hmdの鐵たびブログ ローカル線の旅

のんびりローカル線の鉄道旅を、写真を中心に「見る紀行文」で長期連載しています。

【239】あかがねの鉄路を追って・・・わたらせ渓谷鉄道(47)通洞駅下車観光[その2]鉱山遺構群  


今、足尾銅山観光の見学を終えた所だ。
近くの市民センターの横には、通洞鉱山神社(つうどう-)【鳥居マーカー】がある。
最盛期の大正9年(1920年)、本山から通洞に事業所が移転した際、造営された山神社との事。
それまでは、江戸時代から祀られている、渋川上流の簀子橋山神社(すのこばし-※)が
この付近の山神社だった。現在は、鉱毒を沈殿するダムが出来て、元の神社はなくなっているそうだ。

何故か、正面の大鳥居からは、低い垣根がある為に入れない。
横の小鳥居から、境内に入るのも、とても珍しいと思う。

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(通洞鉱山神社正面。)

本殿は小さいながら、立派な造りになっている。
愛嬌のある表情の小さな狛犬は、造営時に簀子橋山神社から移設された古いものだそうだ。
今から200年以上前、江戸時代中期の寛保3年(1743年)のものと、伝えられている。

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(本殿と狛犬。)



今度は、駅周辺の鉱山施設跡や、わたらせ渓谷鐵道(旧国鉄足尾線)の鉄道施設を見て回ろう。
足尾銅山観光の正門から駅方向に戻ると、町中心部を南北に貫く旧国道沿いに、遺構が集まっている。
この通洞地区は、大正以降に鉱山の主要施設が移転して来た為、遺構の数も多い。



正門から緩やかな坂道を上り、旧国道の信号機のある交差点を左折して暫く歩くと、
大きな古建物が、渡良瀬川寄りの道路際に三つ並んで建っている。

この古い鉄筋コンクリート建ては、新梨子油力発電所(しんなし-)【赤色マーカー】と言う、
非常時用の発電量1,000kWの重油火力発電所だったそうだ。
なお、通常時の発電は、間藤や細尾の低コストな水力発電で、賄っていたとの事。
竣工した大正4年(1915年)当時は、国内最大級の発電量を誇ったそうで、
昭和29年(1954年)にその役目を終え、廃止になっている。


(旧・新梨子油力発電所。)

その隣には、赤トタンの大屋根が崩れかけた、大きな赤煉瓦の廃屋がある。
通洞動力所跡(つうどう-)【青色マーカー】である。
鉱夫が銅鉱石採掘をするのに、圧縮空気を動力とした削岩機を使っており、
その動力源の圧縮空気を大型コンプレッサーで大量に作っていたそうだ。
この場所も、丁度、通洞坑口の真上に建っている。

コンプレッサーの動力は電気で、間藤発電所(明治末からは細尾発電所)から高圧電線で送電し、
隣の変電施設で変圧をして使っていた。
また、大正元年(1912年)には、国内最大級320馬力のドイツ製「インガーソルランドPE-2」と言う
大型コンプレッサーが据え付けられた。なお、現在は、撤去されているとの事。

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(通洞動力所跡。老朽化の為、屋根が落ちたらしい。)

最も南側には、通洞変電所【橙色マーカー】がある。
足尾銅山の中心機能が移転した大正以降、銅山や通洞周辺の鉱山施設の電力を集中管理した、
四階建て鉄筋コンクリートの大型変電所になっている。
現在も使われており、ブーンとした大きな変圧音が周囲に鳴り響き、
生き延びた鉱山設備として、異彩を放っている。


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(通洞変電所。渡良瀬川側に、送受電のトラスがある。)

剥き出しの無骨なコンクリート建てだが、当時は画期的なデザインの建物だったと思われ、
大きな縦窓も流行だったのだろう。当時の雰囲気を感じさせる。
北側に平屋の建物もあり、大きな音が聞こえてくるので、大型変圧器が置かれている様である。

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(北並びの変圧器室の建物。)



わたらせ渓谷鐵道のレールは、変電所向かいの高い盛土の上にあり、
道路との交差部には、通洞橋梁【緑色マーカー】がある。
足尾鐡道開通時に架橋された、全長13mのデッキガーター鉄橋である。
奥には、通洞選鉱所(現・古河機械金属足尾事業所)の正門がある。

通洞選鉱所【工場マーカー】は、通洞坑から運び出された精錬前の銅鉱石を選別して、
間藤の本山精錬所に送る前処理施設だった。
以前は、各抗口に選鉱所があったが、大正10年(1921年)以降は、この通洞選鉱所に集約されたそうだ。
大型最新設備を揃え、東洋一の最先端金属選鉱所として、外国の鉱山関係者の見学も多かったらしい。

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(通洞橋梁。橋台は、フランス積みである。)

