hmdの鐵たびブログ ローカル線の旅

のんびりローカル線の鉄道旅を、写真を中心に「見る紀行文」で長期連載しています。

【303】かぶらの里、シルクの鉄路・・・上信電鉄(1・1日目初回)上野駅から、高崎駅へ&上信電鉄の歴史。  


まだ、底冷えの寒さが続く2月下旬であるが、例年よりも早めに、ローカル線の旅に出よう。
暖かくなってからの方が下車観光がしやすいのだが、観光客も少なく、空気が澄んでいるので、
写真写りが良いというメリットもある。
また、鉄道ファン的には、線路沿いの草木が生い茂っていないので、景色や線路状態が良く分かる。
ローカル線は山中を走る路線が多く、うっかり真夏に行ったりすると、
車窓は草木の濃い緑が遮り、景色が良く見えないと言う事もあったりするので、笑えない所だ。

関東近県で良いと思い、鉄道路線図を眺めながら、どこにするか迷う所であるが・・・
意外にも、巷での沿線紹介記事も少なく、以前から記事にしたいと思っていた、
群馬県西部のローカル民鉄である、上信電鉄が良さそうだ。

先ずは、群馬県の最大の商業都市で、北関東の鉄道大要衝地である、高崎に向かおう。
高崎駅は、東京-上越間の鉄道貨物を担うJR貨物の高崎機関区や、
JR東日本の復活蒸気機関車も在籍する車両センターがあり、東京方面からの高崎線、信越本線、
上越線の接続と、運行上の両毛線、吾妻線や八高線が発着し、上越新幹線と北陸新幹線も分岐している。





早朝の4時30分に起床。始発電車に乗車するので、急いで支度をする。
先ずは、北への玄関駅である上野駅に向かい、JR高崎線で高崎駅まで向かおう。
今日も寒いが、風は殆ど無く、天気は快晴の予報だ。
朝食も摂っていないので、ホームに上る前に、中央改札口向かいの駅弁屋で手配する。

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上野600======748高崎
JR高崎線・下り1820E普通・上野東京ライン直通高崎行き
JR東日本E231系1000番台K-14編成15両編成(4号車・サロE230-1055乗車)
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上野駅5番線から、6時丁度に発車。早朝列車の乗客は疎らで、まだ朝のラッシュ前である。
なお、高崎まで二時間かかる事や駅弁をゆっくり食したいので、グリーン車を奮発し、
スイカにグリーン券情報を吸い込ませ、編成上野方の4号車二階席中央に陣取る。
この列車は、東海道本線の小田原始発であるので、国府津車両センター所属のK編成である。

上野を出ると、高崎線、山手線、京浜東北線の上下六線が並行し、赤羽付近で夜明けとなる。
すれ違う上り電車を見ると、もう混み始めている様である。
6時半前に大宮を過ぎると、揺れの少ない高規格なロングレールを、滑る様に高速で走り始める。
独特な横揺れがある二階建てサロ(※)の上階は、慣れないと酔う感じがするが、
台車からの振動や走行音は少なく、二時間以上の長距離乗車の場合はとても快適だ。
また、特急グレードよりはやや劣るが、シートにリクライニングやテーブルも付いている。

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(サロ230グリーン車上階。他の乗客はおらず、貸切状態だ。)

朝食も食べておこう。上野駅の名物駅弁である「チキン弁当」である。
取材となると、駅見学や徒歩の下車観光が多いので、しっかり食べておきたい。
このチキン弁当は、新製品が何かと多い上野駅でも、昭和39年(1964年)発売のロングセラーである。
国鉄食堂車を経営していた、今は無き日本食堂系の調製所(現・NRE※)が製造している。

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(チキン弁当。税込850円。)

トマトの酸味と中空が抜けた様な軽い甘さのチャーハンは、甘さが残らない感じで食べやすい。
おかずのベタッとした固めの唐揚げが、重さもあって、見た目以上に満腹になる。
懐かしい昭和の洋食屋風で美味しく、燻製ミニチーズ棒が付いているのも昭和的だ。
町中に溢れているコンビニやファミリーレストランには無い、昔ながらのこの味は、
たまに食べると、驚きにも感じる。

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(現代向きに、リニューアルしているとの事。天皇陛下もお気に入りらしい。)

埼玉の広い平野と町並みを眺めながら、1時間程過ぎると、途中の籠原駅で6分間停車し、
高崎方11-15号車の増結編成を切り離して、10両編成の運転になる。
この先は乗降ドアもボタン開閉式になり、新町駅からは高崎方への通勤通学客が増えてきた。
利根川水系の鏑川(かぶらがわ)の大鉄橋を渡り、八高線が分岐する倉賀野駅を過ぎると、
もう直ぐだ。

乗車約二時間、右窓に巨大な機関区と貨物用電気機関車の一群が見えてくると、
大きく右カーブをし、高崎駅4番線に到着する。
丁度、朝の通勤通学ラッシュになっているが、東京周辺ほどは混んではいない。
上信電鉄線はJRと改札が分離されてしまったので、中央改札を一度出て、西口に降りよう。
西口階段には、先代の高崎駅のタイル大壁画が飾れられている。

