hmdの鐵たびブログ ローカル線の旅

のんびりローカル線の長編紀行集です。

【368】くるくるくるり・・・JR久留里線(18・最終話)木更津観光 その3「寺社エリア」  


散策を始めてから、約二時間が経過している。少し早いが、昼食を取るとしよう。駅の近くの食事処でも良いが、この木更津に来たら、あの例のモノを外す訳にはいかないだろう。かつては、木更津駅の名物駅弁として有名であった「浜屋BBQ(バーベキュー)弁当」である。現在、駅構内の販売は撤退し、西口階段下の日本食堂(NRE)系駅弁販売所で、少量を委託販売しているが、駅前デパートと観光案内所の間の路地先の直営店【丼マーカー】に買いに行こう。

道路角に大きな看板が出ており、直ぐに判る。ここで調製も行っており、出来たての弁当を提供してくれる。勿論、お目当ての「BBQ弁当(御飯普通盛り・税込み565円)」を購入。イートインが無く、「何処か食べられる場所がないですか」と、愛想の良い中年女性店員に尋ねると、デパート正面エントランスを入った所の休憩スペースで、食べられるとの事。

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(浜屋木更津西口店。他に、市内に二店舗ある。)

デパートのエントランスに入ると、大きな円形の児童用遊具の周りに、テーブルと椅子が沢山設置されている。ここで良いのかと思うが、周りの人達も軽食取ったりしているので、大丈夫そうである。

早速、食べてみよう。證誠寺(しょうじょうじ)の狸が料理をしている掛け紙がトレードマークである。初期のデザインの復刻になっており、昭和37年(1962年)に木更津駅の駅弁として登場した。なお、この木更津駅西口のみまち通りに戦前から店を構え、既に看板商品であったBBQ弁当を駅弁化したと言う。

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(地元では、「バー弁」と呼ばれ、木更津名物の味になってる。)

掛け紙と蓋を開けると、温かいご飯の上に国産豚ロースが二枚乗っているだけである。しかし、一口食べると、衝撃の味なのである。40年以上、製法を変えていない秘伝のタレが美味しく、甘すぎず、辛すぎず、ほど良い味の円やかな旨味を深く感じさせる。外がカリッとした直火焼きの肉は、油っぽさが無く、地元米「かずさの純粋米こしひかり」を炊き上げた白飯は、米粒の立体感もあって、凄く美味しい。これらが組み合わさって、食べ終えても、また直ぐに食べたくなる。更に、揚げポテトも二個付いており、これもまた美味しい。木更津に立ち寄る機会があったら、是非、現地で食べて頂きたい。

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(この御飯普通盛りの他、大盛り669円や、ご飯と肉の両方大盛りの特製772円もある。)

また、もうひとつの看板的商品「あさり飯」も、なかなか美味しいので、紹介したい。国産の大粒アサリをたっぷり使った筍入り炊き込みごはんは、港町・木更津の名物料理になっている。生姜と醤油と味醂のみでふっくらと炊き上げ、あさりの旨味と優しい味が楽しめる。特に3月~8月の旬の時期は、地元水産加工場で剥いた生アサリの剥き身を使っているとの事。

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(「あさり飯」。税込895円。オフシーズンは、旬に剥いた冷凍アサリを使用。)
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(味のパンチ感のあるバー弁とは対照的な味わい。)

【お弁当の吟米亭・浜屋木更津西口店】
定休日なし、10時から19時まで(持ち帰りのみ、イートインなし)、
駐車場なし(周辺の有料駐車場利用)
千葉県木更津市富士見1-10-24(アクア木更津ビル南側/西口階段下から、180m・徒歩2分)。
※駅西口階段下の駅弁販売所でも、少量の取り扱いがあるが、昼頃には売り切れるとの事。
 直営店まで行けば、温かい出来たてを購入出来る。





腹ごしらえが済んだら、散策の再開である。後半は、駅前大通りの富士見通り南側の寺社エリアを散策してみよう。江戸時代には、より多くの寺社があったが、明治時代に合併・統合された。現在は、商業地区と混在するエリアになっている。

富士見通りの右手には、本堂の大屋根が目を引く光明寺【赤色マーカー】がある。鎌倉幕府の滅亡直後の建武2年(1335年)創基の日蓮宗の大寺で、内房エリアの布教拠点であった。俳人の小林一茶も、江戸時代後期の文化8年(1811年)に、参詣したと伝えられている。また、寺裏の墓地には、世話物歌舞伎の名作「与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)」のモデルとなった主人公の与太郎こと、「切られ与三(よさ)」の墓がある。歴代人気歌舞伎役者の公演成功祈願の参拝も多いらしい。

