hmdの鐵たびブログ ローカル線の旅

のんびりローカル線の鉄道旅を、写真を中心に「見る紀行文」で長期連載しています。

【218】あかがねの鉄路を追って・・・わたらせ渓谷鐡道(26)大間々駅下車観光[その1]神明宮と高津戸峡。  


さて、大間々駅(おおまま-)の見学が済んだので、大間々の町中を観光したいと思う。
駅構内の観光駐車場に駐めてある、自家用車に一度戻り、再支度をして、出かけよう。

この大間々町は、桐生市の北西約5.5kmにある、渡良瀬川沿いの人口約二万人の町だ。
古くは、周辺で作られた農産物や繭(まゆ)、絹織物の集散地として市場が立ち、
江戸時代以降は、足尾方面への玄関口・銅街道の宿場町として栄えた。
いちローカルな町であるが、駅周辺の住宅も多く、役場、銀行や商店も集まっている。
また、わたらせ渓谷鐡道と上毛電気鉄道のふたつの駅を擁している。

なお、大間々の「間々」は、河岸段丘の事で、「大きな河岸段丘」が地名の由来になっている。
駅周辺は、標高約180mの平地で、巨大な河岸段丘が国道の西側にある。





駅北側の踏切を渡り、地元古刹の神明宮(じんめいぐう)【鳥居マーカー】に向かおう。
大間々は、沿道や公園に桜が多く植えられていり、花見の観光客も多く訪れる。


(県道沿いの桜並木。)

県道踏切を渡ると、カーブの先に鳥居と社殿が見える。
神社前には、大きな市営無料観光駐車場もあり、わたらせ渓谷鐡道訪問時にも利用出来る。


(郷社の神明宮。)

駐車場の奥の木立の中に、南西に面して、社殿が鎮座している。
伝統的な神社建築の神明造り(しんめいづくり)の社殿は、真新しい感じだ。
近年、神社周辺は観光整備された様子で、明るい雰囲気になっている。


(神明宮社殿。)
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(外宮。天照大御神に食べ物を供する、御饌都神(みけつかみ※)の豊受大御神が祀られている。
   内宮の右手奥に鎮座している。)
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(内宮。主祭神の天照大御神が祀られている。ちなみに、女神である。)

この神明宮は、大間々周辺の一町十八村の総鎮守として、地元の厚い信仰を集めているそうだ。
伊勢神宮の流れを汲み、天照大御神(あまてらすおおみかみ/神宮内宮と同じ)と
豊受大御神(とようけのおおみかみ/神宮外宮と同じ)を祀り、内宮と外宮を別々に設けている。
境内には、境内社、末社や古い石祠も多数あり、森の中に佇む様は風情がある。

由縁は、南北朝時代の貞和3年(1347年)に、
現在地より100m程東の渡良瀬川の岩上に創祀されたと言われ、
後の慶長4年(1599年)に、現在地に遷座(移転)している。
明治12年(1879年)までは、伊勢神宮と同様に21年毎に式年遷宮(※)をしていたそうで、
現在の社殿は、平成12年(2000年)に建て直されたものだ。
なお、昔はもっと、規模が大きかったそうで、社殿手前の狛犬は昭和10年(1935年)のものとの事。

内宮の並びには、境内社の八坂神社(天王様)も、祀られている。
京都八坂神社(祇園社)の分祀社で、江戸時代後期・寛政期の建築らしい。
元々、この大間々が市場町である事から、商売の神様として祀っている。
祗園祭の神社であり、大間々町でも、毎年8月1日から3日間、盛大に執り行われるそうだ。

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(八坂神社。境内社としては、大きな社殿である。)

社殿後ろには、「神明の森」と言う森の散策路があり、木立の中に石祠が祀られている。
初めて、天照大御神を祀っていたと言われる石祠や、愛宕神社、八幡神社等が祀られている。
自然と織りなす素朴な雰囲気が、日本古来の信仰を感じさせる。


(神明の森。)

(御隠居様。貞和3年(1347年)に、天照大御神を初めて祀った石祠。)

(八幡神社。子育て・健康・学業成就の神様。狛犬は昭和7年(1932年)のもの。)



内宮の参拝を済ませて、渡良瀬川の方に行ってみよう。
線路伝いに歩いて行くと、途中に、はね瀧道了尊【お祈りマーカー】がある。

諸願成就や子育ての仏様として、地元の信仰を集めている、道了尊である。
江戸時代中期の宝暦2年(1752年)に、神奈川県足柄(あしがら)の大雄山最乗寺から、
迎えられたと言われている。
大雄山最乗寺公式HP

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(はね瀧道了尊。)

