hmdの鐵たびブログ ローカル線の旅

のんびりローカル線の鉄道旅を、写真を中心に「見る紀行文」で長期連載しています。

【183】信州松代、あるローカル線の最後の秋に訪ねて・・・長野電鉄屋代線(28)千曲川と岩野駅。  


太古のロマンたっぷりの森将軍塚古墳の見学を終え、時刻は正午を過ぎた所である。
屋代の有明山麓にある科野の里歴史公園から、松代に戻ろう。

屋代線の車窓からは、千曲川(ちくまがわ)が全く見えないので、
国道403号線の帰り道に堤防横に寄ってみる。
丁度、雨宮駅から岩野駅間の北山隧道(トンネル)付近に、駐車が出来るスペースがあり、
此処に車を駐めて、川を眺めてみよう。
マピオン電子地図(千曲市雨宮付近・1/21,000)

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(西の上流方。堤防の頂きから川面までは、かなりの高低差がある。)
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(東の下流方。大きなコンクリートの水門があるので、支流の合流地点らしい。
   河川敷は広大で、幅500m以上ある。向こうの白い橋は、篠ノ井駅方面に向かう岩野橋。)

向かって右手の下流側では、釣り人が、のんびりと釣り糸を垂れている。
千曲川は下流の新潟県では、信濃川と呼ばれ、全長367kmの日本で一番長い河川である。
源流は、長野県南佐久郡川上村の甲武信ヶ岳(こぶしがたけ・標高2,475m)直下で、
山梨県・埼玉県・長野県の三県境になり、荒川や富士川の源流地でもある。
マピオン電子地図(甲武信ヶ岳・1/90万)

地図上で川の形を見ると、北国街道(ほっこくかいどう・現在の国道18号線)も沿い、
平仮名の「つ」の字を、鏡文字にした様な川の経路であり、
源流の甲武信ヶ岳直下から小諸、上田、千曲(更埴)、長野と流れて行く。

古くは、万葉集にも登場し、善光寺平の肥沃な土地は千曲川の恵みでもあるが、
大河である故に、水害も多いそうだ。
特に、江戸時代中期・寛保2年(1742年)8月の「戌の満水(いぬ-)」と言われる大洪水は、
六日間雨が降り続いた後、千曲川と支流が大洪水となり、山崩れや土石流等が起きた。
川面の高さは標高336mに達し、村落ごと流され、それは生地獄の様だったと言われている。
死者は約3,000人と言われる千曲川史上最大の水害となり、
当時の松代藩も復旧の為に藩財務が困窮し、その影響は明治まで続いたと言われている。
現在も、毎年8月1日の戌の満水の日には、流域周辺の学校や会社は休みになり、
盆とは別に墓参りをする習慣があるそうだ。

その後も、江戸時代から平成に至るまで40回以上の洪水が発生し、
明治末期頃までは、治水対策が不十分だった事から、大洪水が数回発生している。
過去の教訓を活かす為、町中に「洪水痕跡水位標」も多数立てられている。

この旅では、屋代線の木造駅舎と木造待合室のある駅は、全駅訪問したが、
それ以外の小さな棒線駅を訪問していないので、国道沿いの岩野駅に立ち寄ってみよう。


大きな地図で見る ※屋代線廃線の為、線路や駅が削除される可能性があります。その節は、ご容赦下さい。

岩野駅は、単式ホームと小さな待合室だけの無人駅である。
河東鉄道河東線開通時の大正11年(1922年)6月開業の古い駅で、
屋代駅からは、三駅目、5.0km地点、所要時間約7分になる。
所在地は、長野市松代町岩野字山裏、国道403号線谷街道沿いにある。

荒れた空き地の奥にぽつんとあるので、一見すると、駅らしくない雰囲気である。
駅舎に寄り添う電話ボックスの三角錐屋根は、除雪の手間を省く為だろう。
南関東エリアでは見られないので、可愛らしく、面白い。

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山際を走っていた線路が、川沿いの平地に出る場所に駅があり、
元は有人駅だったそうですが、昭和47年(1972年)2月に無人化している。
近年、駅舎は建て替えられた模様で、トイレ設備付きのモルタル待合室になっている。

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駅は極緩やかな勾配の途中あり、屋代方がゆるくカーブしている。
待合室内は殺風景だが、木造の内装と木造ベンチがある。
訪問時、二人の中年男性鉄道ファンが訪れていた。

