hmdの鐵たびブログ ローカル線の旅

のんびりローカル線の鉄道旅を、写真を中心に「見る紀行文」で長期連載しています。

【13】SL列車とレトロ駅訪問の旅・・・大井川鐵道2010(13)抜里駅  


++++++++++++++++++++++++++++++++++
【停車駅】※SL急行の為、赤字のみ停車。
下泉1547==塩郷==地名==川根温泉笹間渡==抜里==1610家山
上り SL急行かわね路号 金谷方2号車(前から2両目)に乗車

※家山駅で、下り千頭行き電車に乗り換え。

家山1610======1613抜里
上り 普通 千頭行き 大井川鐵道16000系2両編成
++++++++++++++++++++++++++++++++++

車掌室窓から身を乗り出した車掌氏に案内されて、前から2両目に乗車する。
ホームに出てきた駅員氏に会釈し、下泉駅を定刻の15時47分に発車する。
直ぐに、支流の下泉河内川のデッキガーター橋を渡り、横郷トンネルに入る。

この車両には、他に誰も乗っていない。
誰も居ない旧型客車に揺られ、大井川を見るのも黄昏れて・・・
車番は失念してしまったが、スハ43系戦後形になる。通路側座席の頭もたせも懐かしい。

IMGP3704.jpg

リバーサイドの塩郷駅、塩郷の大カーブと、大井川を右手に見ながら南下して行く。
地名駅を通過し、下りSL急行列車は停まらない川根温泉笹間渡駅にしばし停車。
発車後に、大井川第一橋梁を再び渡る。
前から2両目なので、軽快なドラフト音が良く聞こえ、大きな汽笛が一声・・・
この辺りは、汽笛が綺麗に山彦して響き、本当に感涙ものだ。

なお、蒸気機関車の汽笛には、意味があり、後部補機の電気機関車との協調運転の合図も兼ねている。
国鉄の例であるが、3種の汽笛を使い分け、その組み合わせで合図をしている。
後部補機の電気機関車と協調運転をする大井川鐡道でも、おそらく同じであろう。

《三種の汽笛》長緩汽笛4秒程度、適度汽笛2秒程度、短汽笛0.5秒程度(ポッと言う感じ)。
・長緩汽笛吹笛;出発合図。
・長緩汽笛1回+短汽笛2回吹笛;絶気合図(蒸気送りを止め、惰性運転/協調運転時に使用)。
・短汽笛2回吹笛;力行合図(蒸気を送り、加速する/協調運転時に使用)。
・適度汽笛吹笛;駅、鉄橋やトンネル等への接近時(ホーム乗客や保線区員への注意喚起もある)。
・長汽笛吹笛;注意喚起。
・短汽笛5回吹笛;危険警告(線路接近による進路妨害等)。
・短汽笛5回+長緩汽笛吹笛;事故緊急時。
・適度汽笛2回+長緩汽笛吹笛;車掌来られたし。
(※国鉄蒸気機関車時代の汽笛合図。)

駅構内の入れ替え時や操車係との合図や確認で、短汽笛を1−2回鳴らす事も多い。
また、駅員、操車係、整備係を呼ぶ汽笛合図もある。

IMGP3705.jpg
(塩郷大カーブ付近。)
IMGP3708.jpg
(大井川第一橋梁を渡る。)

SL急行は抜里駅(ぬくり-)を通過して、16時10分に家山駅に到着する。
反対側で交換待ちをしている下り千頭行きに乗り換えて、
千頭方にひと駅戻り、抜里駅(ぬくり-)に向かおう。



SL急行列車に乗車したのは、この抜里駅を明るいうちに訪問したかった為である。
最も大井川らしい農村風景が広がり、見事な大茶畑の中にある抜里駅に近づいて来る。

IMGP3711_2.jpg
(抜里の大茶畑。向こうの山の斜面も、茶畑である。)

ちなみに、茶畑を地元では「茶原(ちゃばら)」と言うそうだ。
川根エリアの茶栽培が始まったのは、鎌倉時代の13世紀頃と伝えられており、
江戸時代中期には、大井川の上中流域に優良な茶樹が普及して、川根茶のブランドが確立された。
また、16世紀末からは、年貢として納められた記録が残っている。

大井川周辺は、国内有数の多雨地域で霧が多く、
昼夜の寒暖差が大きい為に茶葉に旨みが蓄えられる事や、優れた製茶技術の確立により、
日本一とも言われる銘茶の産地になっている。
その品質は、爽やかな香りと薄目の綺麗な水色で、渋みが少なく、
甘いコクとスッキリとした後味が特徴だ。