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(吉祥山光明寺。本堂は海に向かって、建立されている。)
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(屋根付きの「切られ与三の墓」。)

光明寺から三本先の交差点角には、メタボ体型のまちなか狸の像【黄色マーカー】がある。また、近くの明治初期創業の老舗和菓子店・榮太郎の狸大看板【緑色マーカー】も、昭和レトロ風で名物になっている。

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(榮太郎の名物・狸大看板。手にしているのは、和菓子では無く、酒であるのが面白い。)

この弁天通りにも、昭和の看板建築商店が残ってる【カメラマーカー】。店名が左書きなので、戦後のものであろう。大通り側から、はんこ屋と喫茶店が同じ建物に入り、文具店(塩条商店)、理容店が並ぶが、今日は休日なので、現在営業しているかは不明である。

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(戦後昭和看板建築の塩条商店の並び。)

80m先の交差点まで進むと、小ぢんまりとした弁財天厳島神社【青色マーカー】がある。社殿横には小さな神池があり、可愛らしい赤金魚が沢山泳いていて、楽しませてくれる。古い石鳥居には、江戸時代後期の文政7年(1824年)の刻印があり、毎年10月15日には、柿まつりで賑わうとの事。この神社の社殿彫刻は、安房国の有名な宮彫師「波の伊八(いはち/武志伊八郎信由)」の作である。その異名の通り、波の彫刻が非常に優れ、葛飾北斎の代表作「神奈川沖浪裏」の作風に大きな影響を与えたと言う。

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(弁財天厳島神社。社殿の彫刻は木更津市の文化財に指定されている。)
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(神池を泳ぐ赤金魚。)

弁財天の斜め向かいには、昭和7年(1932年)創業の老舗蕎麦屋【食事マーカー】があり、相当な傷み具合であるが、とても大きな木造建築になっている。この門前町での会席等によく使われたのであろう。昭和34年(1959年)築との事。

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(生蕎麦ふじや。入店するのに、少し勇気が要る感じである。)



弁財天前から駅の方角を見ると、八剱八幡神社(やつるぎはちまんじんじゃ)【鳥居マーカー】が鎮座している。やや小さな神社であるが、木更津の総鎮守となっているので、車の出入りや参拝者も多い。ちょっと、立ち寄ってみよう。

この神社は、日本武尊命(やまとたけるのみこと)が、東征の戦勝祈願をした神社と伝えられている。以降、東京湾中央部の守護神・木更津一の大社としてとして祀られ、毎年7月の例祭には、現役関東一の大きさと言われる大神輿が町に繰り出す。また、千葉テレビのご当地特撮ヒーロー番組「鳳神(ほうじん)ヤツルギ」の元ネタになっている。本編は第6シリーズ、スピンオフや派生番組まで制作され、地元では大人気番組になっている。木更津やこの八剱神社でロケも行われ、アンテナショップ兼飲食店も駅前デパート一階にあり、無料放映も行っている。

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(八剱八幡神社。)

参拝してみよう。やや小振りながら、向拝(こうはい)が大きく盛り上がった立派な造りである。現社殿は、江戸時代中期・安永二年(1773年)再建のもので、江戸の大火から逃げてきた狩野派の絵師作の162面の格天井(ごうてんじょう)装飾画がある。近年、修復されて往年の色彩を取り戻しているとの事。

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(拝殿。)
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(拝殿前の絵馬掛け。木更津船「五大力船」が描かれた、絵入り絵馬が名物になっている。)

拝殿横には、源頼朝のお手植えの蘇鉄(そてつ)の木がある。君津市草牛(そうぎゅう)にある森家から譲り受け、境内に移植したもので、源頼朝が森家で饗しを受けた際、お礼として植えたと伝わる。また、頼朝が木更津を通過した際、この神社に戦勝祈願をした。その後に神領が奉納されて、社殿を造営したと言う。

なお、上総と安房(あわ)は、平氏に一度敗北した源頼朝が相模国真鶴から逃げ落ちて、再起を図った地であり、地元有力豪族の安西氏、千葉氏や上総(かずさ)氏等の協力を得て、鎌倉幕府の成立まで進んだ。その由縁から、千葉県中南部には、源頼朝に纏わる伝承も多い。

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(源頼朝のお手植えと伝わる蘇鉄の木。)



この散策の締めに、木更津のアイドル狸の元祖となっている、證誠寺(しょうじょうじ)【万字マーカー】に行ってみよう。山名は護念山(ごねんざん)、江戸時代初期の創基と比較的新しい寺である。

