hmdの鐵たびブログ ローカル線の旅

のんびりローカル線の鉄道旅を、写真を中心に「見る紀行文」で長期連載しています。

【126】遠州湖北と国鉄遺産を訪ねて・・・天竜浜名湖鉄道(29)気賀駅 後半の部  


スロープを降りて、駅舎の中を見てみよう。構内西寄りの北側に、駅舎は建っており、
赤い洋風瓦と上部モルタル塗りは、西気賀駅と良く似た外観だ。
しかし、下部は木板ではなく、タイル貼りであるのが特徴になっている。

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(構内踏切からの駅舎。)

トタンの出庇も状態が良く、姫街道の円形の観光看板が掲示されている。
改札前には、春の花いっぱいの大花壇があり、手入れも行き届いて、見事だ。

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(姫街道の観光看板。かつては、関所も置かれていた。)
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(駅舎前の大花壇。線路があったスペースを利用している。)

傷みは激しいが、開業当時の木製ラッチ(改札)がそのまま残っている。
改札口の建物の断面も、タイル貼りになってる。

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(開業当時の改札口。)

三十畳位ある大きな待合室は、天竜二俣駅並の大きさがある。
天浜線の駅の中でも最大級であり、かつては、列車が発着する度に、
大勢の人や荷で混み合った光景が浮かぶ様だ。
また、合板の市松模様の高い天井、コンクリート打ち放しの床、大きな二段窓等は、
天浜線西側の元・二俣西線の駅に共通する仕様になっている。

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(待合室。西側の新所原方に据え付けのロングベンチがある。)

少しひんやりと感じる待合室の一番西側の窓沿いには、
木造ロングベンチが据え付けられている。
また、古い木製ベンチや国鉄風カラーベンチも置かれているが、
木製ベンチはかなり傷みが激しく、シロアリの被害も見受けられる。

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(木造ベンチと国鉄風カラーベンチ。※薄暗い為、露出をオーバー気味に調整。)

中央に置かれたベンチはかなり草臥れ、背もたれや肘掛けも壊れているが、
年期を感じさせる良い味を出している。

改札横には、出っ張った出札口も残っている。
国鉄二俣線から天浜線への第三セクター転換後も、暫く有人駅であったが、
平成21年(2009年)に無人駅化されている。
テーブルには、駅スタンプも置いてあるので、押しておこう。

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(改札と出札口。)

並びの鉄道手小荷物窓口は、改装されているが、手前のテーブルが残っている。

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ラッチからは、真っ直ぐに構内踏切が続いている。
自転車、犬の散歩・・・地元の人達が、踏切の代わりとして、頻繁に通る。

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駅前に出てみよう。
車寄せまで母屋の屋根が降りている、寄棟風の大型木造駅舎である。
開放感がある大きな出入口も、この駅の特徴になっている。

出入り口はタイル装飾の洋風作りで、駅名標はアールが付いた一枚のプレートになっており、
これは国鉄時代から変わっていないとの事。
勿論、開業当時の建築で、国登録有形文化財に指定されている。
なお、東側は改装されており、テナントのラーメン屋が入店している。

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この駅の待合室の窓は、南・西・北の三方が大きな窓になっているのが特徴で、
全ての窓が間隔の狭い、連続した大窓風になっている。
また、駅前側の出入口には、西気賀駅と同じタイプで一枚多い、
五枚ガラスの吊り戸が備え付けてある。

◆国登録有形文化財リスト「天竜浜名湖鉄道気賀駅本屋」◆
所在地静岡県浜松市北区細江町気賀字上堀合427-1
登録日平成23年(2011年)1月26日
登録番号22-0149
年代昭和13年(1938年)3月建築、
昭和45年(1970年)と昭和62年(1987年)に改修。
構造形式木造平屋建、瓦葺一部鉄板葺、建築面積183㎡
特記木造平屋建、建築面積183㎡、北面して建つ。
東西に落棟を設ける寄棟造瓦葺とし、背面に鉄板葺の下屋を付ける。
外壁はモルタル塗、基礎タイル貼とし、
緩い勾配の屋根と一体で穏やかな外観をつくる。
※文化庁公式HPから抜粋、編集。

広い駅前は、人や車の往来も多く、他の天浜線の駅よりも活気がある。
駅前から延びる広い道路は、長さ約210mの日本一短い県道との事で、
その先の終点の交差点は、元・姫街道である国道362号線に接続している。

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(気賀駅前。県道306号線が、国道まで接続する。)

正面の山上にある建物は、宿泊施設の国民宿舎奥浜名湖で、
引佐細江を一望出来る大展望風呂(人工温泉)が名物だそうだ。
日帰り入浴可なので、時間があれば、ひと風呂したい所である。
国民宿舎奥浜名湖公式HP

この気賀は、元・静岡県引佐郡細江町(いなさぐんほそえまち)になり、
平成17年(2005年)7月に、浜松市と市町村合併している。
引佐細江に注ぐ都田川と井伊谷川(いいのやがわ)が合流する右岸の平地に
発達した町で、縄文時代からの遺跡、古墳や古刹も多い歴史の町でもある。
また、東海道脇街道の姫街道(別称・本坂通り)の最大の宿場町として栄え、
現在も、奥浜名湖エリアの中心地になっている。
なお、平成23年4月現在の駅周辺の人口は、約3,100世帯・9,500人である。

また、戦国時代、徳川家と今川家、後は武田家との攻防の舞台にもなった。
此処の領主であった今川家を支持していた気賀周辺の豪族や村人達は、
勢いを増していた徳川家康の遠江進攻を防ぐ為、
引佐細江の近くに半水城の堀川城を築いて、籠城したそうだ。
しかし、永禄12年(1569年)3月、徳川家康の軍3,000人の攻撃により落城し、
城中に立て籠もっていた反徳川派の豪族や村人達1,000人が討ち取られ、
後日、700人余りの関係者が全員処刑されてしまった。
当時の気賀周辺の村々の人口は、約3,000人だったそうなので、
その半数以上が犠牲となり、熾烈だったと伝わっている。
気賀一揆と言われ、犠牲者の慰霊塔も町内に多数残っている。



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【謝礼】
浜松市北区役所まちづくり推進課さま、データ照会を頂きまして、
ありがとうございます。厚く御礼申し上げます。

2015年12月3日再編集・画像再処理
2016年7月22日再編集(文体変更。文章追加。画像整理)

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category: 天竜浜名湖鉄道2日目 22話

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