hmdの鐵たびブログ ローカル線の旅

のんびりローカル線の鉄道旅を、写真を中心に「見る紀行文」で長期連載しています。

【130】遠州湖北と国鉄遺産を訪ねて・・・天竜浜名湖鉄道(33)金指駅 後半の部  


金指駅(かなさし-)の駅舎を見てみよう。
新所原(しんじょはら)寄りの北西にあり、駅出入口は北向きに構えている。
ホームから、構内踏切と上り1番線の線路脇の通路をコの字に通り、
小さな改札を通ると、直ぐに十畳位の広さの待合室に入る。

西側の窓一杯に据付の木製ロングベンチ、中央に背を合わせた一対の木製ベンチがあり、
綺麗に塗装されている。擦り切れている部分が少ないので、近年、塗り直された様だ。
また、線路側の南側と西側の全面が窓ですので、比較的明るい。
窓枠は老朽化の為、アルミサッシに交換されている。

IMGP0652.jpg
IMGP0654.jpg
(待合室。有人駅であるのと補修がされている様で、とても状態が良い。)

天井中央に装飾部があり、三ヶ日駅や気賀駅の天井とは、意匠が少し違う。
市松模様の板は白く塗られ、天井の高さは他の天浜線の駅よりも低くなっている。

IMGP0659.jpg

駅舎側通路の突き当たりを直角に曲がると、改札と真横に出札口がある配置になっている。
出札口の並びには、チッキの小さな木製テーブルも残っているが、
自動券売機が組み込まれて、掲示コーナーにもなっている。
全体的に、出札口周辺はこぢんまりとしていて、天井も低い為、独特な雰囲気がある。

IMGP0625.jpg
(出札口周辺。有人駅なので、人の暖かさと手入れの良さがある。)

改札の中央部は無く、サイドの金属バーとガラス入り木製吊り戸が、設置されている。
しかし、吊り戸の一枚は外されている様だ。
また、床面の近くの壁が、昔の銭湯で見た細かなタイル張りであるのも、特徴である。

IMGP0656_20160722130632608.jpg
(改札口。)

自動券売機の上には、少しレトロなポスターも・・・
左右はJR東海との共同観光キャンペーンポスターらしい。
中央の天浜線オリジナルポスターの「20年前の僕に出会う旅」のキャッチコピーが、
この天浜線のイメージを良く表していると思う。
レールバスTH1型が写っている事から、第三セクター転換当時のものだろう。

IMGP0657_1.jpg
(天浜線の観光ポスター。)

サッシ化された二枚引き戸を開けると、やや狭い駅前広場があり、
駅前にアパートが建ち並んでいて、住宅地の中の駅になっている。
地元で無い人は、周辺に駅がある雰囲気が少ないので、驚くかも知れない。

駅舎は木造モルタル平屋建てだが、左手の三階建ての増築部分が大きく、
出入口部分以外は駅舎が見えない。
なお、その為か、駅舎は登録有形文化財の指定にはなっていない。
増築部分には、テナントが入っている様子だが、人気を感じない。
また、寄棟風の赤い洋風屋根や出入り口付近は、気賀駅に良く似ている。
特に、入口横の柱が総タイル張りであるのが特徴だ。

IMGP0621.jpg
IMGP0650.jpg

狭い駅前だが、タクシーも1、2台待機している時もある様だ。
また、駅舎西隣に、自転車置場、公衆トイレ、鉄道官舎が並び、
鉄道官舎とスーパーマーケットの敷地との間に、蒸気機関車時代の高架貯水槽も残っている。
これも、国登録有形文化財指定されており、頂部が円形であるのが特徴になっている。

IMGP0644_20160722130631398.jpg
(高架貯水槽。)

貯水槽の真下には鉄管が降りており、水を汲み上げる揚水ポンプがあった。
現在、水源だった井戸は埋められた様で、残っていない。
また、約二年間は、新所原からの国鉄二俣西線の終着駅だったので、
かつては、構内の掛川方に転車台もあったそうだ。

