hmdの鐵たびブログ ローカル線の旅

のんびりローカル線の鉄道旅を、写真を中心に「見る紀行文」で長期連載しています。

【88】木造レトロ駅めぐり・・・大井川鐵道2011(5)千頭駅 その1 駅ホーム編  


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家山948======1029千頭
下り 普通 千頭行き 大井川鐵道16000系2両編成 6102に乗車
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9時48分発の下り電車に乗車して、終点の千頭駅(せんず-)に行こう。
駅員氏にお礼の挨拶をして、元・近畿日本鉄道16000系に乗車する。
2両編成の乗客は数人だけで、乗り心地の良い車両中央の左側席に座る。

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(16000系の車内。大井川鐵道の主力電車で、乗り心地が良い。)

タイフォンを鳴らして、家山駅を発車。
家山地区と対岸の身成地区を結ぶ大きな駿遠橋(すんえんばし)の横を過ぎて、
ふたつのトンネルを通過すると、大茶原が広がる中をゆっくりと走る。
この付近は、抜里(ぬくり)と言い、沿線で一番大井川らしい風景が見られる場所だ。

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(抜里付近の大茶畑。)

抜里駅を過ぎて、盛土部を通過すると、赤い橋桁の大井川第一橋梁を渡り、
大きな左カーブとその先の山間部の木立の中へと走って行く。

坂を登り切った地名駅(じなえ-)の先のトンネルを抜けてから、展望が良くなり、
有人駅である駿河徳山駅までは、雄大な大井川の流れを堪能できる区間だ。
電車の方がSL急行列車よりも速いが、電車の方が静かで、ゆったりとした感じがある。
フワフワとした昔の空気バネに揺られ、とても眠気を誘う雰囲気になり、眠たくなってしまう。

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駿河徳山駅からは激しく蛇行している大井川を、三つの鉄橋で渡り、
本線最急勾配の田代トンネルを抜けると、大井川鐵道本線終点の千頭駅4番線に到着する。

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10時29分、家山駅から約40分で、終点千頭駅に到着。景色が良いので、あっという間の感覚だ。
いつもは、40分程度の滞在で折り返す事が多いが、今日はゆっくり見学してみよう。

千頭駅は、昭和6年(1931年)12月に、ふたつ手前の青部駅から延伸開通した時に開業した駅で、
社員配置の大きな有人駅になっている。
起点駅の金谷駅から39.5km地点、所要時間約1時間15分、
所在地は榛原郡(はうばら-)川根本町千頭、標高298mである。

まず、改札の駅員氏に切符を見せ、撮影の許可を貰おう。
ホームは、三面五線と大きく、井川線の乗り換え駅でもある。
本線用ホームは頭端式の二面四線、井川線用ホームは独立している一面一線となっている。
大井川鐵道唯一の近代的な鉄筋コンクリート造りの駅舎は、
平成4年(1992年)7月に建て替えられ、一日約380人の乗降客があるそうだ。

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(千頭駅。)

この千頭は、大井川が逆L字に流れる、日当たりの良い両岸の平野部に発達した町で、
約3-4万年前の旧石器時代から、此処に人が住んでいたそうだ。
現在は、両岸が川根大橋によって結ばれ、同じ静岡県榛原郡川根本町であるが、
かつては、遠江国(とおとうみこく)と駿河国(するがこく)に分かれた国境の町であった。


(国土地理院国土電子Web・千頭周辺。)

古くから、椎茸栽培等の山間部農業、製材や木炭製造等の林業が主な産業で、
近年は、奥大井や寸又峡(すまたきょう)観光の玄関口、SL急行列車の終着駅、
日本一の銘茶と言われる川根茶の代表的産地としても有名である。
町全体の人口は、大凡8,600人とのことで、そのうちの約560世帯1,400人が、
この千頭駅周辺の千頭、小長井、田代地区等に住んでいるとの事。

