hmdの鐵たびブログ ローカル線の旅

のんびりローカル線の鉄道旅を、写真を中心に「見る紀行文」で長期連載しています。

【181】信州松代、あるローカル線の最後の秋に訪ねて・・・長野電鉄屋代線(25)松代歴史名所観光 その6(二日目・後編)&松代駅構内。  





宮坂醸造店【酒マーカー】前の国道を渡り、駅南側の真田公園に向かう。
昨日は入館しなかった、真田宝物館【博物館マーカー】に入ってみよう。
(入館料大人300円、9時-16時30分、毎週火曜日休み・祝日と年末年始は除く、撮影不可。)

真田家十二代当主・真田幸治氏から、昭和41年(1966年)に松代町に寄進された
古文書、武具や調度品等の大名道具を、大きな館内に収蔵・展示している。
かなり、ゆったりとした展示なので、見学し易い歴史博物館になっている。
(※館内撮影は不可の為、写真は無し。)

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収蔵品目数は数万点と膨大で、三ヶ月毎に、テーマに合わせて展示替えをしているそうだ。
主に、掛け軸、絵画、茶道具、武具、刀、展示の決めと言える立派な兜が展示されており、
武家らしい落ち着いた感じの逸品が多く、真田家の堅実な家風を感じさせる。

また、建物の壁にもある「六文銭」は、真田家の家紋として有名だ。
仏教六道「地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道・人間道・天上道」を表し、
そこに彷徨う魂を救済する六地蔵に捧げる賽銭が、この六文銭である。
所謂、「三途の川の渡し賃」であり、戦いに臨む武士の覚悟を表したと言われている。

退館後に宝物館の裏手を通ると・・・銀杏の木が真っ黄色だ。
通りがかりの団体観光客の人達も、大勢見に来て、感嘆をあげている。

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真田宝物館から、池田満寿夫美術館前を通り、屋代線の踏切を渡ると・・・
松代城址【紫色マーカー】に到着する。
(国指定史跡、入場料無料、9時-17時、無休、撮影可。)

明治政府が出した廃城令の一年前、明治5年(1872年)に廃城となっている。
幕末に、二度の火災があった事や、本丸の外に花の丸御殿が建てられたので、
この城の本丸の重要性は、既に低下していたそうだ。
なお、平成16年(2004年)に、内堀・石垣・土塁・城門等が復原され、
町のシンボルとして復活している。

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(前橋と太鼓門全景。)
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(内堀と石垣。内堀は、東・南・西の三方を復原している。)

この城は、古くは、海津城(かいづじょう)と言われていた。
戦国時代の永禄3年(1560年)頃、甲斐の武田信玄が上杉謙信との戦いに備え、
武田家軍師であった山本勘助に命じて、築城させたと伝えられている。
江戸初期の元和8年(1622年)、真田家が上田から松代に転封されると、
真田家の居城となり、以降、「真田十万石」の拠点として、幕末までの十代・250年間続いた。

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(城の正門にあたる太鼓門は、とても大きい。)

なお、真田家の発祥地は上田市真田町になり、甲斐の武田家に仕えた有力武家であった。
慶長5年(1600年)の天下分け目の関ヶ原の戦いでは、真田家の存続を図る為、
西軍・徳川家康側と東軍・石田三成側に、親子・兄弟が別れて戦っている。
それにより、徳川側だった長男・信之(のぶゆき・後の初代松代藩主)は、本拠地の上田を与えられ、
石田側だった父・昌幸(まさゆき・上田城主)や次男・幸村(ゆきむら・本名は信繁/のぶしげ)は、
和歌山県北部・高野山近くの九度山に追放された。

しかし、後の大阪冬の陣と夏の陣(慶長19-20年・1614-1615年)の際、
九度山を脱出した幸村は豊臣側に付いて、徳川軍を大いに悩ました奮戦ぶりは有名だ。
二度も、徳川の大軍を撃退した上田合戦の逸話も合わせて、「真田は日本一の兵」と、
真田の武勇を後世まで褒め称える所以になっている。