◆国登録有形文化財リスト「天竜浜名湖鉄道金指駅高架貯水槽」◆
所在地静岡県浜松市北区引佐町金指字東金指1033-2
登録日平成23年(2011年)1月26日
登録番号22-0153
年代昭和13年(1938年)頃
構造形式RC鉄筋コンクリート、水槽の外径4.0m、水槽の高さ2.0m、
地面からの高さ12.0m、貯水量18.0t。
特記プラットホームの西北に位置する鉄筋コンクリート造高架貯水槽。
0.5m角の柱を4本、内転びに建て、外径4.0mの円形貯水槽を支える。
総高は12.0m。中央にバルブ付鉄管を降ろし、力強い外観になる構造物。
※文化庁公式HPから抜粋、編集。

駅前等には、金指や井伊谷周辺の観光案内板もある。
時間があったら、訪問してみたい所だ。

IMGP0618.jpg
(駅前広場の観光案内板。)
IMGP0627.jpg
(構内通路の観光案内板。)

この金指は、線路北側と山の間の狭い場所に町が発達しており、
南側は、幾つかの工場、倉庫と都田川の水利を利用した大水田が広がっている。
また、北側の山を超えた向こう側に、井伊谷(いいのや)と言う小盆地があり、
金指駅前の国道362号線の停留所から、井伊谷行きのバスも発車している。

金指の地名の由来は、金、または、鉄を採った残りかす「金ぐそ」が
流れ込む川の周りと言うのが由来で、全国的にも珍しい地名らしい。
山際にある「坂の町」であり、寺社や江戸期の陣屋跡等も残されている。
現在の人口は、約800世帯・約800人(平成23年4月現在)だそうで、
引佐高校(いなさこうこう)、赤十字病院や大型スーパーマーケットがある。

また、東西に秋葉街道、信州に通じる鳳来寺道(※)、井伊谷西方の古刹・方広寺に向かう
参詣道である半僧坊道の三つの街道が交差する交通の要衝でもあった。
江戸時代初期から関所も置かれていたそうだが、気賀関所程の大きさではなく、
常勤の関守は一人だけの出張所の様な感じで、約160坪の小さな関所だったそうだ。
既に、建物は無く、国道を入った路地に石碑と観光案内板があるとの事。
マピオン電子地図(金指関所跡)


大きな地図で見る

山向こうの井伊谷は、井伊谷川と神宮地川が流れる水利が良い約4km四方の小盆地である。
大変歴史が古い土地柄で、縄文時代の頃から人が住んでおり、
水神を祀る「井の国」と言う古代国があったと伝えられ、古墳も多く残っている。
現在の人口は、約1,400世帯・約4,200人との事(平成23年4月現在)。

井伊は、「井」からの転化で、地元の渭伊神社(いいじんじゃ)の南にある冷泉が由来との事。
かつては、「渭郷(いごう)」、又は、「蟾郷」(せんごう?、読み不明。蟾はヒキガエルの意味)と
表記していたが、奈良時代の好字二字令(和銅6年・西暦713年※)の発布により、
「渭伊郷」と表記する様になり、これが「井伊谷」となった。
それらの事から、井泉に纏わる地域伝承が、大変多い事も特徴になっている。

11世紀の平安時代以降になると、土豪であった井伊氏がこの地を治めており、
南北朝時代には、南朝・後醍醐天皇の皇子である宗良親王(むねよししんのう)を匿い、
このエリアの南朝吉野側の大きな拠点でもあった。
また、徳川四天王のひとり、井伊直政(なおまさ)は、この井伊氏の出身になる。
しかし、直政は関ヶ原の戦いで受けた鉄砲傷が原因で、死去してしまったので、
彼の死後は、直政の重臣・地元出身の近藤秀用(ひでもち)が、徳川家康に重用され、
後には、この井伊谷の井伊谷藩(石高1万7千石)の大名に封じられている。
井伊谷には、今でも、城址や古刹等が数多く残っているそうだ。

