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【224】あかがねの鉄路を追って・・・わたらせ渓谷鐡道(32)上州桐生めぐり[その3]桐生伝統的建物群エリア・伝建まちなか交流館から桐生天満宮へ。  


桐生市の施設である、伝建まちなか交流館【案内所マーカー】の担当者から、
桐生市発行の「桐生本町1・2丁目まち歩きマップ(平成19年)」を貰い、
見逃せない観光箇所を教えて貰う。
伝統的建造群エリアの見学所要時間は、約二時間は必要との事だ。
このマップは、A4サイズ大の見開きカラー印刷で、
歴史的建造物や桐生所縁の人物の簡単な説明がついており、大変判り易い。



伝建まちなか交流館南側の路地に入り、80m程歩くと、石造りの大きな建物がある。
旧・曽我織物工場【青色マーカー】である。
大正11年(1922年)築、五連の大きなノコギリ屋根と大谷石で出来ている重厚な建物で、
昭和45年(1970年)頃まで操業していたが、現在は、民間会社の倉庫として利用されている。


(旧・曽我織物工場/現・佐啓産業本町工場。)

鉄製の重厚な窓扉が並び、煙突状の換気塔と建物妻面上部の通風用丸窓が、特徴になっている。
このノコギリ屋根は、自然採光の為に造られたもので、急斜面の採光面が北西に向いている。
なお、均一な自然光を取り入れる為、南側ではなく、北側に採光面が設けられる。


(工場イメージにもなっている、のこぎり屋根。)

創業家の曽我家は、生糸相場で財を成し、この織物工場を建てたそうだ。
桐生の織物産業最盛期の代表的建築物のひとつで、国の登録有形文化財になっている。

◆国登録有形文化財リスト◆
「旧・曽我織物工場(現・佐啓産業本町工場)」
所在地群馬県桐生市本町1-7-15
登録日平成18年(2006年)3月2日
年代大正11年(1922年)竣工
構造形式木骨石造平屋建、鉄板葺、建築面積550㎡。
特記桁行8間の石造平屋建で,梁間20尺の鋸屋根5連をかける。
屋根は東西棟で、鉄板葺、アルミサッシュ建具に改修されている。
小屋組は木造、外壁は大谷石の切石整層積みで、戸口と窓はまぐさを入れ、
両開き鉄扉を吊り込む。西妻に円形の換気窓を開く。
(文化庁文化遺産オンラインのデータベースを参照・編集。)

旧・曽我織物工場角を曲がり、北に伸びる小路地に入ると、
無鄰館西側のトタン塀【橙色マーカー】には、一面に歴史的人物の名言ペイントが・・・
大分、剥げているが、何とか読める。この無鄰館も、織物工場だったそうだ。


(無鄰館西側のトタン塀。)

無鄰館の北側には、ノコギリ屋根工場、防火煉瓦外壁や煉瓦塀【緑色マーカー】も、残っている。
万が一の火事の際、木造建物への延焼を防ぐもので、当時の住宅密集地や工場に見られるものだ。
冬の季節風が吹き付ける北側外壁を、防火壁を兼ねた煉瓦積みとしたもので、
国の登録有形文化財に指定されている。

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(左の背の高く、蔦に覆われた部分が防火煉瓦外壁跡で、現在は、鉄骨で補強してある。)

工場に隣接していた女工宿舎の外壁と塀であったが、
平成5年(1993年)に、木造部分を焼失してしまったとの事。

◆国登録有形文化財リスト◆
「無鄰館煉瓦塀一(旧・北川織物工場女工宿舎煉瓦造外壁)」、
「無鄰館煉瓦塀二(旧・北川織物工場煉瓦塀)」
所在地群馬県桐生市本町1-5-5
登録日平成17年(2005年)11月10日
年代大正5年(1916年)頃
構造形式煉瓦造(イギリス積み、一部は長手積み)
特記[旧女工宿舎外壁]敷地北側境界に沿って建つ高さ6.2m、延長18.3m煉瓦塀。
防火を目的に、工場女工宿舎の北側外壁として建てられた。
煉瓦をイギリス積で積上げ、現在は鉄骨で補強する。
工場主屋の鋸屋根と共に、地域の歴史的景観を特徴づける。
[煉瓦塀]旧・女工宿舎煉瓦造外壁の両端から、
無鄰館敷地の北西隅及び北東隅まで延びる煉瓦塀。
高さ2.4m、東側延長14.0m、西側延長19.2mになる。
煉瓦の寸法ならびに積方は女工宿舎煉瓦外壁と同じイギリス積で、
一連の景観を形成する。
(文化庁文化財オンラインページのデータベースを参照・編集。)