江戸時代から地元庶民の信仰を集め、この付近には、「滝の湯」と言う湯屋や茶屋が立ち並び、
毎月末の縁日には、大変賑わったそうだ。
元々は、この場所から、100m北側の渡良瀬川沿いの斜面にあったが、
昭和22年(1947年)のキャサリン台風の大水害により、全て流されてしまった。
その後の再建も難しかった事から、次第に信仰も薄れてしまっていたが、
地元の熱意により、平成15年(2003年)に現在地に移転して、再建された。

御本尊は鳥天狗の姿をしており、火焔を背負い、右手に捻り木、左手に縄を持ち、白狐に乗っている。
悪鬼を懲らしめ、疾風より速く走る為との事。
なお、インド由来の仏ではなく、最乗寺を開基した高僧・了庵慧明(りょうあんえみょう)の
弟子の僧と言われ、師の没後に寺の守護と庶民救済を誓って、天狗になったと伝えられている。
江戸時代は、諸願成就の仏様として、庶民信仰が盛んだったそうだ。

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(道了尊像。)

御本尊前には、巨大な捻り木が奉納されている。
なお、願い事のある者は、御堂横の奉納してある捻り木を一本持ち帰り、朝夕に祈願をする。
それが大願成就した暁には、二本にして、御礼参りする習わしになっている。

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(奉納された捻り木。)

境内には、不動明王も祀られており、岩の御堂が面白い。


(不動明王。)



少し先に、渡良瀬川に架かる、はねたき橋【緑色マーカー】がある。
全長120m、全幅3.5mの大きな三角柱で支えている、歩行者専用吊り橋である。
「水が跳ねる様子が、滝に様に見える」事から命名されており、
案内板の漢字を見ると、その意味通りに感じる。



(はねたき橋。)

実は、高所が苦手なので、恐る恐る歩く・・・
橋の床面や欄干には、100枚以上の絵タイルが嵌めこまれており、
中央部に展望デッキとベンチが据え付けられていて、絶景を眺める事が出来る。


(はねたき橋の中央部ベンチ。)

橋の上流側には、高津戸ダムがある。
群馬県が所有管理する発電用ダムで、上流の草木ダムからも、送水管で送水されている。
昭和48年(1973年)竣工、ダムの高さは29m、長さは92m、
発電量5,300kW(最大時)の重力式コンクリートダムになっている。

町中心部にあるダムも珍しく、ダム本体の殆どが洪水吐(ゲート)なので、
大きな口が並んでいる様にも見える。
ダムの下流は直ぐに渓谷になり、ほぼ直角に川が曲がっている。


(高津戸ダム。)

橋の下は深い渓谷になっており、大間々は川に面すると言っても、川が低い位置にある。
この高津戸渓谷は、わたらせ渓谷鐡道の車両愛称にも、採用されている。
下方左岸の河原に遊歩道もあり、散策も出来るそうで、
河底の窪みに石が落ち込み、水流に因って回転して削られて出来た、ポットホールが見られる。
(荒天・増水時は見学不可。)


(高津戸渓谷。はねたき橋からの高さは、40m位ある。)

橋を渡った先には、要害山(ようがいやま)があり、高津戸城があった。
平安時代末期の寛治2年(1088年)に、土着武士の山田氏が築城した山城であるが、
天守閣は無かったと言われている。
室町時代前期の観応2年(1351年)に、桐生城の桐生氏によって落城された後は、
桐生城を守る出城だったらしい。
関ヶ原の戦いの頃に廃城になり、現在は、公園と要害神社が建っている。
マピオン電子地図(みどり市大間々要害神社・1/3,000)


(高津戸の要害山。)

また、こんな伝説も伝えられている・・・関が原の戦い直前の天正6年(1578年)、
上杉謙信の支援を受けた里見兄弟が、父を殺した石原石見守の仇討ちを果たそうとしたが、
石原石見守が頼った小田原北条氏に従う、太田金山城・由利氏の大軍の返り討ちにあい、
壮絶な最後を迎えた悲話が伝えられている。麓の阿弥陀堂には、兄弟のものと伝えられる墓がある。
なお、戦国時代のこのエリアは、越後の上杉氏、甲斐の武田氏、相模の北条氏が覇権を争い、
地元の小さな武士団や武士は、それに巻き込まれていった。歴史の大きな流れを感じる所である。



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(※御饌/みけ)
神に供される食物の事。
(※式年遷宮/しきねんせんぐう)
正宮の建物や調度品を新調し、御神体を遷す、最も大きな祭事。

【歴史参考資料】
現地観光案内板
みどり市公式HP「歴史・文化財」

2016年1月14日再編集
2016年12月10日再編集(文体変更・文章追加・画像整理)

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category: わたらせ渓谷鐵道1日目 29話

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