hmdの鐵たびブログ ローカル線の旅

のんびりローカル線の鉄道旅を、写真を中心に「見る紀行文」で長期連載しています。

【138】遠州湖北と国鉄遺産を訪ねて・・・天竜浜名湖鉄道(41)車窓編 その3 金指駅から、寸座駅へ。  


国道362号線に南側から接続する、浜松に向かう国道257号線の踏切を通過し、
ポイントを越えて、金指駅の下り2番線に滑り込む。
上り138列車・掛川行きのTH2103と列車交換となり、上り列車は到着しているが、7分間停車となる。
この駅では、二人下車し、数人が乗車する。外の空気を吸いに、少しの間、下車しよう。

金指駅は、天浜線内でも五本指に入る主要駅であり、
新所原方から、この駅までの利用客が多く、乗客の流れの分割点になっている。
また、数少ない有人駅でもあり、ホームと旅客上屋は、登録有形文化財になっている。

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(金指駅旅客上屋。昼の駅訪問時に撮影。)

上り138列車・掛川行きは、こちらの到着後に直ぐ発車して行く。
この先の閉塞区間が空いているに関わらず、残り6分間も停車するが、
のんびりとした旅の感じは、ローカル線らしくて良い。
気分転換も出来たので、そろそろ、車内に戻ろう。



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【停車駅】青→文化財駅、◎→列車交換可能駅、〓→主な鉄橋、】【→主なトンネル
金指◎1614==気賀高校前==〓=気賀==〓==西気賀◎==】【==1625寸座
       (井伊谷川橋梁↑)   (↑葭本川橋梁)
下り333列車・普通新所原行(TH2114・単行)
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16時14分、金指駅を定刻に発車する。
1番線横の改札から、先程の駅訪問時にお会いした初老の駅長氏が、見送ってくれる。

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(金指駅を発車する。当列車最後尾からの後方を撮影。)

ゆっくりとした速度で、片開ポイントの反位側から進行、線路はひとつに纏まり、
踏切を通過し、カンカンと鳴る踏切のドップラー音を遠くに聞き過ごしながら、
徐々に速度が上がって行く。
すると、黒い雨染みが付いた、古いコンクリート構造物の下を潜り抜ける。
何と、西側の急斜面には小屋も建っている。

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(遠州鉄道奥山線高架橋跡。当列車最後尾からの後方を撮影。)

金指駅に訪問をした際、駅長氏の話に拠ると、
浜松から奥山まで通じていた、軽便鉄道・遠州鉄道奥山線の遺構だそうだ。
奥山線が、南東方向から斜めにオーバークロスしており、
かつては、遺構の前後には土手があって、気賀方に向かって並走していたとの事。

また、後から建設された二俣線が下であるのは、当時は「国防線(路線)」として、
東海道線迂回の戦時貨物輸送に配慮した為と言われています。
駅員さんは、軽便線が乗り越える光景を、小さな頃から見慣れていたとの事で、
とても懐かしそうに語っていた。なお、場所は、引佐高校(いなさ-)の南西にある。
マピオン電子地図(天竜浜名湖鉄道・金指駅西の高架橋遺構)

天竜浜名湖鉄道の前身である旧国鉄二俣線は、東海道線の浜名湖開口部である
舞阪、弁天島、新居町が鉄橋で結ばれている為、敵軍の空襲を受けて破壊されると、
東西の交通が絶たれてしまう事から、旧帝国陸軍の要請により建設されたと言う、
国防上の迂回線の役割があった。

当初、軍部からの提案は、舞阪(まいさか)から東海道線と別れて、
浜名湖北岸を迂回し、東海道線の鷲津(わしず)を結ぶルートだった。
しかし、旅客採算性が見込め無い事から、鉄道省(後の国鉄)は、
掛川より天竜二俣、天竜二俣から天竜川を北上し、飯田線を越えた先の
奥三河の鳳来寺(ほうらいじ)を経由し、更に、明智(現・明知鉄道明智駅)、
そして、中央本線(西線)の大井(現・恵那駅/えな)を結ぶ縦断線を提示したが、
時局や軍部との折り合いで、天竜二俣から金指・気賀経由で、豊橋まで結ぶ事になった。
拠って、天竜二俣から西側は、軍部が要求したルートになっている。
なお、東海道線の迂回線として活用され、特急列車も走ったと言う逸話もあり、
国内のローカル線としては、特殊な歴史を持つ路線でもある。

遺構を通り過ぎ、左手は田畑、右は家々と山を見ながら緩い左カーブの先、
所要時間約2分で、気賀高校前駅(現・岡地駅)に到着する。
掛川駅から43.5km地点、昭和62年(1987年)3月の第三セクター転換時に開業した新設駅で、
モスグリーンの国鉄風単式ホームに、待合屋根のみの簡単な構造だ。
なお、気賀高校(※)は、国道を渡った直ぐ北西側にある。
奥山線は、この付近で国鉄二俣線と別れ、現・ハローワークの場所にあった気賀口駅に向かった。

気賀高校前駅からは、部活帰りのジャージ姿の女子高校生達が数人乗車して、車内が賑やかになる。
春日の、長閑なローカル線の雰囲気の中、十数人の乗客は外を眺めたり、
連れと雑談をしたりと、思い思いに過ごしている。

列車は、住宅地、田圃、果樹園や荒地が入り混じった、
都田川と井伊谷川に挟まれた三角デルタ地帯の小高い盛土の線路を快走する。
速い速度で、井伊谷川のプレートガーター鉄橋を渡り、
そのまま、堤防部と同じ高さのコンクリート製高架橋を走行する。
開業当時のもので、特徴的な構造から、国登録有形文化財になっている。