かつての松代城は、千曲川の水を大量に引き込んだ水城だったそうで、
案内図中央の三日月堀は、武田氏築城の城で見られる特徴である。
また、本丸中央に積層の天守閣は無く、御殿様式の城であり、
石垣の上の四隅の櫓が天守閣の代わりだったそうだ。
案内板の内堀外の左の建物が、花の丸御殿であり、幕末は藩政の中心地だった。

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(クリックすると、拡大。1,024*768pixel、320kbyte)

大きな太鼓門を潜ると・・・本丸は公園になっている。
桜が植わっているので、春はとても綺麗だろう。
何と、廃城直後は、畑に変えられたそうだ。

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本丸北側・千曲川側には、「海津城址之碑」と刻まれた大きな石碑と、
復原された本丸北門・北不明門(きたふみょうもん)がある。

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松代城址は、松代駅の北側にあるので、北側から駅を見る事が出来る。
駅構内の境界に沿った小路を、歩いてみよう。
城址と駅の間には、広い空き地があり、昔は側線が何本かあったそうだ。
一部、倉庫や市営観光駐車場として使われている以外は、草が生い茂る遊休地になっている。

松代駅1番線の線路は、屋代方の本線には繋がっておらず、
終端部には、第三種車止めが設置されている。
逆U字に摘み上げた様なレールの曲げ具合が、妙にレトロだ。

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(市営観光駐車場から撮影。)

屋代方の市営観光駐車場から、松代駅を望むと・・・
屋代方ホーム端はスロープが無く、垂直壁であるので、近年に工事された模様だ。
真新しいコンクリート壁と手摺りが取り付けられている。

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(市営観光駐車場から、低倍率望遠撮影。)

1番線外側の側線は、もう、使われていない様子である。
駅構内に沿っている小路を進むと、朽ち果てたドラム缶がふたつと小さなトタン屋根が、
草むらの中にある。下を良く見ると・・・トロッコである。

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このトロッコは、昔使われた保線作業用か構内作業用だろう。
ちなみに、現在の保線作業は大幅に機械化されており、
通称「マルタイ」と言われる大型の保線車両等が活躍している。
長野電鉄も、幾つかの種類の保線車両を所有している。

そのまま、須坂方に歩いて行くと、小さな踏切が・・・。
この汽車デザインの踏切警告標識も、最近は少なくなった。
都市部では、電車デザインに早々交換され、なかなか見られなくなっていると思う。

標識裏の設置年を見てみると、昭和50年1月17日設置・・・もう、40年近く経っている。
屋代線廃線後の彼の処遇は、どうなるのだろうか。

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標識先の城裏町第一号踏切【線路マーカー】(屋代起点8k741m地点)から、駅を望む。
スプリングポイントを過ぎると、大きなカーブを描きながら、ホームに到着する。

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須坂方は、住宅に挟まれた、緩やかな長い登り勾配が続いている。
丁度、警報機が鳴りはじめたので、安全な場所に退避。
上り412列車・須坂行きが、短尺レールをパタパタと走り抜けて行く。

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(踏切脇から撮影。)

この踏切から、駅前に行こう。
古い旧家が多いが、昭和の街角的な建物も所々に残っており、これも楽しめる所が良い。

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(駅東の長屋風の商店。角の床屋だけが、今も営業しているらしい。同日朝に撮影。)
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(松代郵便局近くの昭和風の食堂。営業しているかは不明。前日夕方に撮影。)



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文化財管理者の長野市教育委員会文化財課より、写真掲載許可を頂いております。

【参考歴史資料】
現地観光案内板、長野市教育委員会文化財PDF資料。

長野市教育委員会文化財課さま、写真掲載許可を頂きまして、ありがとうございます。
厚くお礼申し上げます。

2016年1月13日再編集
2016年8月23日再編集(文体変更・文章追加・画像整理)

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category: 長野電鉄屋代線2日目 9話

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