hmdの鐵たびブログ ローカル線の旅

のんびりローカル線の鉄道旅を、写真を中心に「見る紀行文」で長期連載しています。

【189】信州松代、あるローカル線の最後の秋にたずねて・・・長野電鉄屋代線(35)小布施めぐり[6]岩松院  


お洒落な町も魅力的だが、古刹・旧街道好きとしては、古刹巡りも外せない。
町の東には、雁田山(かりだやま・標高759m)と言われる山があり、麓に古刹が点在している。

町営観光駐車場前の街路樹の銀杏が、色づき始めており、
青葉と黄葉の組み合わせも、何だか良い感じだ。
向こうにある高い山が、雁田山になるので、車で行ってみよう。

IMGP9175_2016122708445425e.jpg
(銀杏並木と小布施東の雁田山の山々。)



観光案内をしてくれた、駐車場係氏にお礼を言い、駐車場から出発する。
町の外れになると、果樹園が広がる長閑な風景になり、
この先の接続する県道358号線は、「北信濃くだもの街道」と言う愛称もあり、
果樹栽培が盛んなエリアなのだろう。

600年の長い歴史を持つ小布施の栗栽培だが、
現在は、林檎やぶどう栽培等の果樹園の面積の方が広いそうだ。
また、扇状地の中央から、下端に栗林が多いそうで、栽培土壌の適性による為との事。
江戸時代までは、鬱蒼とした栗林の中に農家が点在しており、栗を江戸将軍に献上した。
栗年貢を収めた後でないと、栗農家でさえ食したり、商取引が出来なかったそうだ。



駐車場から東進、突き当りの交差点を左折し、門前の交差点を右折して、奥に行くと・・・
岩松院(がんしょういん)【祈りマーカー】に到着する。
(町指定文化財、境内は拝観料無料、16時頃まで、無休、境内は撮影可、本堂内は撮影不可。)

柿の実もたわわに実り、山の紅葉が見事だ。
面白い形のこぶ山だが、頭(あたま・かしら/山岳用語)と言う支尾根上の突起で、
この独特な地形を生かし、雁田城があった場所だそうだ。
また、雁田山自体も、複数の頂きを持つ大きな山になっている。
国土地理院国土電子web(長野県小布施雁田山・雁田城址)

IMGP9176_20161227084455362.jpg
(雁田山。)

山際の寺であるが、寺は明るく平らな場所にあり、山中に奥まっていない。
駐車場から、売店や信徒会館がある広場を通り過ぎると、一本の大松と寺が見えてくる。

IMGP9182_20161227084458553.jpg
(岩松院。)

この岩松院は、室町時代中期の文明4年(1472年)、
雁田城主・荻野常倫(おぎのじょうりん)が開基した、曹洞宗の禅寺である。
また、それ以前は、土豪の萩野氏の居館があった場所だったらしい。
山号は梅洞山、地元小布施の第一の大寺であり、葛飾北斎の天井絵がある事で有名だ。
北信濃・小布施/岩松院公式HP

IMGP9185_20161227084500732.jpg
(岩松院参道。)

仁王門の周りには、沢山の桜が植えられており、春はとても綺麗だろう。
とてもひょうきんな表情の仁王像は、怖さよりも笑いを誘う。

IMGP9190_20161227084501bf8.jpg
IMGP9194_2016122708450317d.jpg
(仁王門。)

短い石畳を歩き、石段を登る。
石段横には小さな池があり、山からの泉水が大きな水音を立てて樋落ちし、
ほっとした気持ちになる。

IMGP9201_2016122708450669a.jpg
(石段横の小池。)

石段を登った一段高い場所に、大きな本堂がある。
比較的コンパクトにまとまった境内には、鐘楼、庫裡(くり)、坐禅堂も並んでいる。

IMGP9204_201612270845078ff.jpg
IMGP9215_20161227084510412.jpg
(本堂。)

葛飾北斎の天井絵を拝観してこよう。
本堂右手に見学者用出入り口があり、自動券売機で本堂の拝観券(大人300円)を購入する。
券を受付に差し出し、パンフレットを貰う。