家山駅から3分程で、抜里駅に到着する。
大井川沿いの平坦地としては、広く開けた場所にあり、
国道と集落は山側にあって、茶畑を挟んだ外れの大井川沿いに駅がある。
昭和5年(1930年)7月の地名駅までの延伸時開業、起点の金谷駅からは9駅目、18.8km地点、
所要時間は約40分、1日乗車客数約20人、所在地は島田市川根町抜里、
標高146mの単式ホームと小さな木造駅舎がある無人駅になる。

IMGP3713.jpg
IMGP3722.jpg
(駅舎はホームから少し離れ、一段低い場所にある。)

ホームは、山側に3両程度が止まれる盛り土と砂利の古い単式ホームが有り、ローカルさが満点だ。
なお、盛土部を上がって、向こうの500m先に、大井川と第一橋梁がある。

IMGP3720.jpg
(単式ホームと千頭方。)

スロープ下から金谷方を望むと、大茶原を見ながらの大カーブになっている。
空き地には、地元ボランティアが世話をしている大きな花壇や、畑の畦に春の花々が咲いている。
なお、駅舎横にあるカブバイクは、近くで農作業している農家の人のものらしい。

また、春は線路と大井川の間の大きな桜並木が、秋は線路際にススキが群生して、
この大茶原と合わせて、SL列車撮影の名所になっている。

IMGP3714.jpg
(金谷方。大井川は、左側の木立の向こうにある。)
IMGP3724.jpg
(スロープ下にある大花壇。良く手入れがされている。)


(国土地理院国土電子Web・抜里付近。)

この抜里は、大井川が大きくカーブした内側に広がる西岸の場所で、
大井川が折り重なる様に大蛇行している「鵜山七曲り」の出口付近にある。
東の川側は大井川が造った平坦地になっており、西の山側はふたつの支流の扇状地となっていて、
東側に緩やかに傾斜している。また、駅西の中央部には、周辺より30m程高い小山がある。
なお、南北東西共に約1kmの広さが有り、南にある家山と同じ位の面積がある。
此処は、茶栽培が盛んで、抜里地区の8つの製茶工場を再編した大きな荒茶工場もある。
また、蛍の里としても有名で、初夏には、地元主催の鑑賞会も開かれているそうだ。

駅舎を見てみよう。
木枠のラッチとホーローの電球傘、懐かしい磨り硝子・・・模型の様な小さな駅だ。
駅舎の外装は最近補修された様子で、大変状態が良く、硝子引き戸の小荷物窓口、
駅事務室や奥には居住部分もあり、かつての有人駅の名残がある。
なお、SL列車の復活前、昭和40年代には深刻な経営危機に陥っており、
昭和45年(1970年)から5年間、名古屋鉄道の資本参入と援助で合理化を進めたので、
その際に無人化したらしい。

また、赤いトタン屋根付きの自転車置き場、裏手にトイレと周りに数軒の民家もある。
自転車は高校生達のものらしいので、この駅の利用客の殆どが彼らだろう。

IMGP3725.jpg
IMGP3716.jpg
(駅出入口。民家風の建物である。)
IMGP3718.jpg
(改札口はとても小さく、人ひとりしか通れない。)

待合室の広さは、3畳程と大変小さく、窓沿いの木のベンチは四人が座れる位で、
出札口、鉄道手小荷物窓口の硝子戸や、手前のテーブルもそのまま残っている。
箒やじょうろ等が置いてあり、地元の方々が定期的に掃除をしている様子で、
この駅をとても大切にする地元の人達の心が伝わってくる。
また、壁には、この抜里駅の写真等も、幾つか飾られている。

IMGP3717.jpg
IMGP3733.jpg

春の夕暮れに近づき、雲に見え隠れしている陽が一刻、良い黄昏具合に照らしている。
車の音は聞こえず、風の音が微かに聞こえるだけで、辺りはとても静かだ。

IMGP3723.jpg

次の上り列車が来るまで、ゆっくり待つことにしよう。



にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道旅行へ

2015年11月22日再編集
2016年6月27日再編集(文体変更・文章追加・画像整理)
2017年3月14日再編集(画像調整)

© hmd All Rights Reserved.
記事や画像の転載、複製、商用利用等は固くお断り致します。

category: 大井川鐵道本線2010 全15話

thread: 鉄道旅行 - janre: 旅行

tb: --   cm: --