弁財天前の二車線道路をそのまま西に少し歩き、矢那川の突き当たる場所にある。あまり寺らしくない雰囲気の寺入口であるが、奥は小さな森になっているらしい。なお、道路寄りの参道は、舗装道路と駐車場になっていて、山門や仲見世は無い。

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(證誠寺参道。)

木更津の町中かと驚く程、とても静かで、全く違う雰囲気が漂っている。かつて、鈴ヶ森と呼ばれる深い森が広がっており、ここは町の外れであったと言う。

綺麗に掃き清められた石畳を歩いて行くと、本堂前に直ぐに到着。小規模な寺であるが、手入れが行き届いていて、気持ちが良い。また、木更津唯一の浄土真宗西本願寺派の寺院で、木更津を代表する観光寺でもある。江戸時代、浄土真宗信者の多い上方(かみがた/京都・大阪などの関西方面)から、移住して来た商人達が、最初の檀家になったと伝えられている。

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(本堂。参道の左手に狸庭園、右手に鐘楼・信徒会館や庫裏がある。)
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(本堂軒下に掲げられている狸奉納。戦前の昭和12年3月吉日の記しがある古いもの。)

本堂前の矢那川沿いには、美しい狸庭園が整備されており、自由に散策が出来るので、見てみよう。入口横の石碑には、第十二世住職の就任記念として、2006年(平成18年)に整備されたとある。入口の近くには、とても大きな童謡碑が建立されており、歌詞の一部「つ、つ、月夜だ 皆出て来い来い来い。おいらの友達ちゃ ポンポコポンのポン」と刻まれている。五線譜のレリーフも埋め込まれている豪華な造りである。

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(童謡碑。裏手には、矢那川が流れる。)

川の辺りの一番奥に行くと、ボスの大狸を埋葬したと伝わる狸塚がある。昭和4年(1929年)、童謡の大流行を記念し、町が建立したものである。傍らには、とても古そうな狸の置物も置かれている。

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(狸塚。後ろの建物は、現在使われている納骨堂である。)

ここで、この證誠寺の狸伝説について、触れてみたいと思う。昔、この矢那川付近は、昼間でも薄く暗くなる程、鬱蒼と木々が生い茂っていた。夜になると、物の怪(もののけ)も出ると言われ、町の人々も近づかなかったと言う。しかし、この荒れ落ちぶれていた寺に、ある和尚が住む様になる。ある夜中、和尚が目を覚ますと、庭の方が大層騒がしく、そっと節穴から覗いてみると、昼間の様な明るい月明かりと秋萩の花盛りの下、大小の狸数十匹が輪になっていた。

証城寺山のペンペコペン 俺達の友達やドンドコドン

狸達は腹太鼓をしながら、踊っている。和尚も面白くなり、得意の三味線を抱えて、毎晩一緒に踊った。ところが、ある日、狸達が全く姿を見せなくなったので、不思議に思っていた所、輪の中心で音頭を取っていた大狸が藪の中で腹を破いて死んでいた。和尚は気の毒に思い、塚を造って、厚く供養したと言う。

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(狸庭園に佇む古狸像。)

あくまでも伝説であり、発祥の時期は判っていない。なお、真言宗が圧倒的であった内房エリアでは、浄土真宗の寺として珍しく、踊りや歌いながらの念仏(踊り念仏)や雅楽を用いた法要等の独自のものがある。信者達の歌や打ち鳴らす鐘の音は遠くで聞くと、腹太鼓の様に聞こえた事が由来らしく、鈴ヶ森の独特な風土と結びついたらしい。

そして、この狸伝説をモチーフにして、大正時代の童謡界三大詩人・野口雨情(うじょう)が狸囃子の童話を創作。大正14年(1925年)に巨匠作曲家・中山晋平(しんぺい)の曲を得ると、全国に大流行した。また、戦後の昭和31年(1956年)には、両先生の直筆が発見され、境内の童謡碑が建立されている。


(YouTube「証城寺の狸囃子(歌付き)」※音量注意、再生時間約1分。)

なお、童話の寺名は、「證<城>寺」であるが、実際の寺名は、「證<誠>寺」になっている。理由は判っていないらしいが、木更津市史によると、モデルとなった寺名を隠し、一般的な童謡として広める為と言われている。この證誠寺をモデルに別の寺をイメージして創作した説や、「夜中に狸囃子で大騒ぎするのは不謹慎だ」と、当時の住職が猛抗議した説もある。