また、井伊谷西方の山間には、海上安全、火災消除等で有名な奥山半僧坊大権現を擁する、
深奥山方広寺(じんのうざんほうこうじ)と言う大古刹がある。
南北朝時代の応安4年(北朝年号・1371年)開基の臨済宗方広寺派の大本山で、
浜松軽便鉄道、後の遠州鉄道奥山線が奥山駅まで開通したのも、参詣客を輸送する為でもあった。
・グーグルマップ・方広寺と奥山半僧坊大権現
・臨済宗方広寺派大本山・方広寺公式HP

駅待合室のスタンドを見ると、こんなパンフレットが・・・美味しそうだ。
浜名湖牡蠣カバ丼が興味深く、一度、食べてみたい。

IMGP0658.jpg

この浜名湖牡蠣カバ丼は、浜名湖特産である牡蠣を鰻ダレで焼き、浜名湖産の海苔、
玉葱を温かいご飯に盛り、すりおろした三ケ日ミカンの皮をアクセントにトッピングした
ご当地グルメだそうだ。
有名な浜名湖産鰻に並ぶ新メニューとして、地元料理人が考案したそうで、
某テレビのご当地グルメ番組でも取り上げられ、注目を集めているとの事。

また、舘山寺温泉は浜名湖東岸にある温泉郷で、マリーナ(ヨットハーバー)、遊園地、
市立動物園、湖上ロープウェイ、大草山展望台がある地元の大保養地になっている。
残念ながら、鉄道では行けず、JR浜松駅からバス・タクシーで約40分になる。
グーグルマップ・舘山寺温泉

この金指駅の訪問で、天浜線の全ての登録有形文化財駅の十一の駅、
桜木、原谷、遠江一宮、遠州森、天竜二俣、岩水寺、宮口、三ヶ日、西気賀、気賀、
この金指の訪問完了となる(訪問順)。出札口横に置いてある、最後の駅スタンプを押印しよう。

待合室の時計を見ると、時刻は昼の13時前である。
この駅から天竜二俣駅まで一気に戻り、次の上り列車は、13時12分発になる。

IMGP0655.jpg

初老の駅長氏は、出札口のテーブルで仕事をし、
静かな待合室にカタコトとした音が聞こえてくる。
木のベンチに座り、缶コーヒーを飲みながら待つ事にしよう。



にほんブログ村鉄道ブログ鉄道旅行へ

(※)鳳来寺道
奥三河、現在の愛知県新庄市にある寺院。真言宗五智教団の大本山。
街道は今の国道257号線と420号線にあたる参詣道で、金指から北上し、
長篠で別所街道に接続して、信州方面も結んでいた。
(※)好字二字令
正式には、諸国郡郷名著好字令(しょこくぐんごうめいちょこうじれい)と言われ、
地名の発音はそのままで、好ましい漢字二字で地名を表記する様に、一斉に表記を改めた。
和銅6年(713年)に発布。
これには、漢字の当て方の統一や、地名から日本神話の由来を廃する方針があった。
中には、無理に変えられた為、読みが変わった地名もある。
一文字の地名は、強制的に二文字になったので、この井伊(谷)も同様。

〈例〉
倭→大倭(後の大和)、明日香→飛鳥、木→紀伊、島→志摩、
遠淡海(とほつあはうみ。浜名湖の事)→遠江、車→群馬(読みが変わった例)

日本で二文字の地名が圧倒的である事は、この好字二字令の影響であり、
時代が下っても、地名は基本的に二文字であるのが暗黙の了承になった。
当時の先進国であった中国の唐の政策を手本にし、律令政治を施政するにあたり、
日本神話に関する由来を排除し、当時の実情に合わせたと考えられている。
(好字とは、好ましい漢字の事。佳字とも書く。)

【謝意】
浜松市北区役所まちづくり推進課さま、地名やデータ照会の件、ありがとうございます。
厚く御礼申し上げます。

2016年1月7日再編集
2016年7月22日再編集(文体変更・文章追加・画像整理)

© hmd All Rights Reserved.
記事や画像の転載、複製、商用利用等は固くお断り致します。

category: 天竜浜名湖鉄道2日目 22話

thread: 鉄道旅行 - janre: 旅行

tb: --   cm: --