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屋代方に第四種踏切があり、約600m先には、薬師山を潜る北山隧道(トンネル)があるので、
5パーミルの長い登り勾配になっている。

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松代方は、鉄骨フレームと木床のホーム延長部があり、他の棒線駅にも見られる。
ホーム長が二両編成の長さぎりぎりの為、延長した部分だろう。

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この付近から松代方は、山裾の傍を線路が走っている区間で、独特な雰囲気がある。
また、高所から屋代線を俯瞰する、鉄道写真の有名撮影地になっているそうだ。

車を駅前に置いて、松代方に少し歩いてみよう。
線路は国道と並走し、線路は緩やかな下り勾配から水平になっている。
山裾を回る急カーブとレトロな鉄骨トラス架線柱が連なり、良い雰囲気だ。

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(半径400mのカーブを曲がる。カーブの途中から、線路の勾配は水平になる。)

駅から350m程歩くと、お宮踏切(屋代起点5k346m地点)があり、
踏切を渡った右手に大きな石碑と奥に神社がある。
廃レールで造った踏切柵や手書きの注意標識も、ローカル線らしさを感じる。

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(お宮踏切から、松代方を撮影。)

この山裾の山は、妻女山(さいじょさん)と呼ばれ、千曲川の川中島を一望出来る事から、
永禄4年(1561年)の川中島の戦いで、上杉謙信が本陣を構えた山と伝えられている。
お宮踏切奥の会津比売神社(あいづひめじんじゃ)には、謙信が馬の鞍を掛けた
と言われる松の木があり、槍で地面を突いた所、泉が湧いたと言う伝説がある。
また、山麓沿いは、小古刹が点在する田園風景になっている。
マピオン電子地図(長野市松代町 妻女山・会津比売神社 1/8,000)

線路脇の鉄骨トラス架線柱も、立派な構造だ。
近年は、安価で塗装の必要が無いコンクリート柱が幅を利かせ、現役も少なくなっている。
屋代線では、コンクリート製は数えるだけで、鉄製トラスが連なる様を見る事が出来る。
特に、古い車両と良くマッチして、鉄道写真撮影時にも最高の脇役だろう。

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プレートを見ると、「河東線 雨 五九号 大14・12」・・・大凡の意味は、
「河東線(屋代線)、雨宮保線区、架線柱管理番号59号、大正14年12月設置。」だろう。
大正15年(1926年/昭和元年と同じ)1月の河東線の電化直前に、
設置された戦前の架線柱である事が判る。
しかし、文字が左横書きなので、プレートは戦後に作り直されたものだろう。

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車に戻ろう。
再び、国道403号線を走り、岩野駅から約4km・10分程で、松代に戻って来た。

空腹になって来ているので、昼食とする。
昨日、象山神社の近くに、良さげな蕎麦屋を発見したので、そのまま車で店に向かう。
蕎麦専門では無いが、蕎麦料理と串揚げがメインの「和座季楽・象山亭」である。
この時期は新蕎麦が出ており、手打ちの幟もあるので、大いに期待できる。
長野松代・和座季楽象山亭公式HP

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テーブル席ではなく、足が伸ばせる座敷を希望した所、炬燵に案内される。
この二日間は大分歩いている為、ゆったり寛げて嬉しい。
奮発して、ランチメニュー「長芋とろろそば」の大盛りを注文(税込1,050円、大盛り210円)、
10分程で出てきた。

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麺つゆに、長芋とろろ、生卵、薬味セットが付いている。
最初から、麺つゆに全てを入れてはいけない・・・
「麺つゆだけ→とろろを入れる→卵を入れる→飲み干して、最後に麺つゆで締める。」と、
四段階・三種類の味を楽しむのがポイントで、大盛り注文もその為だ。

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コシのある細目の手打ち新蕎麦が、やや辛口の切れの良い濃いつゆに絡む。
トロロも十分なフワフワ感があり、合わさるとハーモニーが広がって、大変美味しい。
なお、長芋は、地元松代産をたっぷり使っているそうだ。

日替わりの様に楽しむ事も出来て、大満足だ。
そば湯と美味しい蕎麦茶を食後に頂き、一服しよう・・・。



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グーグルマップの線路部分は、廃線の為に削除されています。
駅の所在地は正しいので、参考程度として下さい。

2016年1月13日再編集
2016年8月25日再編集(文体変更・文章追加・画像整理)

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category: 長野電鉄屋代線2日目 9話

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