いずれにしても、親しみやすい、楽しい童謡には変わりがない。この証城寺の狸囃子を口ずさみながら、駅に戻るとしよう。

「しょう、しょう、しょうじょうじ、しょうじょうじの庭は・・・♪」

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(ゆったりと流れる矢那川と證誠寺の森。)

(おわり/JR久留里線編)



◆取材旅程表◆

【本取材】平成28年(2016年)5月5日

【追加取材】平成28年(2016年)5月8日、平成29年(2017年)3月19日と20日、同年4月30日。

【カメラ】PENTAX MX-1(2016年度)、RICOH GRII(2017年度)。

【乗車本数】下り4本、上り4本(本取材時)。

【駅訪問】木更津、東清川、横田、馬来田、小櫃*、久留里、平山、上総松丘*、上総亀山の9駅。
     (*印は追加取材時に訪問。)

【利用した飲食店・地元グルメ】
木更津・木更津駅そば きつねうどん(本取材朝食時)
木更津・浜屋 BBQ弁当(木更津観光追加取材時)
木更津・浜屋 あさり飯(木更津観光追加取材時)
久留里・喜楽飯店 特製ラーメン&チャーハン(本取材昼食時)
久留里・手打ち蕎麦処藤美 手打蕎麦ランチセット(久留里観光追加取材時)
久留里・ティールームエリー アイスコーヒー&アイスクリーム(追加取材時休憩利用)
平山・志保沢商店 魚肉ソーセージ入り焼きそば(平山駅追加取材時)
上総亀山・亀山やすらぎの館レストラン アイスコーヒー(本取材休憩時)

【本取材行路表/平成28年(2016年)5月5日】
木更津820 下り久留里行(ワンマン運転 ★木更津観光(追加取材)
840
横田937 下り久留里行(ワンマン運転) 
947
馬来田1023 上り木更津行(ワンマン運転)★うまくたの路ハイキング(追加取材)
1038
東清川1124 下り久留里行(ワンマン運転)
1157
久留里1350 下り上総亀山行(ワンマン運転)★久留里観光
1408
上総亀山1715 上り久留里行(ワンマン運転)★亀山湖観光
1727
平山1826 上り久留里行(ワンマン運転)
1832
久留里1845 上り木更津行(車掌乗務あり)
1930
木更津

【追加取材】
平成28年(2016年)5月8日 久留里〜上総亀山間撮影・線形調査・久留里追加取材・小櫃駅訪問。
平成29年(2017年)3月19日 久留里神社・志保沢商店・上総松丘駅・第一小櫃川橋梁・図書館調査。
平成29年(2017年)3月20日 木更津観光
平成29年(2017年)4月30日 うまくたの路ハイキング・小櫃白山神社・久留里〜木更津間撮影。

【主な参考資料】
第42回上総地区文化祭特別展「JR久留里線開業100周年 1912-2012の軌跡(改訂版)」
(君津市上総公民館・2012年)
平成16年度企画展「地方鉄道久留里線の軌跡」(君津市立久留里城址資料館・2004年)

共に、上総地域交流センター内の君津市立中央図書館上総分室所蔵。
平成29年(2017年)3月19日調査。主に歴史事項の裏付け確認に使用。

【旅費】
JR東日本企画きっぷ「休日おでかけパス」(1日フリー乗車券) 2,670円×5=13,350円。
※食費・雑費等は別途。



(※歌舞伎「与話情浮名横櫛」(よわなさけうきなのよこぐし)について)
初演は嘉永6年(1853)。死んだと思っていた恋人同士が再会する悲恋話である。主人公の与三郎のモデルは、木更津の紺屋で働いていた職人で、実話をもとにしている。通称の「切られ与三郎」とは、お富を妾にしていたヤクザの親分に見つかり、なぶり斬りにされ、体に傷があることから。

【参考資料】
現地観光案内板・解説板
ぶらり木更津まち歩き(観光散策マップ/みなと木更津再生構想推進協議会・2014年)
史跡探訪 関東100選[下](関東歴史教育研究協議会・山川出版社・1991年)
房総ローカル線歴史紀行(伊藤大仁・崙書房・1990年)
千葉 地理・地名・地図の謎(高林直樹・実業之日本社・2014年)
千葉県公式HP「千葉の街道を歩こう・久留里街道を歩く」
証城寺公式HP

【読者の皆様へ】
これにて、JR久留里線編の完結になります。
初回話は昨年の6月初めに掲載し、途中、川越観光編も入れましたので、
約1年もかかってしまいました。
長い連載にお付き合い頂きまして、ありがとうございました。

新シリーズは少しばかり準備期間を頂き、来月初めより開始したいと思います。
今後も、よろしくお付き合い下さいませ。

作者・hmd

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