hmdの鐵たびブログ ローカル線の旅

のんびりローカル線の鉄道旅を、写真を中心に「見る紀行文」で長期連載しています。

【172】信州松代、あるローカル線の最後の秋に訪ねて・・・長野電鉄屋代線(17)松代歴史名所観光 その3 象山神社  


緑茶と小梅を頂いたお礼をして、出発しよう。
そのまま、道路を南下し、町中心部を貫く国道403号線「谷街道」を横断する。
「松代史跡巡り遊歩道」と書いてある案内板に沿って、細い路地に入って行く。

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より大きな地図で 松代歴史名所観光 その2 を表示

暫く歩いて行くと、国登録有形文化財の馬場家住宅【青色マーカー】(内部非公開)がある。
江戸後期の建築と言われる白漆喰の武家長屋門で、大きさは、7間半☓2間(13.6m☓3.6m)あり、
茅葺き屋根であるが、トタンを被せてある。門の両側の部屋は、家臣の家になっている。
馬場家は、御意見番役等として、藩の重役を務めたそうだ。

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馬場家から南に歩いて行くと、水の音が聞こえて来て、道が広くなる。
幅の広く浅い水路に、さらさらと水が流れ、木々が高く生い茂った場所が見えて来る。

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この木々が生い茂った場所は何だろうと、歩きながら見て行くと・・・
象山神社(ぞうざんじんじゃ)【橙色マーカー】がある。
(国登録有形文化財、入場料無料、見学自由、無休、撮影可。)
象山神社公式HP

この松代の第一位の大神社で、松代町の人達の初詣は、この神社に行くそうだ。
本殿横のカエデが赤々と紅葉していて、とても綺麗である。

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元は、松代藩初代藩主・真田信之の重臣・鈴木家の屋敷跡だったそうだ。
屋敷の庭の樹齢230年のイロハカエデが、そのまま御神木となり、本殿右手前にある。

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この神社は、江戸時代幕末の松代藩の藩士・大先覚者であった佐久間象山を御祭神として祀っている。
実在した近世の歴史的人物を祀る神社は、全国的にも大変珍しいと言え、
松代の人達の大きな尊敬の念を感じる。

佐久間象山は、藩主の相談・補佐役の他、優秀な教育者、政治家、科学者でもあり、
開国圧力の荒波に揉まれていた幕末の大先覚者として、世界国家観や尊皇開国論等を論じ、
明治政府の政策にも、大きく影響を与えたと言われている。
また、昭和13年(1938年)の創祀と、非常に新しい神社である事から、
他界してもなお、地元の厚い尊敬や当時の政局や世相が噛み合ったのだろう。

表の鳥居横には、立派な銅像が立てられており、吉田松陰、勝海舟や坂本龍馬も門下生だった。
しかし、大政奉還の3年前の元治元年(1864年)、開国派論者であった象山は、
攘夷派の刺客に訪問先の京都で襲われ、暗殺されてしまった。享年54歳との事。
銅像は細面で精悍な風貌に見え、「幕末の志士」と感じる。

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象山神社から、南下すると、右手に大きな山が迫ってくる。
この山も象山と言い、その山際には・・・
山寺常山邸(やまでらじょうざんてい)【緑色マーカー】がある。
(国登録有形文化財、入場料無料、9時-16時30分、無休、撮影可。)

松代町最大の長さ22mの長屋門と書院があり、無料休憩所や多目的施設になっている。
長屋門は江戸時代後期から明治初期、書院は大正末期から昭和初期の建築と言われているが、
主屋は大正時代に失われたそうだ。

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佐久間象山と共に、八代藩主・真田幸貫(ゆきつら)の信望が厚かった山寺常山は、
藩の寺社奉行(寺社の統括職)や郡奉行(こおりぶぎょう/代官を統括する民政の上級職)、
兵法の教授、藩主の補佐役として活躍した。
明治新政府にも招聘されたが、この長野に留まり、後進の育成に力を入れたそうだ。

敷地内に足を踏み入れると、どんどん水が流れ込んでいる大きな池があり、
鯉が沢山悠々と泳いでいる。池の周囲は、休憩出来る様に綺麗に整備されている。
この池は「泉水」と言い、山際を流れる神田川から水を引き込み、
池から延びる泉水路が各屋敷に水を供給していた。
今は、山の静けさと水の流れ落ちる音のみの、しっとりとした静寂さがある。

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また、門の前には、水量が豊富な水路があり、鯉が沢山泳いでいる。
水路脇を歩くと、餌が欲しいのか、群れを成して付いて来る。
良く見ると、一匹だけ、白い鯉が居たりする。

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山寺常山邸から、更に、細くなる道を南に歩く。
この象山の麓には、小さな神社や小寺もある。

竹山随護稲荷神社【水色マーカー】は、真田家由縁の小社である。
本堂が崖に懸かる、懸け造り(かけづくり)と言う様式の神社になっている。
(見学自由、無休、撮影可。)

元々は、真田江戸屋敷の鎮守だったそうで、それを松代城内に移し、
その後、現在地の近くの恵明寺(えみょうじ※次に後述)境内に移した。
藩主の保護もあり、地元周辺でも名が知れて、江戸時代末期は参拝者が多かったそうだ。
明治になると、神仏分離が行われ、現在の崖の場所に本堂を建立している。

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(大鳥居からコンクリート橋を渡り、千本鳥居、石段を登ると、本堂にたどり着く。)

神社の南にある恵明寺(えみょうじ)【黄色マーカー】は、小さな山寺であるが、
三代藩主の真田幸道(ゆきみち)が、延宝5年(1677年)に建立した由緒ある禅寺で、
臨済宗と曹洞宗に継ぐ、黄檗宗(おうばくしゅう)と言う宗派になっている。
緑のとても多い境内は、こぢんまりとした山寺の雰囲気だ。
開基当時の建物は山門のみで、災禍により、本堂等は江戸時代後期の再建との事。
(入場料無料、9時-16時、無休、撮影可。)

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三代藩主である幸道の信仰が厚かったそうで、位牌も安置されている。
境内には、幸道の夫人・豊姫の御霊屋(おたまや/墓所の事)もある。
豊姫は「あんず姫」とも呼ばれ、実家より杏の鉢植えを持参して愛でた事から、
この付近一帯で特産になっている杏栽培のきっかけを作っている。
また、あの伊達政宗の孫娘にあたる人物である。



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文化財管理者の長野市教育委員会文化財課より、写真掲載許可を頂いております。

【歴史参考資料】
現地観光案内板、長野市教育委員会文化財PDF資料。

【謝意】
長野市教育委員会文化財課さま、写真掲載許可を頂きまして、ありがとうございます。
厚くお礼申し上げます。

2016年1月13日再編集
2016年8月19日再編集(文体変更・文章追加・画像整理)

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category: 長野電鉄屋代線1日目 20話

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