hmdの鐵たびブログ ローカル線の旅

のんびりローカル線の鉄道旅を、写真を中心に「見る紀行文」で長期連載しています。

【231】あかがねの鉄路を追って・・・わたらせ渓谷鐡道(39)足尾本山観光[その1]間藤駅から、足尾精錬所へ。  


間藤駅(まとう-)見学と、折り返しの上り桐生行き列車を見送った後、
この足尾を語るには、絶対に外せない場所・・・足尾本山周辺を散策してみよう。
地元では、単純に「本山」とも言われ、備前楯山(びぜんたてやま)から掘り出された
銅鉱石を精錬していた、足尾精錬所周辺になる。所謂、足尾銅山の事業中心地だ。



時刻は、朝の8時30分を過ぎた所である。
快晴で、風は殆ど無いが、気温はかなり低い。
この周辺は、標高700mの高所である。

駅出入口の小階段を降り、接続している県道を北に歩いて行く。
県道沿いに民家が断続的に連なり、昭和風な町並みが色濃く残っていて、
町は松木川沿いの狭い谷間の南北に、長く形成されている。
また、土蔵もあるが、明治以降に町の再開発が著しかった足尾では、珍しいらしい。

この県道も、長い登り坂がずっと続いている。
なお、間藤駅周辺の下間藤地区は、足尾銅山の北部の玄関口として、
最盛期は200戸余りの集落になっていたとの事。
しかし、足尾銅山の再開発が始まった明治10年(1877年)頃は、
周辺に畑がある程度で、明治30年頃から町並みが形成された。
間藤駅が開業した大正の初めには、商店街が出来、三箇所の社宅も設置されていたそうだ。


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(県道沿いの下間藤地区の町並みと土蔵。)

人家は多いが、人車共に交通は少なく、大変静かだ。
長い登り坂の県道を歩いて行く事、数分・・・錆び付いた踏切に遭遇する。
間藤駅から足尾本山駅への貨物線の踏切跡【線路マーカー】である。

使われなくなった踏切踏み面のレールは撤去され、アスファルトで埋められているが、
警報機や踏切柵はそのまま残っている。



(貨物線の踏切跡。雪を頂いた、日光連山が良く見える。)

踏切から間藤方を望むと、切り通し部から、レールもそのまま残っているが、
この先は道床や法面の崩落が激しいそうだ。


(間藤方の切り通し跡。)

足尾本山方を見ると、そのまま緩くカーブをして、第二松木川橋梁に繋がっている。
対岸の高台の大きな木造建築は、廃校になった小学校である。

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(足尾本山方。)

この第二松木川橋梁【赤色マーカー】は、
両端がデッキガーター、中央部がプレートガーターの三連鉄橋で、
コンクリート製アーチの道路橋と、中央部下部で交差しているのが面白い。

道路橋の銘板には、「間藤橋・昭和13年4月竣工」と、刻印されている。
鉄道橋は、それ以前の足尾鐡道開通時の大正3年(1914年)の竣工であり、
元々はトラス橋だったそうなので、後年、架け替えられた可能性がある。
また、間藤橋の交差部分の高さが大変低いので、人や自転車専用らしい。
対岸の工場に行く為に架けられたそうだが、現在は、通行止めになっている。

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(第二松木川橋梁跡。対岸の建物は、小学校跡である。)

(人道橋の間藤橋。第二松木川橋梁を潜るが、ぶつかりそうな低さだ。)

近くの崖下には、間藤水力発電所跡【緑色マーカー】がある。
実は、日本初の水力発電所で、ドイツの最新技術を導入したと言われている。
当時は、「原動所」と呼ばれていた。

明治以降に足尾銅山の再開発をした、実業家・古川市兵衛(ふるかわいちべい)氏が、
銅山の動力源として、明治23年(1890年)12月に建設した。
松木川上流とその支流の深沢川から取水し、水樋で2.9km誘導して、この山頂に集め、
高さ318mから落水させて、発電をしていたそうだ。

この発電所で作られた電気は、銅山の排水用ポンプ、エレベーター、坑内電車、坑内電灯等に使われ、
薪や木炭を使っていた従来から、近代化を一気に進めたと言われている。
なお、発電量は400馬力、今の表示単位では、300kWh相当のミニ発電所だった(※)。


(間藤水力発電所跡。)
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(直径1mの導水管が少しだけ残る。)

また、いつ頃、発電所が取り壊されたかは、判らない・・・
今は、水を落とす導水管の一部と河原に発電所の基礎が残っており、
観光案内看板の白黒写真が、当時の様子を伝えている。


(松木川の河原にある、発電所の基礎部分。)

(当時の発電所の様子。写真上の赤い印が、今も残っている導水管。)

清々しい空と清涼な朝の空気を満喫しながら、更に、登り坂の県道を歩いて行こう。
松木川支流の深沢に架かる、深沢橋を渡り、雪を頂いた山々を眺めながらだ。

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(日光連山が見える県道を、北に歩いて行く。)

左手の備前楯山は、ゴツゴツとした荒々しい山体が、目前に迫る大迫力だ。
木々が殆ど無いのは、薪や鉱山の坑道用・住宅用木材として伐採された事、
大規模な山火事が数回あった事、銅精錬時の亜硫酸ガスによる酸性雨の為と言われている。
現在は、銅精錬を行なっておらず、完全に脱硫する無公害化技術が確立されているので、
公害は無くなっている。
また、この岩山の裾野を這う様に貨物線が敷かれ、トンネルも見える。

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(迫る備前楯山の岩肌。少しずつであるが、緑も回復している。)
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(岩肌をくり抜いた、貨物線のトンネル跡。)

暫く歩くと、県道はふた手に別れ、幅の広い場所に出る。
人家も多く、横に大きく広がっている。

この赤倉地区は、精錬所に隣接した、足尾一の賑わいの鉱山街だったそうだ。
明治40年(1907年)頃には、80軒の民家と140軒もの商店が連なり、大変な活気を呈していたとの事。
しかし、鉱夫の大暴動が起きて、通洞(つうどう)に鉱山事業の中心が移ってしまい、
閉山後の今は、静かな山里に戻っている。

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(赤倉地区の町並み。)

赤倉地区の中を歩いて行くと、大きな広場の様な場所があり、
左手の松木川の方を見ると、巨大な工場が・・・
間藤駅から約1.5km、徒歩30分で、本山こと、足尾精錬所【工場マーカー】に到着する。
貨物線は、デッキガーター鉄橋で支流と道路を跨ぎ、そのまま工場内に入って行く。


(足尾精錬所前。)



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(※)300kWhは一般家庭の100軒分の電力に相当する。

2015年12月5日再編集
2016年12月13日再編集(文体変更・文章追加・画像整理)

【参考資料】
現地観光案内板
足尾銅山略図(日光市発行・平成20年)

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category: わたらせ渓谷鐵道2日目 15話

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