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(国登録有形文化財の気賀町高架橋。)

◆国登録有形文化財リスト「天竜浜名湖鉄道気賀町高架橋」◆
所在地静岡県浜松市北区細江町気賀字井領113-2,113-9、129-15
登録日平成23年(2011年)1月26日
登録番号22-0151
年代昭和13年(1938年)
構造形式鉄筋コンクリート造、橋長89.68m、橋台及び橋脚付。
特記気賀駅から400m東に位置する。全長は89.68m。
第一気賀町高架橋と気賀架道橋、第二気賀町高架橋、
井領架道橋からなる一体のRC造高架橋で、姫街道や市道等を跨ぐ。
橋台とT形桁や単版桁の組み合わせや、ラーメン構造等、場所により違う。
・文化庁公式HP国指定文化財等データベース該当ページ(写真あり)
・グーグルマップ 気賀町高架橋
※文化庁公式HPから抜粋、編集。

高架橋先の盛土の南側土手には、菜の花が少し咲いていて、少し春めいている。
線路脇の「清水屋」という看板は、県内外から沢山の客が集まる、地元有名鰻店だそうだ。
食べログ静岡「清水屋」気賀

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高架橋から降りて、天浜線五大主要駅のひとつの気賀駅(きが-)に到着。
天浜線西側の沿線で最も大きな町で、駅周辺は1万人程住んでおり、活気を感じる。
起点の掛川駅から25駅目、44.8km地点、所要時間約1時間30分、
終点の新所原駅から12駅目、22.9km、約40分になるので、
天浜線内でも西寄りの駅になり、有形文化財駅でもある。

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(気賀駅。)

数人の乗降があるが、ほぼ同数同士なので、あまり乗客数は変わらない感じだ。
列車交換設備が廃止された単式ホーム駅の為、汽笛を一声鳴らし、直ぐに発車する。

気賀の町中を抜けると、左右に区画整理された水田を広々と見ながら、
小高い盛土部を快走し、葭本川橋梁(よしもとがわ-)を渡る。
この付近は、都田川が引佐細江(いなさほそえ)に注ぐ最下流部の大きな干拓地らしく、
標高も1-3mと低いので、水害を防ぐ為に盛土に線路が敷いてある。

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(葭本川橋梁のプレートガーターを渡る。)

鉄橋の先は、登り勾配になり、その先の宝渚寺平(ほうしょうじびら/標高76m)麓の
短い切り通し部を抜けて、左手に浜名湖の奥湾である引佐細江と小学校が一瞬見えて来ると、
気賀駅から約4分で、西気賀駅に到着する。

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(西気賀駅手前。引佐細江と小学校が見えてくる。)
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(西気賀駅。午前中の駅訪問時に撮影。)

西気賀駅での列車交換は無く、全体が大きく左カーブしている西気賀駅を発車して、
そのまま弧を描く様に左に曲がり、国道を徐々に見下ろしながら登って行く。
トンネルに向かって、高低差が約15mあり、距離も短い為に急勾配である。
エンジンもグイングインと大きな音を出している。

なお、西気賀駅からは、湖畔まで山が迫っている為、
各駅間にある短いトンネルをサミットとして、アップダウンを繰り返す。
また、三ヶ日駅まで営業キロが7.9kmあるが、五つもの駅があり、
平均駅間距離は約1.6kmと、天浜線でも特に短い区間になっている。

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(トンネル前の急坂から、国道362号線、引佐細江とプリンス岬が見える。)

この先は、引佐細江から高台の場所ですが、ずっと見えるわけではなく、
土手や木々の間から、チラホラと垣間見える感じだ。
列車の乗客も、時折、見える美しい湖面を眺め、楽しんでいる。

サミットである向山の短いトンネルを越えると、下り坂になるが、
その先の第四種踏切の付近から、再び、長い登り坂になる。
左手に、家々の屋根の屋根を見下ろし、ちらほらと湖面が見えて来ると、
坂の途中にある寸座駅(すんざ-)に到着する。
天竜浜名湖鉄道公式HP内「路線と駅・寸座駅」

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(寸座駅。)

この駅は、国鉄二俣線時代の昭和30年(1955年)5月に、追加設置された駅である。
国道よりやや下の位置の山の斜面に、盛土の単式ホームと小さなトタン壁の木造待合室がある。

また、家々の屋根の向こうに、小さな漁港と引佐細江が一望出来るので、密かに人気がある駅だ。
起点の掛川駅からは50.7km地点、所要時間は約1時間40分になる。

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(寸座駅停車中の車窓から引佐細江を望む。沿線でも、有数の名所である。)

寸座の地名は、平安時代、征夷大将軍の坂上田村麻呂が、東北の蝦夷征伐の際に、
ここで一服した事(ちょっと=一寸、座する=座)が由来と言われている。
また、時代が下って、徳川家康も立ち寄ったとの言い伝えもあるそうだ。
案内看板と、座ったと言われる大きな石が、駅名標横に置いてある。
景色が良く、歴史由縁もあるので、立ち寄ってみたい。



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線路撮影は、上り掛川行き列車の最後尾から、後方の新所原方を撮影。

(※)気賀高校は、統合の為に閉校。

【参考資料】
国鉄二俣線の歴史は、神戸大学電子図書館システムに保管されている
中外商業新報 1933.9.8(昭和8)の新聞記事を、参考にさせて頂きました。

2016年1月7日再編集
2016年7月23日再編集(文体変更・文章追加・画像整理)

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category: 天竜浜名湖鉄道2日目 22話

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