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(高崎駅では、湘南色の国鉄115系電車が現役であるが、順次、新型車に更新されている。)
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(上越新幹線開業直前の昭和55年まで、使われていた先代の高崎駅。現在の駅舎は四代目になる。)

北口の階段を降りると、上信電鉄の乗り換え口がある。
あまり、駅出入口らしくないが、ホームに直結しており、たかべん直営の駅蕎麦店もある。
かつては、JR側の1番線ホームも使われていたが、フェンスで分離閉鎖されており、
上野・新宿-高崎間の特急あかぎ号・スワローあかぎ号の留置線として使われている。

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(上信電鉄乗り換え口。大きなLED文字式発車時刻表示器がある。)
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(ホーム上の連絡通路と上信電鉄乗り場。)

この上信電鉄は、群馬県の主要都市である高崎から、利根川水系の鏑川沿いに西に進み、
富岡盆地を横断して、鏑川上流の下仁田(しもにた)までを結ぶ、33.7kmの民営ローカル鉄道である。
なお、関東地方西部の南北に伸びる箱根丹沢山系の北端にある御荷鉾山(みかぼやま/標高1,286m)、
北にある火山・温泉地で有名な榛名山(はるなさん/標高1,449m)と、
鏑川上流西方にある妙義山(標高1,103m)の三方の険しい山に囲まれ、袋小路状になっている。
中央部に標高300m級の丘陵地帯があり、その南側に上信線、北側に信越本線が走っている感じだ。

現在の群馬県は、8世紀頃の律令制下においては、上野国(こうずけこく)と言われ、
南北西を山に挟まれた幅の広い川谷の鏑川流域は、甘楽(かんら)と呼ばれていた。
古くから、朝鮮半島からの渡来人が多く住んだ事が由来で、「加羅(から)」、「甘楽」、
更に訛って、「鏑(かぶら)」となったそうだ。今も、郡、町や川にその名が残っている。

近世以前の甘楽エリアの交通網としては、本庄から信州佐久方面に抜ける、下仁田街道が通っている。
江戸時代になると、中山道の脇街道・女旅人の多い姫街道として賑わい、
下仁田産の和紙や砥石、信州産米、タバコ、絹、石灰等が江戸へ運ばれた。
また、農閑期は、信州善光寺参りや湯治の旅人の往来が多かったとの事。
明治以降は、養蚕製糸業が盛んになり、世界遺産に登録されている、富岡製糸場が建設されている。


(上信電鉄路線図。)

ここで、上信電鉄の歴史にも、触れておこう。
江戸末期から生糸輸出が盛んになると、近代的な官営製糸工場が甘楽郡富岡に建設され、
北関東西毛エリアの養蚕製糸業の中心地として、大いに栄えた。
明治5年(1872年)の富岡製糸場建設直後には、製糸場から本庄や新町までの乗合馬車が開業。
後に、高崎から富岡まで、木製レールに馬車を走らせる木道馬車の建設が始まったが、
鏑川を渡る橋の建設に費用がかかり過ぎてしまい、頓挫してしまっている。

なお、明治中頃から、全国で鉄道建設ラッシュになっており、
この時期から大正にかけて、日本の地方鉄道網の基礎が出来上がっている。
高崎周辺でも、明治17年(1884年)に上野から高崎まで日本鉄道(現・JR高崎線)が全通すると、
官営鉄道(後の国鉄)も、明治18年(1885年)に高崎から横川までが開通し、
その8年後の明治26年(1893年)には、碓氷峠にアプト式を採用した信越線も全通した。
また、明治22年(1889年)には、両毛鉄道両毛線(現・JR両毛線)も全通している。

周辺の鉄道網が次々と整備される中、この甘楽エリアにも鉄道敷設の気運が高まるのは、
必然であっただろう。また、繭や生糸の大量輸送にも、鉄道が必要であった。
そして、明治28年(1895年)12月、三井財閥のバックアップ得て、桜井弥三郎・小沢武雄らが
発起人となり、上野鉄道株式会社(こうずけ-)が設立されたのである。
現在の上信電鉄の旧社名であり、現存する地方民鉄の中では、愛媛の伊予鉄道に次いで、
全国で二番目に古い由緒ある鉄道会社になっている。
なお、当初は、生糸取引の中心地であった埼玉県の本庄と、下仁田を結ぶ計画であったが、
高崎の商業集積化により、高崎起点に変更されている。

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(上信電鉄社章は、「上」の漢字が、丸く取り囲むデザインになっている。
   8つあるのは、開業時の駅数か末広がりの数字縁起を担いだのであろう。
   社名の書体も、伝統のあるものだ。)

