hmdの鐵たびブログ ローカル線の旅

のんびりローカル線の鉄道旅を、写真を中心に「見る紀行文」で長期連載しています。

【211】あかがねの鉄路を追って・・・わたらせ渓谷鐡道(19)上神梅駅下車観光[その2]深沢宿 後半の部  




深沢宿最北端にある、突き当りの共同墓地の左手を見ると・・・
村社の六合神社【鳥居マーカー】があるので、行ってみよう。


(六合神社赤鳥居。※鳥居横に墓地が写っている為、黒塗り処理済み。)

真新しい感じの小さな鳥居を潜ると、なんと、廃れた墓地の一角を通る。
参道が墓地の中を通るのも、珍しいかもしれない。
壊れた鳥居の柱はあるが、社殿はここに無く、杉木立の斜面に急な石段が一直線に伸びている。

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(杉木立の石段参道。雰囲気は抜群であるが、夜は相当怖いだろう。)

石段は苔むしる程に古く、幅も狭く、傾いている場所も多い。
踏み面の奥行きは、25cm程度のミニサイズで、踏み外さない様に慎重に登る。
まるで、昔の日本映画に出てくる様な、石段参道である。

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(石段参道の踏み面。)

200段はあると思われる石段を登り切ると、広い平坦地があり、トタン壁で造られた社殿がある。
神社建築様式ではなく、残念であるが、覆屋で被せてある様だ。
観光案内板も無いが、石段の立派さや古さから、相当古いと推測できる。

手前の青い建物が拝殿、奥の白い建物が、御神体が安置された本殿らしい。
本殿の赤い屋根には、小さいながらも、千木(ちぎ※)と鰹木(かつおぎ※)があり、
千木は半端な角度だが、鰹木は二本壊れており、本来は五本らしいので、男神の様である。

なお、詳しい由来や創基は不明らしいが、元は、菅原道真公を祀る菅原神社だったらしい。
周辺の村社や末社を多数合祀し、明治末期に現社名に改称しており、氏子は約200戸あった。
大正になると、神饌幣帛料(しんせんへいはくりょう※)を供進されていたそうだ。



(村社の六合神社。)

六合神社の傍らを覗くと、境内末社の石祠が残っている。
かなり風化していて、刻印が読み難いが、秋葉山(秋葉神社/火除の神社)や
文化十三(1816年)、元禄三(1690年)の文字が読める事から、これらは江戸時代のものらしい。


(六合神社脇の末社。後ろは、崖になっている。)

旅の道中安全と撮影の御礼の参拝をし、石段を再び降って、街道に戻ろう。
見下ろす石段の雰囲気も凄いが、ここの祭はどういう雰囲気なのか、気になる所だ。





共同墓地前に戻り、右手の急な下り坂を、のんびりと降って行くと・・・
周囲が開けた明るい場所に、深沢の角地蔵尊【祈りマーカー】がある。
頭部が無い首無し大地蔵が祀られており、四角いサイコロ状の石が、
頭部の代わりになっているのが由来だ。
なお、昭和60年(1985年)に、みどり市の措定文化財になっている。

この地蔵堂は、昭和初期に建てられた堂の老朽化の為、昭和60年(1985年)に建て直されたもので、
縁日の毎月24日に、深沢集落の人達が集まって、今も守り続けているそうだ。
また、堂の向かいには、詳しい由来が記された、立派な黒御影石の大石碑もある。
特に、交通安全に御利益があるとの事。


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(深沢の角地蔵尊。)

向かいにある石碑を読み解くと・・・
戦国時代の群馬エリアは、越後の上杉氏、甲斐の武田氏、小田原の北条氏が、
関東統一を目指して、覇権を激しく争った土地だった。
黒川郷士(※)と言われた、地元の小さな土豪武士団も、その争いに巻き込まれて行った。
戦国時代末期の天正7年(1579年)、黒川郷士・太田金山城の由良氏(ゆら-)が、
小田原北条氏に通じていた、深沢城(神梅城)の阿久沢氏と沢入城(そうり-)の松島氏を攻め、
この付近の渡良瀬川を挟んで、激しい合戦となった。
その多数の戦死者を葬った千人塚(桐生塚)が、この周辺にあると、伝えられている。

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(地蔵堂向かいにある、角地蔵由来の石碑。)

その合戦の約200年後の江戸時代中期・宝暦2年(1752年)の正月に、
正円寺二十八世の盈仙(えいせん)和尚(※)が、怪奇玉と合戦の幻影を宿場付近で見た事から、
この合戦での戦死者の供養をしようと、深沢の人々や周辺各村から浄財を集めて、
この地蔵を彫らせたと言われている。
しかし、不思議な事が連続して起きるので、頭部が完成せずに石工が逃げ出したとも、
石工に支払う代金が足りなかったとも、寸法が合わなかったとも伝えられている。
その為、サイコロ状の石の頭部になってしまい、寸法違いの未完成である事から、
地元では、「間違い地蔵」と言われているそうだ。

地蔵堂の並びには、奉納幟がはためき、古い石仏・地蔵や灯籠も並んでいる。
どれも優しい表情をしており、ここで長い間、見守っていたのであろう。


(角地蔵堂並びの石仏と石灯籠。)

角地蔵尊の周辺は、緩やかな傾斜の日当たりが良い平坦な場所で、
山からの湧水を利用した田圃や畑が広がり、純日本的な山里の風景に、とても落ち着く。

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このまま、この坂を降ると、国道122号線に接続【黄色マーカー】しており、
角地蔵尊案内の大きな石碑も建っている。
このまま、国道を南下して、上神梅駅まで戻る事にしよう。

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(角地蔵尊と深沢郷入口の石碑。)



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(※千木/ちぎ)
神社本殿の屋根の両端にある、交差した木。
先端のカットが、外削ぎ(地面に垂直)は男神、内削ぎ(地面に水平)は女神。
(※鰹木/かつおぎ)
神社本殿の屋根にある、輪切りの木。奇数は男神、偶数は女神。
(※神饌幣帛料神社)
勅令により、県知事から、供物や金品を提供された神社。太平洋戦争終戦まで続いた。
(※黒川郷士)
黒川は渡良瀬川の旧名。
黒川谷には、南北朝時代の南朝の流れを組むと伝えられる土豪武士団があり、
独自の気概と勢力を保っていた。江戸時代になると、土着帰農したが、
その子孫は明治以降、軍人、政治家、実業家等を多数輩出した。
(※えいせん和尚)
「えい」の漢字は、乃の中に又、下に皿。「せん」は仙。「盈仙」となる。
正円寺は深沢城址の一角にあり、阿久沢氏歴代の墓所がある。
深沢宿の北、わたらせ渓谷鐡道本宿駅西の山中に寺がある。
マピオン電子地図(桐生市黒保根宿廻正円寺・1/8,000)

【参考資料】
現地観光案内板・石碑
みどり市公式HP「歴史・文化財」
上野国神社明細帳/六合神社

深沢宿は追加取材時の訪問になります。
リコーGRD4で撮影している為、若干色調が異なります。ご了承下さい。

2015年12月4日再編集
2016年12月9日再編集(文体変更・文章追加・画像整理)

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category: わたらせ渓谷鐵道1日目 29話

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