なお、千頭の地名は、珍しい読みであるが、旧仮名遣いは「せんづ」である。
平安時代末期、菅原道真が北九州太宰府に左遷された際、
道真の一派は京都に居られなくなり、その一派のリーダー格のひとりであった
泉頭四郎兵衛が、家人や家来を連れてここに辿り着いた。
そして、この地の開拓を行い、地元の開祖として崇められたそうで、
その苗字の「泉頭(せんづ)」が、地名になったと伝えられている。
なお、大井川の上流の広いエリアも千頭となっており、
寸又峡温泉の大字も千頭との事で、近くの千頭ダムの名があるのはその為だ。

また、川の東岸、小長井地区の南側の崖には、小長谷城址(徳谷城址)がある。
中世の駿河守護大名・今川家に属する小長谷氏が、この付近を治めており、
戦国時代の甲斐武田氏の侵攻により、武田側になったが、武田氏の滅亡と共に廃城になった模様だ。
現在は、徳谷神社になっており、境内には土塁や空堀などが残っている。
国土地理院電子国土web(千頭徳谷神社・1/25,000)

3番線ホーム南端には、SL急行列車の長編成に対応する為に、木製デッキが延長されている。
駅構内の配置は、川側の東寄りにホームがあり、山側の西寄りに広大な側線が配されている。

国鉄が乗り入れていた頃、湘南色の国鉄113系電車や国鉄貨車が此処までやって来たそうで、
昭和50年(1975年)頃の4月から5月のハイシーズンには、静岡から快速奥大井号1.5往復
(行きの午前発は休日のみ運転、午後発は土曜日のみ運転、帰りは土休日共に運転。)、
浜松から快速すまた号1往復(休日のみ運転/千頭は5分折り返し)が運転されていたそうだ。

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(3番線のホーム延長部。)

川側の1・2番線ホームは、南側の延長部が無いホームになっている。
旧型客車六両分(約120m)の長さがあり、改札寄りのホーム屋根下は舗装されているが、
大部分は砂利のままになっている。
昔は、駅の東側の配置が今と違っていたそうで、昭和40年頃は側線になっており、
今の3・4番線が1・2番線、井川線ホームは3・4番線だったとの事。

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(昭和40年代に増設された1・2番線ホーム。)

3番線ホーム南端から金谷方を眺めてみると、
列車は駅の直前のカーブを曲がって、入線して来る。
線路際の木造の建物は、構内作業員の詰所の様だ。

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井川線専用ホームの山側には、階段があり、一段低いプラットホームになっている。
なお、川側は通常の乗降には使われておらず、
子供達向けのSL教室等のイベント時の会場として、使われている。

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(井川線ホーム。)

井川線ホームの南側には、明治30年(1897年)製の50フィート転車台が残っている。
英国RANSOMES&RAPIER(ランソムズ・アンド・ラピア)社製の輸入品で、
国鉄東北本線、晩年は新潟の赤谷鉱山専用鉄道・東赤谷駅に設置されていたものを、
昭和55年(1980年)7月、ここに保存移設されたものである。

銘板等で年号が確認できる、日本国内で現存している転車台の中で、最古と言われている。
平成13年(2001年)には、国登録有形文化財に指定されている。

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東海エリアや名古屋口の国鉄113系電車は全て廃車されています。
しなの7号様が往年の国鉄113系に乗務され、その様子を綴られておられますので、
是非、ご覧下さい。リンク先ページから三部構成になっています。
「昭和の鉄道員ブログ」【75】乗務した車両:113系電車(1)



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【謝意】
千頭の地名由来などについて、川根本町教育委員会よりご教授頂きました。
厚く御礼申し上げます。

2016年1月21日再編集
2016年6月21日再編集(文体変更・文章追加・画像整理)
2017年3月15日再編集(画像調整)

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category: 大井川鐵道本線2011 全14話

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【75】 乗務した車両:113系電車(1)

113系にはよく乗務したものです。

昭和の鉄道員ブログ | 2011/05/21 18:11