最初は、軌間762mm(2フィート6インチ/通称・ニブロク※)の軽便鉄道規格で敷設され、
高崎から南蛇井(なんじゃい)までは、鏑川沿いの起伏の少ない緩やかな勾配を上るので、
渡河する鉄橋を除けば、建設は比較的容易だったそうだ。
しかし、南蛇井から下仁田までは険しい岩山が迫り、難工事が予想された事から、
一度、南蛇井までの建設に変更になったが、下仁田の住人達の熱烈な誘致運動により、
計画通りの下仁田まで建設されている。

なお、非電化の軽便線であるので、B1形の豆蒸気機関車牽引の客貨混合列車の運行が行われ、
伊予鉄道の坊っちゃん列車で有名な、ドイツ・クラウス社製蒸気機関車も在籍したそうだ。
開業当時は、高崎・山名・吉井・福島(上州福島)・富岡(上州富岡)・一ノ宮(上州一ノ宮)・
南蛇井・下仁田の8駅で、路線キロ33.7kmを約2時間30分かけて走っていた。
なお、明治30年(1897年)の高崎から下仁田までの下等運賃は、32銭だったとの事。
当時、米10kg1円12銭、かけ蕎麦が1銭8厘だったそうなので、結構高かった様である。

また、大正13年(1924年)には、鉄道省(後の国鉄)との貨車直通化と輸送力増強の為、
鉄道省と同じ狭軌1,067mm(3フィート6インチ/通称・サブロク)への改軌と電化を同時に行い、
電車を導入して、所要時間を従来の半分である約1時間10分に短縮している。
戦中も他の鉄道会社との合併も無く、戦後は復興と高度成長期の多角化経営により、
上信電鉄も大きく発展していった。
しかし、鉄道事業の最盛期は、昭和40年前半で、現在はその1/3程度の利用客数になっている。

◆路線データ◆
民営鉄道、高崎駅から下仁田駅まで、21駅(別に信号所3ヶ所)、路線キロ33.7km、
所要時間約1時間、狭軌1,067mm、全線単線、直流1,500V電化、ワンマン運転。

◆略史◆
明治28年(1895年)12月 上野鉄道(こうずけ-)設立。小沢武雄氏が初代社長となる。
明治30年(1897年)5月 高崎駅から福島駅まで、軌間762mmの軽便鉄道規格で開通。
明治30年(1897年)9月 終点の下仁田駅まで、順次延伸開通し、全通する。
明治44年(1911年)2月 軽便鉄道法が前年に施行され、軽便鉄道に指定される。
大正10年(1921年)8月 上信電気鉄道に改称。
大正13年(1924年)12月 全線の軌間を1,067mmに改軌し、電化を行う。
昭和39年(1964年)5月 上信電鉄に改称。
昭和48年(1973年)12月 自動信号機(ARC)導入と自動閉塞化。
昭和56年(1981年)11月 従来の快速列車に加え、急行と準急列車の運行開始。
昭和59年(1984年)12月 赤津信号所付近で、電車同士の正面衝突事故発生。
昭和60年(1985年)12月 前年の事故を踏まえ、列車自動停止装置(ATS)を導入。
平成4年(1992年)7月 急行列車運行廃止。
平成6年(1994年)10月 鉄道貨物輸送廃止。
平成8年(1996年)10月 準急列車運行廃止、ワンマン運転開始。
平成13年(2001年)2月 列車集中制御装置(CTC)を導入。
平成16年(2004年)10月 全列車ワンマン運転化。
平成17年(2005年)7月 高崎駅の改札分離。

100m程上野方に歩くと、ホーム上に改札口と駅事務室のプレハブが建っている。
1日全線フリー乗車券(大人2,220円)があるので、出札口の駅員氏から購入し、時刻表も貰う。
駅時刻表を見ると、毎時約二本の運転なので、そうシビアにならなくても良い。

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(上信電鉄出札口と改札口。食券型自動券売機も二台設置されている。)
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(駅時刻表。下段は、到着時刻表である。)

フリー乗車券は、上信電鉄のオリジナル車両が描かれた懐かしいD型硬券になっている。
他にも、富岡製糸場見学入場券とセットになった往復割引乗車券
(高崎-上州富岡間・入場券付き・大人2,140円・途中下車は行き帰り各1回のみ可)もあり、
個別に購入するよりも、お得になっている。

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(平成25年に導入された7000形は、最近の地方鉄道では珍しい、自社発注の新造車である。)




ここは上野(うえの)と信越と
前橋線が合うところ
中仙道の要路とて
上下の客おびただし

上野(こうずけ)唱歌九番より/石原和三郎作・明治33年頃。



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(※サロ)国鉄時代からの車両形式略号。サ=付随車(モーター無し)、ロ=グリーン車(旧二等車)。
(※NRE)現会社名の日本レストランエンタプライズの略。
(※軌間)二本のレールの間隔。狭いと輸送力が小さくなるが、建設費、車両費や維持費を抑制できる。

【参考資料】
「上信電鉄百年史-グループ企業と共に-」(上信電鉄発行・1995年)
「ぐんまの鉄道-上信・上電・わ鐵のあゆみ-」(群馬県立歴史博物館発行・2004年)

2016年12月22日再編集(画像差し替え高解像化・文章校正)

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