hmdの鐵たびブログ ローカル線の旅

のんびりローカル線の鉄道旅を、写真を中心に「見る紀行文」で長期連載しています。

【111】遠州湖北と国鉄遺産を訪ねて・・・天竜浜名湖鉄道(14)天竜二俣駅[その2]木造旅客上屋  


旅客上屋は、雨雪を避けるホーム上の屋根であるが、
蒸気機関車時代は、煤煙がホームで待つ乗客に降り掛からない様にする役割もあった。
なお、天竜二俣駅の大型旅客上屋は、全ての柱が木製では無く、
古レールの金属柱に置き換えてあったり、一部補強してあるのが、特徴になっている。
その部分も、1番線と2・3番線ホームでは、構造が少し違う。

両ホームの旅客上屋共に、長さ40m・幅2.6mの大きさがあり、
柱は11列、中央の6列目の柱と両端2列が金属柱になっている。
1番線は、金属柱だけで、古レールを切断し、新たな三角形の金属板を溶接してあり、
2・3番線は、木製柱に金属柱を合わせた補強構造になっている。

【天竜二俣駅旅客上屋の柱配置図】
上り、下りホーム共に同じ配置、大きさになる。
◯→1番線は金属柱、2・3番線は金属柱で木製柱を補強、□→木製柱のみ。

天竜二俣ホーム柱001

上り1番線ホームに上がって、見てみよう。
木製の梁も、斜めに上がる登り梁や、梁同士を挟んで強度を上げた挟み梁がある、
意外と複雑な構造になっているのが判る。

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(構内踏切スロープ下から、上り1番線ホーム旅客上屋。)
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(上り1番線ホーム旅客上屋下と新所原方の金属柱。)

1番線ホームの中程、駅舎側の木製柱に建物財産票も残っている。
金属製のプレートは、かなり傷みが激しいが、「S15・1(昭和15年1月)」と登録年月が読める。

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(建物財産票。)

掛川方の金属柱二列部分の上部を見ると・・・
柱の上部は古レールを切断し、Y字に広げ、金属板を溶接してあるのが特徴で、
4つの金属柱を互いに連結し、力強い雰囲気になっている。
なお、古レールをこのように加工した例は、全国的にも珍しく、貴重な例との事だ。

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(掛川方の金属柱。露出オーバー気味に調整済み。)

1番線ホーム掛川方の古レールには、アメリカ・カーネギー社(CARNEGIE)の
1911年(明治44年)製造のレールがある。
ちなみに、このカーネギー社のレールは、この駅で確認できる一番古いレールになっている。
判断しにくいので、誰かが白チョーク粉を撒いた様だ(冒頭のCが一部欠けて撮影)。

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(カーネギー社製は下から文字が始まっている。)

八幡製鉄所の1929年製(昭和4年)8月製造の30kgレールもある。
なお、他の二柱は錆で刻印が崩れ、判読が難しい。

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(八幡製鉄所製は上から読む。30kgレールになる。)

八幡製鉄所の生産開始は、明治34年(1901年)になるので、初期製造のレールである。
なお、大正時代の頃までは、国産レールの品質は輸入レールに及ばなかった為、
英国やアメリカからの輸入レールが、多く使用されていた。
また、鉱山の坑道支柱や工事・建築用としても、多く輸入され、
旅客上屋の柱に、輸入レールが良く見られるのは、その為である。

ちなみに、八幡製鉄所製レールの刻印の読み方は、順に・・・
・「丸にS」のマークが、八幡製鉄所の刻印。
・レールの重さ(最初はヤード当たりポンド、後にメートル当たりキログラム表示)。
・レールの種類(Aは高速路線用、Bは低速・貨物路線用/BはAよりも、高さが低く扁平)。
・製造年(西暦表示、戦時中のレールの一部は皇暦で表示したものもある)。
・製造月(縦棒で表示/8本あるので、8月に製造)。
になる。

重さは30ポンドとすると、1ヤード約0.91cmに対しての約14kgになり、
軽過ぎる為、このレールはキログラム表示になる(ポンドはキログラムの倍が目安)。
また、レールの発注者が刻印されている場合もあり、
国鉄(官鉄)の場合は「工」の刻印で、民鉄の場合はアルファベット表示もある。
なお、輸入レールは、メーカーによって表示が違う。

2・3番線ホームの旅客上屋を見てみよう。
木製柱に古レールが、数カ所ボルトで、固定されているタイプになっている。
古レールのメーカーは、全て八幡製鉄所になる。

古レールは側面を当て、木製柱に合わさっている。
中央6列目は線路に対して直角にし、ホーム内側に向い合い、
両端部は線路に対して並行して内側に向い合い、内枠の様になっている。

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(2・3番線ホーム旅客上屋下と掛川方金属補強柱。)

全体的には、1番線よりも細い感じで、上部の連結構造も簡易になっている。
このふたつの旅客上屋は、同時に建築されたものだが、違いが大きくて興味深い。

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(2・3番線ホーム掛川方。)

切羽板の外側にはラッパ状の物が・・・昔のスピーカーだろうか。
また、柱の横に財産票がある。

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(切羽板。)

こんな所から眺めるのも、何だか良い気分だ。

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(2・3番線ホーム旅客上屋端部。)



駅舎と1番線の島式ホームの間には、2線分の廃線跡があり、
植栽、子供向けのトロッコやモニュメントが設置されている。
名称は、「てんぱま線」、顔の表情と煙突がポリ管で作られているのが、面白い。

数十メートルの線路が敷かれており、小さい子供達には大人気だ。
切符か、入場券を購入して、保護者付き添いの上で、利用できるとの事。
ふたり乗り並列漕ぎの自転車トロッコ車両で、後部に客車部分も付いている。

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(名物の子供トロッコ列車。)

此処のスペースは、未成線である国鉄佐久間線の発着ホームになる予定だった。
佐久間線は、この天竜二俣駅から天竜川に沿って遡り、銅鉱山がある佐久間を経由し、
飯田線の中部天竜駅までの山間部を繋ぐ路線として、計画された路線である。
昭和42年(1972年)から工事が進められたが、国鉄末期の国鉄再建法により、
工事は凍結され、そのまま未成線になっている。
駅の東側の山にトンネル跡、天竜川沿いにトンネルや築堤等が今も残り、
その一部は民間に払い下げられたり、転用されたりしている。

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(未成線ホームになる予定だった駅舎側ホーム。)

このルートは、佐久間にある銅鉱山からの貨物輸送を担う事を考えた路線だったが、
昭和45年(1970年)に閉山となっており、光明電気鉄道(現在は廃線)や遠州鉄道も、
佐久間までの延伸開業を計画していた時期もあった。
また、明治時代中頃の国の鉄道建設計画であるが、掛川駅から天竜二俣駅、
飯田線の浦河駅(中部天竜駅の豊橋方に3つ隣の駅)を経由し、
更に北西に延伸して、国鉄明知線明知駅(現在の明知鉄道明智駅)に
接続し、中央西線恵那駅(えな-)に至る「遠美線」の大構想もあった。



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2016年1月5日再編集
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category: 天竜浜名湖鉄道1日目 23話

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