IMGP9210_20161227084509d66.jpg
(本堂出入口付近。)

本堂内の御本尊・釈迦如来の前に、江戸時代末期の嘉永元年(1848年)頃に描かれた、
葛飾北斎作の天井絵「八方睨み鳳凰図」(はっぽうにらみほうおうのず)がある。
天井絵は大変大きく、渋さの中に大胆な赤色と金色が浮かび、
天井から絵が落ちて来る様な物凄い迫力だ。
なお、極少量の顔料が剥がれ続けており、出来るだけ現状を維持する為、
木製の腰掛けに着席して、静かに鑑賞する事になっている。
(※本堂内は撮影禁止。公式HPに、写真あり。)
北信濃・小布施/岩松院公式HP「八方睨み鳳凰図」

北斎最晩年89歳の時の最高作と言われ、大きさは約二十一畳(6.3m×5.5m)あり、
あまりにも大きい為、十二分割をして描かれている。
また、中国産の高級顔料等をふんだんに使い、絵具代として、
当時150両(現在の2,000万円相当)もかかったと言われている。
その後、北斎は江戸に戻り、翌年の嘉永2年(1849年)に急逝した。



本堂の見学後、裏庭に廻ると、本堂の小部屋に面した小さな池がある。
とある俳句で、とても有名な池で・・・

「痩かへる まけるな一茶 是に有」 小林一茶

あの有名な蛙合戦の池である。
春になると、何処からか蛙達が大勢集まり、雌を奪いあう蛙合戦になるそうで、
約五日間、百匹近い蛙達が集まるそうだ。

IMGP9221_20161227084512c10.jpg
(蛙合戦の池。沢山の紅葉が漂い、これもまた風流だ。)

江戸時代の代表的な俳諧師・小林一茶は、晩年の文化13年(1816年)4月20日の54歳の時、
この岩松院に来訪し、この句を詠んだと伝えられている。
なお、小林一茶も、江戸幕末の小布施の豪商・高井鴻山(こうざん)に招かれて、
この小布施に長期間滞在した。
この池の畔には、一茶真筆の句碑が建てられ、三十基もの一茶句碑や投句箱が、
町内に設置されているとの事。



寺裏の墓地には、なんと、戦国武将で有名な福島正則の霊廟もある。
石段を登ってみよう。

IMGP9226_20161227084513041.jpg
(福島正則公のおたまや。)

斜面の小高い墓地に六畳程の霊廟が建ち、その中に高さ2.5mの五輪塔が格子越しに見える。
両手を合わせて、参拝する。しかしながら・・・物凄い霊気だ。

福島正則は、豊臣秀吉の重臣として、あの「賤ヶ岳の七本槍」の第一人者の誉もある名将だ。
関ヶ原の戦いの武功から、安芸と備後の二国49万9千石の大大名になったが、
居城の広島城を幕府の許可無く修理した事を咎められ、
北信州の信州川中島の一部と越後魚沼郡の計4万5千石に国替えさせられた。
国替えの5年後、寛永元年(1624年)7月に64歳で没している。
この際も、幕府からの検死役を待たずに火葬した事から、領地を没収されている。

この岩松院は正則の信仰も厚く、菩提寺として、「海福寺」の名も付けているそうだ。
また、左遷状や馬具、大槍等が遺品として残っている。
(※墓所近影は撮影しない方針。公式HPに画像あり。)
北信濃・小布施/岩松院公式HP「福島正則公霊廟」

西陽になってきたが、もうひとつの古刹に行ってみよう。

IMGP9233.jpg



にほんブログ村 鉄道ブログ 鉄道旅行へ


【歴史参考資料】
現地観光案内板
梅洞山岩松院見学者用パンフレット
岩松院公式HP
小冊子「信州おぶせ」(小布施町発行)

2016年1月13日再編集
2016年12月27日再編集(画像再処理高解像化・文章修正)

© hmd All Rights Reserved.
記事や画像の転載、複製、商用利用等は固くお断り致します。

category: 北信州小布施めぐり 全8話

thread: 鉄道旅行 - janre: 旅行

tb: --   cm: --