどり市笠懸町に本社を移転し、各種産業用機械・化学製品の販売や物流事業を行っている。

職員から、「併設している喫茶有鄰で、お茶でも如何ですか?」と誘いを受けたが、
予定が詰まっている為、丁寧に事情と御礼を行って、有鄰館を後にしよう。

【桐生市有鄰館ご案内】
開館時間・9時から21時まで。
休館日・当分の間は無休、12月28日から1月4日までは年末年始休み。
見学料・無料(イベント等の主催利用は、要問い合わせ。)
※蔵内部の見学は、現地の管理事務室にご相談下さい。





桐生駅を出発してから、約三時間が経っている。
駅に戻るが、途中、もうひとつ寄って見たい場所がある。
本町通りを南に歩き、桐生駅北側を通る県道3号線との交差点まで行く。
南に行く程、ビルも高く、近代的なデザインになり、
矢野商店前から歩いて行くと、時代が進む不思議な感じがする。

本町五丁目交差点を東に曲がって、暫く歩くと、桐生倶楽部会館【黄色マーカー】がある。
明治以降、機械化された近代的織物産業で発達した桐生は、
明治後期から大正時代に入ると、海外輸出も増えて、町は更に好況となった。
この桐生倶楽部会館は、大正8年(1919年)に、地元実業家の社交場として建築され、
福沢諭吉が設立した、実業家社交クラブ「交詢社(こうじゅんしゃ)」(東京都中央区銀座)が、
その手本になっているそうだ。

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(桐生倶楽部会館。)

スパニッシュ・コロニアル様式の木造洋風建築とのことで、
小さな切妻屋根、玄関ポーチの列柱や半円形の欄間等が特徴になっている。

この桐生は、海から遠い内陸であるが、ここで西欧のビジネスや社交を学び、
桐生の文化水準の向上に大きく寄与したと言われている。
また、桐生への鉄道駅や銀行誘致等にも、大きな働きかけをしたとの事。
現在も、倶楽部は社団法人として、活動している。

【桐生倶楽部会館ご案内】
現在、社団法人桐生倶楽部が所有管理しており、敷地内と建物内の見学が出来ます。
必ず、事務所に見学申請と記帳をして下さい。
見学可能時間・平日の9時から17時まで、休館日・土曜日・日曜日・祝日、見学無料。

◆国登録有形文化財リスト◆
「桐生倶楽部会館」
所在地群馬県桐生市仲町2-9-36
登録日平成8年(1996年)12月20日
年代大正8年(1919年)
構造形式木造2階建、瓦葺、建築面積485㎡。
特記木造二階建寄棟造瓦葺で、外壁をリシン吹き付けとする。
赤瓦の屋根、上げ下げ窓、小さな切妻の屋根をのせた四本の煙突、
オーダーの見られる列柱の玄関ポーチ、上部を半円形の欄間とした
出入口など、スパニッシュ・コロニアル洋式が見られる。
織物で栄えたモダンな桐生を代表する建物。
(文化庁文化遺産データベースを参照・編集。)

桐生倶楽部会館の見学後、道路の両側に大型アーケードが残る駅前商店街を歩き、桐生駅に戻ろう。
このアーケード商店街にも、昭和風の店舗が沢山残っている。


(商店街のある県道。)



桐生Walker・桐生観光協会公式HP



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桐生市教育委員会さま、有鄰館の敷地内写真掲載の承諾を頂き、ありがとうございます。
厚く御礼申し上げます。

【参考資料】
桐生本町1・2丁目まち歩きマップ(平成19年・桐生市発行)
桐生市有鄰館観光パンフレット(桐生市発行)

2016年1月14日再編集
2016年12月11日再編集(文体変更・文章追加・画像整理)

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