◆国登録有形文化財リスト◆
「わたらせ渓谷鉄道通洞橋梁(つうどうきょうりょう)」
所在地栃木県日光市足尾町中才
登録日平成21年(2009年)11月2日
年代大正元年(1912年)竣工
構造形式鋼製単桁橋、橋長13m、橋台付。
特記通洞駅より約620m南西に位置する。橋長13m、単線仕様デッキガーター鉄橋で、
桁両側面に銘板を付け、橋台は花崗岩をフランス積風に積む。
(文化庁文化遺産データベースを参照・編集・)

選鉱所後ろの山を見上げると、高く聳えるコンクリート柱が、ひとつだけある。
貨物用ロープウェイを支えた、有越鉄索塔【塔マーカー】との事。
選鉱後に発生した廃棄物の廃泥を、山向こうの堆積場に運搬していたロープウェイで、
昭和14年(1939年)に竣工、渋川上流に堆積場が完成する昭和35年(1960年)まで運行され、
貨物用であるが、登山家を乗せた言い伝えもあるそうだ。


(有越鉄索塔。※光学ズーム三倍で撮影)

選鉱所南側には、職員や坑夫の社宅であった、中才鉱山住宅(なかさい-)【黄色マーカー】もある。
通洞橋梁から大間々(おおまま)方200m先にある、有越沢橋梁【紫色マーカー】を潜り、
山側に入ると、鉱山住宅エリアに入る。

この有越沢橋梁も国登録有形文化財で、足尾鐡道開通時架橋の全長14mのデッキガーター鉄橋は、
橋下に小さな道路橋が架かる二重橋になっている。
通洞橋梁と比べると、保線用の通路が無いシンプルな作りで、橋台の石の積み方も違う。


(有越沢橋梁。橋台は、イギリス積みになる。)

◆国登録有形文化財リスト◆
「わたらせ渓谷鐵道有越沢橋梁(ありこしざわきょうりょう)」
所在地栃木県日光市足尾町中才
登録日平成21年(2009年)11月
年代大正元年(1912年)竣工
構造形式鋼製単桁橋、橋長14m、橋台付。
特記通洞橋梁より約200m西方に位置する。渡良瀬川水系有越沢に架かる橋長14m、
単線仕様のデッキガーター鉄橋で、桁はスティフナーをJ形とし、
2本の主桁をT字鋼によるロ字形ブラケットで連結する。
橋台は花崗岩をイギリス積風に精緻に積む。
(文化庁文化遺産データベースを参照・編集。)

橋下を潜り、道なりに左に急坂を登りながら、少し歩くと・・・山裾の平地に出る。
ここに、中才鉱山住宅【黄色マーカー】の平屋が多数並んでいて、
昔ながらの共同浴場や共同トイレがあり、集会所や神社も設置されている。
現在は、日光市の公営住宅になっているとの事。


(中才鉱山住宅。)

中央付近には、赤煉瓦の防火壁(火災時の延焼防止壁)が残っている。
高さは屋根程あり、その大きさに驚く。
しかし、陽当たりが悪くなる事や、消防体制が良くなっており、取り壊されるものも多いそうだ。


(赤煉瓦の防火壁。)

入口付近の巨大な円形ブールは、シックナー(沈殿槽)である。
この地区の最大級のもので、直径は約25mもあるものだ。
既に閉山の上、選鉱所敷地外にあるので、精錬用ではなく、排水処理用らしい。
廃坑や廃石堆積場から、鉱毒に汚染された水が今も大量に湧出しており、現役の鉱山設備になっている。
また、この中才地区の下流にも、大きな鉱毒浄水場が設置されている。

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(中才鉱山住宅入口に隣接する、巨大シックナー。)

用途廃止になったシックナーを、恐る恐る覗くと・・・すり鉢状の巨大なものだ。
コンクリート壁縁には、レールが円周しており、何かの機械を載せていたかも知れない。
今も使われているものは、ゴポゴポ、ザーザーと非常に大きな水の音がし、
太い黒パイプが外壁の周りに幾つも引き回されている。



(廃棄された直径25m級シックナーと円縁のレール。)

渡良瀬川に架かる砂畑橋【カメラマーカー】から、眺めてみよう。
対岸からは、通洞変電所、わたらせ渓谷鐵道の盛土、選鉱所と索塔が一望出来る。

暫くすると・・・エンジンの唸りを響かせながら、気動車が急勾配を登って来る。
丁度、子供達も学校から帰って来た様だ。小さな男の子が、走りながら、元気よく挨拶をしてくれた。



陽も少し傾いて来ており、時刻は15時を過ぎた所だ。そろそろ、駅に戻ろう。



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2015年12月5日再編集
2016年12月15日再編集(文体変更・文章追加・画像整理)
2017年4月30日文章加筆・校正

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category: わたらせ渓谷鐵道2日目 15話

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