無鄰館北にある、買い場通りの物産売買所(買場・上市場)【水色マーカー】は、
織物産業全盛期の当時、人々が集って、大変賑わった場所である。
現在、「買場ふれあい館」として活用され、毎月第一土曜日には、
この通りで「買場紗綾市(-さやいち)」が開かれ、往年の様な賑わいになるそうだ。

通りの両側には、出庇のある長屋の商店が連ねていたそうで、本町通り側に番屋と門があった。
今は、番屋や門も無く、多くが空き地になり、一部の建物が残るだけである。

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(旧・物産売買所/現・買場ふれあい館。)

本町通りに戻り、左に曲がって、北に歩いて行こう。
買い場通りから本町通りに出る、本町一丁目交差点角に、
森合資会社事務所・店蔵【黄色マーカー】がある。

右の事務所は、大正3年(1914年)に建てられ、銅板葺き、外壁に白磁タイルを使った、
ハイカラな洋風建物である。
森家は金融業を営み、大正時代には、桐生一の富豪だったそうだ。
事務所、店蔵と森家住宅石蔵(穀物蔵)が残っており、店蔵に和釘が使われている事から、
事務所棟よりも古く、明治前期の建築と言われている。


(森合資会社事務所・店蔵。)

事務所北側の森家住宅石蔵(穀物蔵)【紫色マーカー】には、
天然染色(そめいろ)研究所がテナントとして入り、
天然染糸の販売や手織り体験、草木染め体験が出来るそうだ(要予約)。

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(森家住宅石蔵/現・天然染色研究所。)

なお、大谷石ではなく、地元の藪塚(やぶづか)産の溶結凝灰岩を、石材に使っている。
内装は漆喰仕上げで、落ち着いている感じである。

この藪塚石は、地元の太田市藪塚町に産出していた軽石の火成岩で、
栃木県産の大谷石と同じ石質になる。
明治中頃から昭和30年(1955年)頃まで産出され、
石質は柔らかで、熱に強く、カマドや住宅土台に適しているそうだ。
しかし、水に弱く、割れ目が多いのが欠点で、需要が徐々に減少し、閉山となっている。
この両毛エリアでは、大谷石ではなく、藪塚石の石造り建築が少数残っている。

これらの建物を見ると、当時の森家の勢いを感じさせる。
勿論、この三つの建物は、国の登録有形文化財に指定されている。

◆国登録有形文化財リスト◆
「森合資会社事務所・店蔵」、「森家住宅石蔵(穀物蔵)」
所在地[事務所・店蔵]群馬県桐生市本町1丁目3-11
[穀物蔵]群馬県桐生市本町1丁目3--9
登録日平成17年7月12日
年代[事務所・穀物蔵]大正3年(1914年)[店蔵]明治前期
構造形式[事務所]木造平屋建、瓦葺。[店蔵]土蔵造2階建、瓦葺※。
[穀物蔵]石造平屋建、瓦葺。
特記森合資会社は明治37年(1904年)の創業。事務所は大正3年(1914年)の
建築であり、外観は白磁タイル張りの擬洋風建造物である。
大正3年以前に建てられた隣接する店蔵と共に、和洋が一体となっている。
一部に改修が見られるが、大正期の創建当初の商店建築として価値が高い。
石蔵(穀物蔵)は、大正3年に森家の穀蔵として建築された。
石造であるが、外装は漆喰塗りで土蔵風に仕上げてある。
石材は大谷石ではなく、薮塚産溶結凝灰岩を使用しており、珍しい。
(桐生市公式ページの国指定文化財等データベースを参照・編集。)
※店蔵の屋根は東日本大震災被災の為、トタンに葺き替えられた模様。

そして、森合資会社の前を過ぎた先に、桐生天満宮【鳥居マーカー】の大鳥居が、見えて来る。
関東五大天神のひとつに数えられている大きな神社で、
南北に長い境内に平坦な参道が伸び、一番奥の小さな森に社殿が鎮座している。
この周辺は、かつては、「赤城の森」と言う、森が広がっていたそうだ。
桐生天満宮公式HP


(桐生天満宮大鳥居。)

(参道の様子。)

この桐生周辺は、関ヶ原の戦いの直前、徳川家康の直轄領になった。
天正19年(1591年)、この天満宮を宿頭とした桐生の新しい町造りをする為に、
古町の久方町から、桐生五十四郷の総鎮守である梅原天神を遷座したのが、始まりと伝えられている。
なお、言い伝えによると、元々は、紀元1世紀頃の景行天皇の頃に創祀したと言われ、
南北朝時代の頃に、桐生天満宮の社号と総鎮守として相成ったそうだ。





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【参考資料】
桐生本町1・2丁目まち歩きマップ(平成19年・桐生市発行)

2016年1月14日再編集
2016年12月11日再編集(文体変更・文章追加・画像整理)

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category: 上州桐生めぐり 全6話

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